まだ幼く弱く、それでも
愛すべき人にあなたが出会うまで
穏やかな日だ。窓の外では小鳥がさえずり掠れたような日溜まりが眠りを誘う。剣戟を好むくせに絵を描くのが好きで、相手がいないから一人遊びとして筆を取ったのに進みははかばかしくなくキュリオは茫洋と景色を眺めていた。紙は白く乾いて木炭は指を汚すばかりだ。不意に扉の外が騒がしくなったような気がしてキュリオは目線を投げたが見に行くのも億劫で動かない。切れ切れに聞こえてくる高い声は幼馴染のもので、間をおかずに扉がノックされた。返事も聞かずに開けてくる。練色の髪は金髪にも似て輝かしい。それを行儀よく肩でそろえつぶらな蘇芳の双眸が愉しげに煌めいている。貴族の子息として過不足ない衣服に身を包み、線も細いが立派な男だ。本当に男? と訊いて平手打ちを喰らい風呂に付き合わされた。
「キュリオ、聞いた?」
頭の回転が速く機転も利く弊害としてフランシスコは要点を省く。相手も判っているだろうという線引きが食い違うのだ。
「何がだよ。何しに来たんだよ」
頬杖をついたまま素気無く言うとフランシスコは目を瞬かせた。キュリオの肘の下で乾いた紙がくしゃりとしわになる。
「何がってもうどこもこの話題でもちきりじゃないか。キュリオだって聞いたろう、ようやくお姫様にお目通りがかなうんだよ」
国を統べる一族にようやく懐妊の報せが届き、無事に女児が誕生した。親の代からその一族に仕えるキュリオやフランシスコにとっては避けて通れない話題でもある。生まれた子供の年齢から言って、二人ともが直接忠誠を誓うことになるだろうからだ。その子供のお披露目や面会がようやく緊張を弛め始め、騎士公たちは連なるように挨拶に出かけた。それぞれの子息や当代が額づく相手をじかに確かめたいのは当然の感情だろう。
「別に興味ない。男だったらよかったのに」
キュリオはもてあそんでいた木炭を放り出した。懐妊したという知らせが届いた折にはキュリオも並みに興味を示し、生まれたら何をしてやろうという不相応な希望も抱いた。仕えるものとして剣戟の稽古を共にしたり、自分達の方が年長になるんだからいろいろと教えてやらなくては、と弟や妹が生まれるかのようにフランシスコと時間を忘れて語りあった。
フランシスコが盛大に噴き出して背中を丸めて笑う。かちんときたキュリオが片頬をゆがませるのにも気づかない。フランシスコはひとしきり笑ってから後ろで手を組み意味深ににやにやする。知略に長ける性質であるから余計に嫌味だ。髪を揺らして、行儀悪く腰かけたままのキュリオを下から見上げてくる。体を俯けるなりにも揃う髪の長さにキュリオは己がしない手入れを垣間見た。キュリオなどは面倒であるから伸びれば切ってしまう。堪え切れずに自分で適当に切り落とし、乱れた髪形になって親に呆れられたことも少なくない。
「僕はお姫さまでよかったな。女の子の方が優しいもの。それにきっと可愛いよ」
「ばからしい。女なんてみんな同じことばっかりしてつまらない」
女性が群れるのをキュリオは理解できない気分で眺めている。嫌いだと思う奴と笑顔で話す女性を見ているとキュリオは混乱するばかりだった。嫌いなら嫌いだと言えばいいのにと思う。そんな笑顔で何気なく会話しながらあとで陰口をきくような奴は嫌いだ。
「キュリオは女ごころが判ってないよ。おそろいのどこが悪いの。好きな人と同じものが持てるなんていいじゃない」
この論争は結局平行線で終わる。フランシスコのとらえ方とキュリオのとらえ方は視点が違うようで、それでいてお互いに歩み寄らないものだから収拾などつくわけもない。
