※筆者ゲーム未プレイですご注意、ご容赦ください


 新しい生と古傷と痛みと産声


   君のくれたもの

 オレにはオレがどこに行ったか判らないのに
 あなたはオレが生きていると言うんだ

 ダミュロンをダミュロンとして識るアレクセイからあとの訪問者はいない。名前でもなんでもくれてやると言っていたが音沙汰が無いのでとりあえずダミュロンと呼ばれて暮らしている。半月近い眠りで戦闘力はみるみる衰える。包帯がとれる度に動きまわった。アレクセイから投げつけられた言葉と自分が発した言葉から放逐はされないだろうと思う。医師の勧めもあって失った筋肉を取り戻すことに没頭する。アレクセイから指令が来るなら少なくとも戦闘に対応できる状態でなければ即死する。それでもいいと思うのだが、死にたいということさえ望むのを倦んだ。新たな生を生きてもらうと言う言葉が残っている。彼から指令が来るなら間違い無くその成果が今後に関係してくる。自分のためと言うよりは、自分の結果を踏まえるアレクセイの成果のために体を鍛え直している。ぼんやり過ごすよりはマシな日々であると思う。特徴的だった武器が手元にないだけで寂しいような気になる。寂しいという感覚や感情さえもが懐かしい。だから自分は今まで死んでいたのだと思う。歩いたり走ったりして運動に慣れ、反転や反射の感覚を取り戻す。息が切れることも稀になってきた。放り出されていた杖で素振りを繰り返す。切っ先を構えて前を見据える。オレは死んだ。話を聞く限りではダミュロンを知っているものは根こそぎにされたようでもある。だからこそ思慮深いアレクセイが名前をくれてやるなどと口走ったのだろう。つまりもう、ダミュロンは、いない。
 特別的な経過の立場であるから同室のものはいない。広い病室ですこしずつ戦闘力を取り戻していく。いっそこの鍛錬で心臓部に居座るものが壊れてもいいと思うのにそれはひどく規則的に鼓動を打つ。眠れない夜に聞こえる鼓動の心地よさに引き裂かれていく。

これがないと生きていけない。
ダカラキライ

これがあるからアレクセイは声をかけてくれる
ダカラスキ

アレクセイはダミュロンを識り拘束し生かすただ一人の人だ。あの膨大な規模の戦闘の前、平和であった頃。騎士団の構成が呑気な貴族でもまかなえていた頃。ダミュロンもその呑気な貴族の一人であったのだ。あの頃はまだ平和で幸せで、安寧とした充実した日々。微温湯のそこから一気に突き落とされて引き抜かれて、それでもまだ世界を正視できずにいる。黙々と体を動かす。動いている間は何も考えられない。御託を並べてもただ自分が考えるのが嫌なのだと判っている。ぼうっとしていても話し相手もいないから余計に勤しむ。
 扉がノックされた。今日は来訪者があるようだ。もっとも医療関係者でないものの訪問がいつあったかなどとうに覚えていない。応えを発すると玲瓏とした声がした。体を疾走り抜ける刺激は電流のように背筋を震わせた。
「…どうぞ」
声を聞いてから開ける律儀さは彼の人の好さだ。煌めく白銀の髪が豊かに肩やうなじで跳ねている。冷徹になりきれていない人となりのようでなんだかおかしかった。双眸の紅玉は常に強い光を宿している。屈しない気概と自負。だが同時に清浄な自尊心も窺える。まだ彼は重みを識らない。
「医師に会ってきた。経過は順調だと言っていた。…進んで体を動かしているようだな」
返事をしない。返すべき言葉などない。あなたのためにやっているというのも違うし自分から早く治りたいわけでもない。落とした木剣代わりの杖を片付ける。襟刳りの広い入院着から鎖骨や肩が覗く。髪がだんだん伸びてきた。明るい榛色だった髪は毛先へいくほど重たく濁った。アレクセイの髪は毛先へ行くほど透ける。蜜色や玉子色に透ける髪は加齢というより明らかに劣性遺伝の稀有な美貌だ。双眸も紅い。碧色の濁った眼差しを向けてもアレクセイの赤い目は変化しない。
 アレクセイが歩み寄るのを黙って見据える。以前のように退かないが払いのけもしない。敬いも侮蔑さえも摩滅して、間隔は間遠だ。髪が伸びたな。必要でしょう。不思議そうなアレクセイに言い放つ。言葉に刃があることさえ考えない。識りたくもなかった。
「オレが別人になるなら髪型くらい変えないと駄目でしょう」
刹那に眇められる紅い瞳はきまり悪いというより純粋に痛みに震えた。ヒゲや眼鏡が要るなら演技くらい出来ますけど。必要ない。なんで?
「…あの戦争は壊滅的であったのだ。生存者は数えるほどしか、いない」
新しい君を見て、ダミュロンだと指摘できるものは絶対的に少ないのだ。口元だけで笑んだ。口角が釣り上がるのが判る。腹の奥が震えた。嗤いは殺しきれずに喉を鳴らして息が漏れる。
「ダミュロン?」
「あんたはまだ、オレを『ダミュロン』だと言うんだ」
「違うのか」
問い返すアレクセイはあまりにも清浄で潔癖で、だから堪えられなかった。

