※暴力・残酷表現有ります、ご注意


 君は絶対わからない


   髪を切るように

 土どころを探しだす。あらかた冷たい石畳だが時折思い出したように地べたの露出する路地がある。つましいなりに芽吹く若芽はそれなりでその肥沃さはどこかで後ろめたさを帯びる。キュリオは持っていたナイフを構えて頭を傾がせた。首を切りつけると厄介なので内から外へと薙いでいく。掴まれて抑えられた髪のぶつぶつ切れる音がした。鳶色の髪は重たく舞って地面に触れる。だんだん暗くなる頃合いを狙っているから落ちる髪が見えなくなる。表沙汰には出来ない生まれであるから日頃の生活も偽装する。私的な行動は夜に限られた。散髪くらいと思うが専門に頼むほど裕福ではないし技術が要りようなほどこだわりもない。じゃまにならなければそれでいい。ただ全て刈ってしまうと目立つので幼い頃からの髪型を目安にする。伸ばしても手入れをしないので見臭いと思うから短髪だ。ざりざりと独特の感触や臭いとともに麗しい声が嘆いた。
「なにをしてるんだ、お前」
 玲瓏と美しい声は鈴振る気高さで粗野だ。生まれと血統は上等だとは本人の弁で、それ以外はどうなんだと後で気づいた。闇に融ける濡れ羽色の髪は肩の上で不揃いに揺れている。瑠璃の双眸は凍える碧さで張り詰める。左右対称に揃った目鼻立ちはスッキリとして明瞭だ。闇色の外套に包まれているはずの細身が見える。腰の二刀も見える。腰に手を当てて呆れているのは幼馴染のフランシスコを思い出させた。どうもキュリオは構われるようである。歳の差なんて変わらないと思うのにキュリオはなぜだか構われる。表向きキュリオは無口で頑固であるから裏で力尽くになる。後になってことが知れるといつも悪戯っ子のばつの悪さを味わうから嫌だと思うのに拒否しきれない。
 ティボルト。所属や生まれを連ねる部分の名前は知らない。キュリオは自分のそれも知らない。たぶんない。キュリオは旧王族の近しい位置の一族だ。血縁でなくとも腹心というものは思わぬほど深く絡んだ。キュリオ自身もその血統と深く関わった。キュリオを隻眼にした理由もその辺りに関係する。癒着してしまったと思うほど開かない目蓋に深々と刻まれた傷は少女の顔を曇らせる。傷を負った経緯にキュリオ自身がなんとも思わないからそのままだ。ことさら言い訳するのも性に合わない。少女のつらそうな表情が時間とともに薄れてきたのでよしとする。
 ティボルトがつかつかと歩み寄る。月白がさすばかりの闇の中で鴉のようにしたたかに歩く。勝手知ったる歩みであるが、この場所にキュリオが居着いてからティボルトを見た覚えはない。なんでも知っているのかと思って一度問うたら案外そうでもない。知らぬ場所でも偉そうなだけだ。キュリオは無視して髪を一房ずつ切り落とす。伸びるのが早い場所もあるから切り落とされる髪は不揃いだ。その手首をティボルトが掴んだ。
「よせ」
納得のいかないキュリオにティボルトの朱唇が蠢く。髪が傷むだろう。別に構わない。手入れもこだわりもない。瑠璃の瞳が眇められた。冷たい碧が突き刺さる。仄白い肌は官能的に艶めいた。闇色の衣服や防具をつけているので余計に覗く肌の白さが際立つ。二刀を携える腰は細い。キュリオが本気で腕力に物を言わせたら勝てるだろう。だがティボルトは手順や効果の組立が上手い。戦闘とはそういうものだ。力押しだけではままならない。閨へ及ぶ度にキュリオの抵抗は霧散してしまう。