「とにかく見に行こうよ。運が良ければ窓から顔を出してくれるんだって聞いたよ」
腰を上げないキュリオの袖をフランシスコが引いた。裾まで掴まれたキュリオが渋々腰を上げる。どうせ時間をもてあましているのだからフランシスコの案は渡りに船だが、それなりに見栄もあるので言わない。
「判った、行くよ。放せったら」
フランシスコは承知したように放しながら悪戯っぽくキュリオを見る。キュリオの虚勢はいつも通じず見抜かれて後々の揶揄の種にしかならない。それでも懲りずに繰り返す。
足取りも軽やかに先へ行くフランシスコの後を追った。女なんて、面倒なだけなのに。キュリオは悪態をついてやりたくなったが言い負かされることは決まっているので呑みこんだ。髪を揺らして楽しそうなフランシスコの背中に思い切り、べェッと舌を出した。
きょろきょろしていたフランシスコが廊下を通りかかった少女を認めた。
「コーディリア!」
亜麻色の髪をした少女がこちらを向いて二人の方へかけてくる。彼女も二人と同じく統治する一族に仕える身分の出身だ。
「フランシスコ、キュリオもどうしたの?」
「お姫様を見に来たんだ。調子はどう? 会えるかな」
「今はお昼寝してるわ。ようやくちょっと休めるの」
「大変だね。ちょっとでいいから顔を見れないかな。可愛い?」
滑らかに交わされる会話を聞きながらキュリオはすでに飽いていた。絢爛豪華な作りの建物も調度品も価値が判らないので退屈なだけだ。あぁ剣の稽古でもしてればよかった。
「キュリオはどうしたの、なんだかおかんむりね」
クスッと笑うコーディリアにキュリオはむっと口元を引き締めた。相手が女の子だから堪えているだけで、これが仲間うちであったなら取っ組み合いに発展している。フランシスコまで意地悪く笑いながらコーディリアの耳元へ囁く。それでいてキュリオにも聞こえるような大きさで話す。
「お姫様だからだよ。王子様だったらよかったんだって」
「なぁにそれ」
「ほら男の子だったら一緒に剣の稽古だって悪戯だってできるじゃない。それが全部おじゃんだからおかんむりなのさ」
通じるように二人はキュリオをけしかける。キュリオが手を出さないことや、だしても後で制裁と言う叱責があることを知っているから好き放題に言う。
「あら、でもジュリエットはとてもかわいいからきっと好きになるわ。可愛いお姫様だもの」
「何でも可愛いっていう女の可愛いなンかあてになるもんか。だいたいお前より可愛くない奴なんていないぜ」
コーディリアの眉が吊りあがって持っていた帳面や布地をキュリオに投げつける。キュリオはこれ幸いと投げつけられるものを避けながら廊下を駆けだした。
「ばかッ、キュリオの馬鹿ッ」
コーディリアの怒りで高い声を聞きながらキュリオはフランシスコも一緒に置き去りにした。コーディリアとつるんで馬鹿にされた恨みがある。勝手にしろ、と放り出してキュリオは廊下の角をむやみに曲がった。
自宅と違って入り組んだ通路にキュリオはあっという間に迷った。方向音痴ではないと思うのに複雑な経路を覚えてさえいない。同じ通路であるかどうかさえ不鮮明だ。
「…弱ったな」
それでも誰かに会えば咎められるなり助力を得られるなりするだろうと踏んでいる。道に迷ったと正直に申し出れば案内を乞えるだろう。歩きながらキュリオは半ば開いた扉に気付いた。きぃと小さなを音をさせるそこをそっと窺う。部屋は昼間の明るさで十分に明るく、建具やカーテンの影が眠たげに揺らいだ。書庫でもあるのか、大部分を占める場所には本をびっしり詰めた棚が並ぶ。キュリオも読書は嫌いではないから興味を引かれた。勧善懲悪や剣戟ものや武勇伝などは好んで読んだ。部屋へ入り込むと古書の匂いがぷんと鼻をつく。部屋の中央にはソファと読書台がおかれ、卓上灯もある。それを横目にキュリオは棚の間を適当に行き来した。普段なら入り込めない場所へ侵入している高揚に目が輝く。本の装丁は確りしていて文字の並びもつまり、子供向けなどではない。新鮮さにキュリオは夢中になった。