「言ったでしょう。ダミュロンは――死んだんです」

あなたが言った。それでもいいと。
 「たしかに私はそう言った」
アレクセイの言葉が苦々しげだ。眇める目や戦慄く唇が彼にかかっているだろう負荷を垣間見せる。生きていても死んでいても自分は彼に影響し続けているのだと。そう思うだけで暗い愉悦が腹の奥へ溜まっていく。ダミュロンであった頃は考えもしなかった。他人の中での自分など。どう思われても構わなかったしそういう行動を取ってきた。騎士団に配属されてから変遷があったものの基本姿勢は変わっていない。アレクセイほどのものが自分程度の破片で揺らぐのを見るのが、愉しい。
「だが私は君は生きていると思っている。まがい物でも、君が生きていることに変わりはない」
空疎だ。生命維持活動の根源を代替するなど。しかもそれはこれからずっと続くのだ。生身の心臓はもう戻ってこないしこの装置を外せば即座に死に至る。壊れてもそう。活動の根源はひどく無防備に公共の場に放置されているに近い。
 「いき、てる」
赤い目が傷むように見つめてくるのを嗤った。アレクセイが手の内で軋ませた制御装置。装置による信号か、または外的に魔導器が破壊された場合。即座に死ぬだろう。赤ん坊のようなものだ。自衛手段などなくただ其処にあるのは幸運と他人からの慈悲で動いている心臓。
「これが、生きてる?」
制御装置も。肉体の外殻にあらわになっている魔導器も。自分ではどうしようもない絶対的な。
「君は生きている。息をしている。活動できる。食事をする。考えることができる」
「…――そうですね。死を選ぶこともできる」
「生きているから」
「違いますよ。生かされているからです」
亀裂といってもいい溝だった。深い海溝のごとく表面にこそ出ないが、明確な違いを孕んだ。
 アレクセイは静かだ。何度も二人の間では交わされてきたやり取りだ。互いの主張も言い分も承知している。それでも繰り返すのは揺らぎそうになる何かを確かめるためだ。言葉にして声に出して耳から聞いて再度上書き認識する。考えが揺らがないように。決まりきった手順を繰り返すだけだ。
「生きていることにかわりはない」
アレクセイの言わんとするところも判らないわけではない。自ら生きたいと思っているもののなんと少ないことか。人は生死の極限状態に対面して初めてそれを自覚する。諍いは打ち切る。水掛け論になるのは見えているし二人ごときで結論が出る問題ならばこれほど懊悩しない。
 「それで、今日は?」
挨拶のつもりで水を向けるとアレクセイが書類を取り出す。封筒に収まっているが押し印や割り印の厳封はない。糊で貼られてさえいない。
「これが今の君だ」
渡された封書は重い。書類もそう厚くもないのに重みが違う。言葉少ななアレクセイの態度がそれが公的なものなのだと教える。ここにあるだけの履歴は大衆へ公開されるということだ。口裏くらいは合わせろということなのだろう。
「君の経歴がまとめてある」
応えはない。発するべき言葉はなかった。従うしかない。そう、極めた。
「…いいのか。二度は訊かない」
確かめるアレクセイに口角を釣り上げて笑う。いいも何も、これで行くんでしょう。オレが嫌だって言ったら考えなおしてくれるんですか?
 ひらひらと封書を揺らすのをアレクセイは苦々しく見返す。それは、できない。だったら訊かないでください。冷淡かもしれないと思ったがそのまま口にした。どうせ長い付き合いになるなら可不可は早く決めておくべきだ。
「…君に言っておくべきかどうか迷ったことがある」
「なんですか」
「まだ迷っている」
要領を得ないそれに小首を傾げてみせる。肩をすくめるのを見てアレクセイはようやく重い口を開いた。