 オレは痛い髪は嫌なんだよ。丈はキュリオのほうがあると思うのに威圧感はまるで違う。厚みや丈を感じさせないそれは傲慢でいて強力だ。腰の二刀をかざさなくともキュリオの抵抗の芽は摘まれていく。もともと額ずくことに抵抗のない位置の生まれであればなお拍車をかけた。キュリオは支配されることを識っている。ティボルトは添えていた指を不意に曲げると思い切り髪を鷲掴む。無遠慮に引っ張られて単純に痛い。引きずり回すようにティボルトの指は髪に絡んだ。痛みに隻眼が潤んだ頃にようやく解放された。ナイフは取り落として足元で白銀に輝いた。痛い、それはお前の都合だろう。オレがオレ以外の都合を考えるわけ無いだろう。いっそ潔く言い切られて反論の余地がない。お前は本当にいいとこ育ちだな。たいていのやつは自分の都合しか考えないぜ。指を突きつけられて諭されるのを聞いてしまう。なりが大きいから大型犬がしつけられているようでもある。いきなり視界と煌めきを奪った傷に手加減なく爪を立てられた。眼球を直接なぶられる不快と同時に脳髄へびりびりと奔る痛みにキュリオは思い切り飛び退った。目蓋が開いていたら間違い無く泣いていた。現に開いている隻眼は痛みに揺らめきを満たす。背中へ当たる壁の感触に余計に慄える。逃げ場さえないキュリオをティボルトは麗しく嘲った。月光で白い艶を帯びた黒髪や瑠璃の双眸は嵌めこまれた玉眼だ。美しいものはそれゆえに冷たい。
 湧き上がる笑みに歪む朱唇から目が離せない。ぞっとすると思うのに麗しい美貌はそれだけで完成される。真っ当性や真摯さなど問われない。それはそれのままでよい。説得と強制を帯びるそれに怯んでいると判っても逃げることさえままならない。ティボルトは愉しそうに、微笑った。
「うなじが綺麗だな。落としたのか?」
桜色の爪先が不意にキュリオのうなじを撫でる。ビクリと震えて壁へ肩を引き付けるのをティボルトは面白そうに追い立てる。逃げ場をなくして仰け反る喉元や唇の先でティボルトは艶やかに笑んだ。燃える篝火が喉を舐める。ちろちろと紅い先端が湿っている。目を開けろよ、馬鹿。髪を引っ張られる。痛い。開いた目縁を撫でていた舌先が眼球を撫でた。唾液が沁みる痛みが走ってキュリオは反射的にもがいた。波紋に慄える水輪は糸が切れたように落涙する。ぼろぼろあふれる涙をティボルトがすすった。
「ばか、やめろ。いたい」
押しのけようとするのをつれなく避けては唇を寄せる。
「馬鹿はお前だ。泣くな」
理不尽だと思うのに論理をつきつけるだけの理由や熱量がない。
 結果として退いてしまうキュリオにティボルトが嵩にかかる。手加減や慈悲は一切ない。溢れるそばから涙はすすられる。目を紅くして逃げるのをティボルトはニヤニヤと眺めている。なんだよ、お前、可愛いな。打つことさえ忘れて呆気にとられるキュリオにティボルトは一人で得たりと頷いた。うん、やっぱりお前は可愛い。使い捨てるには勇気がいるな。ぱくぱくと喘ぐ口元へティボルトの朱唇が集う。摘まれるようにキスを繰り返す。何度もついばまれてキュリオは結局云うなりだ。ティボルトの舌先がべろりと睫毛を撫でる。しょっぱいな。くすくすと笑いながらティボルトに退く気はない。
「痛い、と」
力任せに押しのけるのをティボルトは不満気に鼻を鳴らす。がちゃがちゃと乱暴に留め具を外そうとする。慌てるキュリオに瑠璃の双眸はニヤニヤと睨めつける。どうした。なにを焦ってる? 言わずとも知れるそれを問うのはキュリオに傷を負わせるためだ。言葉にした時の重みはまるで違う。怯んで淀むキュリオをティボルトは嗤った。言えないなら黙ってろ。
 脚の間を掴まれて悲鳴を殺すのが精一杯だ。引き攣る喉を全力で押し殺す。慄えて潤む目縁や痙攣する口元をティボルトはうっとりと眺めている。ほんとうに可愛いな。指摘する気さえ起きない。唇を摘まれる。深く交わすと言うよりはついばむように浅いそれを繰り返す。不意に食まれる。それでも出血には至らないそれは戯れのようで逃げでもある。仰け反るのを追ってくるのは意地悪さだ。
「どこへ行くんだよ」
ティボルトはわざわざ髪を掴んで抑えた上で唇を奪う。引き攣れた皮膚が痛んだ。傷で歪む表皮を引っ張られたり弛められたりしてキュリオは喘鳴を繰り返す。筋肉さえ攣られるそれは手酷いものだ。抵抗すればもっと強く攣られる。形が変わると思うほどに強く引っ張られたかと思えばぺたぺたと手のひらがいたわるように目元を這った。