「だぁれ?」
突如響いた声にキュリオの肩が跳ねる。振り返ればソファの背に顎を乗せた幼い顔がしぱしぱと瞬いてキュリオを見ていた。艶やかに紅い髪は短いが、それは性別によるものではなく単にその子の年齢から言っての長さに思える。相手が年下であることに安堵しながらキュリオもふんと鼻を鳴らした。
「お前こそ誰だ」
「お母様がお父様の書斎に入っちゃだめって言うから、でも今ならはいれるかもって思ったの。でもほこりっぽいよ」
キュリオの肩が落ちる。子供の両親が誰かは知らないがとりあえずキュリオは優位を保つために図々しく振舞った。
「ばかだな、ここは書庫だよ。書斎じゃない。だいたいこんな暗い書斎なんかあるもんか」
子供の目が瞬いてから不安げにあたりを見回す。
「どうしてだれも来ないんだろうって思ってたの。ちがうばしょなの? あたしどこにいるの」
「知るもんか。勝手にどこでも行っちまえよ」
紅茶のひと際大きな双眸がぶわァと潤んだ。すぐに鼻をすする音がして、しゃくりあげる。
「帰りたい。帰りたいよう。お母様ぁ」
次第に激しくなっていく嗚咽やしゃくりあげる音にキュリオの方が怯んだ。しまいに大声で泣き出しそうになるのを慌てて止めた。
「ばかッ、泣くんじゃない! 国を統べる一族に属するものが簡単に泣くなッ」
場所は統治者の城であるからある程度の関係者であると踏んでの一言である。それに子供が、ひぐぅと喉を鳴らしてこらえた。ぼろぼろあふれる涙がくすみもない白い頬を滑っていく。
「どこの子だよお前。名前は? 帰る場所は知らないのか」
「わかんない、わかんないよう…お母様…」
ぐずぐずと泣きだすのをキュリオが乱暴に腕を引く。引っ張られてびっくりしたように潤みきった双眸が瞬いた。
「ほら、誰かいるところに連れて行ってやるから。こっちだよ、泣くんじゃない。俺は泣く奴は嫌いだ」
言いきって甘やかしもしないキュリオに子供が懸命にしゃくりあげるのを止めようとする。当座頼れるのがキュリオだけであることと、そのキュリオに見捨てられないための防御を子供は本能的に感じたようだ。
「お前、名前は」
「…じゅりえっと」
「ジュリエット? じゃあ女か」
面倒だなァとキュリオが嘆息した。だから女なんて嫌なんだ。すぐに泣くし面倒だし。殴る前から泣かれたら何も出来ない。乱暴に手を引いて歩く。速度を弛めるのがかろうじての気遣いで歩きやすさなど気にもしない。ジュリエットの方でも特に不満を言わなかった。
部屋へ通りかかるたびにキュリオは顔をのぞかせたが大抵は無人であるか、声をかけづらい雰囲気が漂っていた。キュリオもジュリエットも不意に紛れこんだ分際であるから、ふんぞり返って案内してほしいなどとは言えない。それほど厚顔でもない。キュリオは失望と疲労を感じながらジュリエットを連れ回した。幼い足取りはすぐに疲れで乱れる。つんのめるように倒れそうになるのを何度か繰り返し、キュリオは焦れておぶされと膝をついた。
「でも」
「お前の歩く足が遅いからだよ、面倒なんだ。背負った方が楽でいい。いいから乗れったら」