私は君を好きみたいだ

「…なに、それ」
好きって。誰を?
「君を」
「だから。ダミュロンが好きなら諦めた方がいいし、新しい俺が好きなら」
すきなら?
愕然とするところへ言い募る。私の中では君は一人で、名前が変わっても経歴が変わっても、私は君を好きで。その辛さが私の負うべき業であるなら背負うつもりだ。
 「…は、は? ちょっと、待って」

オレを
俺を
好き?

「気持ちが悪いならそう言ってくれ」
嫌悪感はない。嫌悪を生むほど自分を人として見ていなかった。そういった対象になるとは全く考えが及ばなかった。ただ自分はひっそり死んでいくのだと。
「先に言っておくが君は偶像だ。大衆が明確に視線や祈りや羨望を向けてくるだろう。君は人魔戦争の…――生き残りであり、英雄だ」
手の中の書類を握りつぶして魔導器をえぐりだしてやりたかった。心臓が痛い。無いはずの臓器が明確に脈打って痛んだ。抉り出して調子を整えたいくらいに動揺した。英雄?
「どうして」
「生きているからだ」
深く吸った息を吐ききる。
「…どうして」
「生きているからだ」
アレクセイは辛抱強く繰り返す。詭弁であればよかった。虚構であればなお良かった。
 ダミュロンは死んだのに。だが新しい君は生きている。これからも生き続ける。騎士団に所属し活躍するだろう。玲瓏としたアレクセイの声は鈴を震わせるように内部へ入り込んで、だからこそ始末が悪い。不快な声であればそれごとシャットアウトしたのに。アレクセイの声も言葉も聞き苦しくなく、だから受け入れてしまう。
「それが、俺なんですね」
「そうだ」
アレクセイに躊躇いや迷いはなかった。必要な基礎情報や経歴はその書類へひと通り記載してある。不備や不明点、疑問があれば直接私に問い合わせてくれていい。破格の待遇だ。無機的に封筒を眺めるのを、アレクセイの口元がなにか言いたげに慄える。
「…訊きたいんですけど」
黙って待っているのは肯定だと捉えて碧色の目線を暗く濁らせたままアレクセイへ向けた。

「騎士団長が好きなのは『誰』なんです」
「『君』だ」

「愛してる?」
「愛している」

「生きていてほしい?」
「生きていてほしい」

「死んだら?」
応えはなかった。

哀しいとも辛いとも死ぬなとも死なせないとも言わない。アレクセイは自分が出来ることを知っていて、その上でこちらの意思決定を尊重するつもりもあるのだ。

なんて愚か
なんてきれい

 静かに封筒から一枚目の書類を取り出す。基礎的な経歴などの情報がある。名前はシュヴァーン・オルトレイン。発音も綴りもダミュロンであったことを思い出させる要因はない。名前を呼ばれる度に古傷に悩むことはなさそうだ。薄く笑う。新しい過去。新しい――生。

「お望みのままに」

初めてそう口にした時と同じようにアレクセイは靴音を響かせて立ち去った。あの時感じられた発光するような激高がない背中は案外華奢に見えた。あれで苦労があるのだろう。アレクセイは主張を曲げないから対立を繰り返す。――関係、ないか。

流れ込んだ風が長い髪を揺らした。ふわりと視界を覆おうとする髪を、シュヴァーンは払いのけなかった。


《了》

だいにだーん。なんというか確認のために書いている気がする…
自分なりにこういうことがあったんじゃないかなー的な! 何番煎じだかもう恐ろしくて数えられない       2013年5月26日UP

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