 がん、と鳩尾を殴打された。油断がなかったとはいえない。口元を反射的に手で覆うのがやっとだった。溢れた吐瀉物がみるみる辺りを汚した。音を立てて嘔吐くキュリオの背が丸まった。肩や背中を歪めて嘔吐するキュリオをティボルトは愉悦に歪んだ表情で見下ろす。傷がびりびりと痛む。息も絶え絶えに嘔吐く襟首をティボルトは容赦なく掴んだ。喉を詰まらせて難渋するのを見下ろす。
「おい、誰が楽になっていいって言ったんだ?」
吐瀉物の中へ顔を突っ込んだ。饐えた臭いがぷんと鼻を突く。
「キュリオ? お前が体を開かないからだぜ? オレはオレに対して好意的な奴には優しいんだ」
留め具が解かれた。皮を剥ぐように下肢を剥かれた。ティボルトの手が尻を撫でる。吐瀉物に塗れた唇をティボルトは躊躇いもなく吸う。ざり、と爪先が土をえぐる。湿った腐臭がした。熱心にうなじや喉元をなぶられる。喘いで慄えるのをティボルトは楽しむように唇や舌先へ転がす。
「ふるえてる」
かぷりと食まれてもキュリオにはどうにも出来ない。嘔吐に痙攣する体を抑えることも出来ない。唾液や吐瀉物に塗れることさえ厭わない。見上げる芥子色の隻眼を瑠璃色の双眸が睨み返す。頬や頤が乱暴に拭われる。
 まだ吐き足りないか? …もういい。ほうっておけ。誰が誰を放るって。構うなと言ってる。喘鳴が甲高く響く。舌を出して喘ぐキュリオをティボルトは愛でるように眺めた。俯せそうになる体が引っ張り起こされる。痛みに背筋さえ歪む。無理やり引き伸ばされた筋肉が痛みを訴える。そのまま突き飛ばされる。擦過傷を負わないのが精一杯で汚れなど気にしていられない。喘いで開く口元をグズグスに崩れた吐瀉物が撫でる。ティボルトは気遣うでもなくしきりにキュリオの脚の間を探る。
「あ…っ――…!」
びくびくと跳ねる腰を抑えてティボルトの声は華やいだ。膝を閉じる意識さえない。散々なぶられた体は不意に与えられた快楽に陥落した。
 肩甲骨や頚椎の辺りへティボルトの湿気た吐息がわだかまる。俯せた上にティボルトがのしかかってくる。しっとりとした重みがキュリオの体を犯す。這わせる指先でさえ境界なく馴染んだ。キュリオの荒い呼気だけが何度も繰り返される。
「キュリオ、だったな」
応えはない。キュリオは呼吸さえ殺した。ティボルトがあの子のことに深く関わっていたとしても、それを前提にキュリオは裡を晒すことはありえない。あの子のことは本人の自覚の有無にかぎらず黙するべき事柄だった。否とも応とも答えられない。ティボルトは判って訊いているようで答えに窮して息を呑むキュリオを鼻で笑った。
「だから人が好いと言うんだよ」
がり、と耳をかじられた。裂けた箇所から出血する。耳裏のくぼみを撫でて頤へ紅線が奔った。とろりとねばつくそれを、しっとりとした舌が舐って拭う。
 吐瀉物や泥にまみれて情けない思いが募る。脆弱ななりでもないのに細身の男に犯されかけていると思えばなお苦い。キュリオの唯一開いた視界を地面に押し付けて潰してくるティボルトは冷静で残酷だ。固い爪が顔の傷を抉る疼痛だけがキュリオの脳裏と視界を埋める。水面から顔を出して息を継ぐように反らせたそこへ白銀がざんと突き刺さる。髪を落としていたナイフだ。
「これでオレに抵抗するか?」
ティボルトの声はどこかでうっとりとしている。控えめにおずおずと震えて伸ばす手首を素早くとらわれねじ上げられた。ひねり加減で痛みと破壊のバランスをとっている。軋む関節にキュリオの顔が歪んだ。
「あぁ」
ティボルトは恍惚と息を漏らした。

「たまらない」

ごきりと外れる音がしてキュリオの脳裏は真っ赤に灼けた。


《了》

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