ためらうのを叱りつけるようにして背負うとキュリオは自分の速度で歩きだす。ジュリエットの躊躇と遠慮が触れてくる場所から感じられる。頬を乗せるような厚かましさはないが所構わず泣き出すような無分別でもない。しばらく歩きまわってからキュリオはうなじへ熱い頬が触れてくるのに気づいた。一定の振動を繰り返すキュリオの背でジュリエットが眠くなったらしく、時折緊張が解けて伏せるのだ。
「ご、ごめんなさい」
頻りに謝るが眠気には勝てぬらしくコツンと額が触れてくる。
「いいって。寝てろ。その方が俺も楽だし」
そっけない態度にジュリエットの手が慌ただしくキュリオの襟を掴んだ。
「ご、ごめんなさい、おこったの? ごめんなさぁ」
「うるさいな、怒ってねぇよ! 黙って寝てろッ」
数瞬の間をおいてキュリオの背中がぐずぐず言いだした。ひっくひっくとしゃくりあげる音さえする。
「ご、っぇんなさぁ」
嗚咽で明瞭な言葉が紡げていない。泣きだされた苛立ちと戸惑いがキュリオの態度を余計に乱暴にさせる。そもそもキュリオは女や子供が苦手な性質だ。すぐに泣きだすし、手間ばかりかかってちっとも楽しくない。剣戟も好まないし、乱暴だとたしなめられるし叱られる。隠れ家へ行く権利もない。悪童たちはそろって子供も女も仲間になんか入れたくないと口にした。
「うるさいって言ってるだろ! 泣くんじゃないッ!」
鳶色の髪を揺らして振り向きざまに怒鳴るとひゥッ吐息を呑む音がした。紅茶の短い髪が揺れて、潤んだ双眸が震える。泣くのを堪えている気配がした。
「やさしく、ない」
「当たり前だ。誰もが優しいなんて思うな。だいたい、女は好きな男にだけ優しくされてれば満足なんだろ。他なんてどうでもいいじゃないか」
「すきなひとなんていないもん」
「女になれば好きなやつくらいできるぜ。お前がまだガキだからそんなこと言うんだよ。オヤジやオフクロを呼ぶなんてまだ子供じゃないか。まだお前はガキだぜ」
キュリオもよく判らないがフランシスコから聞きかじった知識で話した。女は好きな人が出来たり恋をしたりすれば一変するのだという。寂しい時に両親を呼ぶのはまだ子供である証だ。
「すきなひと? あたしはお父様もお母様も好きだよ」
「ばかだな、そういう好きじゃないんだよ。なにを捨ててもいいって思える好きなんだってさ。両親に嫌われたり怒られたりするのが気にならない好きがあるんだぜ」
「それは、だぁれ」
「知るかよ。時期が来れば判るよ、そういうもんなんだってさ。俺は知らないけど。知りたくもないし」
キュリオが肩をすくめるとジュリエットがむぅうと考え込む。涙も眠気もどこかへ飛んだらしい。ちょうどいい気晴らしだとキュリオもあえて止めない。
規則正しい揺れにジュリエットの気を弛んだらしい。もたれてくる重みがあった。キュリオは不自然な体勢と重みを感じながら部屋を覗いては道を訊ねられないか窺った。折り悪く侍女さえも通りかからない。統治一族の城であるというのに侍女にも執事にも会わない。面倒事を文字通り背負ってしまった状態にため息が出た。
「あなたの、なまえは?」
不意に響いた幼い声にキュリオの返事が遅れる。ぐずっとなる洟音にキュリオはジュリエットを背負い直しながら気怠げに応えた。
「キュリオ。キュリオだよ」
「きゅり、お」
「別に覚えなくていい。どうぜお前とは会わないだろうし。お前がどの家の子かは知らないけどさ」
とろりと温かなぬくもりと高い体温はジュリエットが眠いことを示した。耐えきれずに時折身を任せてくる。まだ幼い子供には負荷のかかることばかりだったのだろう。キュリオも咎めずに無造作に通路を選んで歩いた。
靴音を聞きつけてキュリオは足早にそちらへ向かう。
「す、すいません」
声をかけると連れ立っていた大人達が揃って顔を向けた。その中に父親の顔を見つけてキュリオがひっと喉を鳴らした。父親はしつけや作法に厳しく、あてどなく城内を彷徨っていたというキュリオの醜態を知れば確実に叱りつけられる。声をかけなければよかったと後悔するうちに父親の方でキュリオに気付いた。
「キュリオ! その方は」
改まる言い方にキュリオが不審を抱く。すぐに一連の先頭にいたらしい男性が声をかけてきた。大公だ。この国土を治める現在の最高権力者である。紅いような茶色の髪は品よく整えられ、穏やかそうに微笑んでくる。
「ジュリエットを連れてきてくれたのかい。ありがとう」
「そんな、礼など言われるようなことをしておりません、どうか」
父親が頻りに止めようとするのを大公は抑えてジュリエットを受け取ろうとする。
「私の娘を連れてくれてありがとう。コーディリアから、ジュリエットが昼寝の最中にいなくなってしまったと聞いて心配していたんだよ。君が守ってくれていたのだね。礼を言うよ」
背の高い大公がそっとジュリエットの重みをキュリオの背から剥がす。眠りこんでいるジュリエットは気づくそぶりもなくされるままだ。
「キュリオ、どういうことだ。言い訳があるなら今のうちに言うんだ」
すぐさま伸びた父親の手がキュリオの頬をつねりあげた。平手打ちされるように痛く、手加減なくつねられてキュリオがじたばたもがいだ。
「い…痛いッいたッ…や…」
千切るように放されてつねられた痛みに頬を抑える。平手打ちにしないのは大公がいるからだろう。それでもびりびり走る痛みにキュリオは涙目になった。
「謝りなさい。……大公、大変に申し訳ない。愚息がとんでもないことを」
一連の騒動を眺めていた大公はくすくすと笑って構わないと言った。
「そのガキ」
思わず口走ったキュリオを父親のゲンコツが直撃した。くらくらする視界に黙るのを、大公が愉しげに見ている。愉快と言うより微笑ましいと言った色の強いそれは人の好さを示す。
「お前の方がガキなんだぞ。ジュリエット様に失礼はしていないだろうな」
「ジュリエット、様? まさか、そいつ」
ぎりぎりぎりと父親は容赦なくキュリオの頬をつねる。失言や失態には手厳しい。
「ひぃたい…痛いぃッ」
大公が仕草だけでキュリオの父親を抑える。
「キャピュレット家の娘だよ。年齢的には君が仕えることになるだろうね。ジュリエットをよろしく頼むよ」
ジュリエットを抱え直しながら大公は改めてキュリオに礼を言う。
「ありがとう、世話をかけたね。ここまで連れてきてくれてありがとう」
立ち去る大公につき従いながら、父親は抜け目なく、帰ったら仕置きが待つから覚悟しろと言い置いた。
ぽかんと見送るキュリオはつねられた頬の痛みと衝撃に茫然とした。あれがフランシスコと言いあっていたお姫様。窓から顔が見れたら幸運だというお姫様。つねられた頬の痛みがキュリオにそれを現実であると教える。
「じゅり、えっと? あれが、お姫様…」
茫然と家に帰ったキュリオは帰宅した父親にこっぴどく叱られた上に尻まで打たれた。
「キュリオ―」
ひょっこりと覗く可愛らしい顔が憎らしい。キュリオは枕に伏せっていた顔をフイとそむけた。尻をひどく打たれて仰臥できないのだ。俯せている。フランシスコはポンとキュリオの尻を撫でる。
「ばかっいたいんだッ」
思わず怒鳴るキュリオにフランシスコがにやにや笑う。
「お姫様は可愛かった? ねぇどうだった? カワイイ?」
「知るか、ただのガキだよ。でも」
キュリオがもぞりと枕に顔を伏せる。フランシスコは罪なく、なぁにと問い正す。耳まで紅くなって何でもないと叫ぶキュリオにフランシスコが紅い頬を膨らませた。
「でも、なぁに」
もぞりと動いて覗いた芥子色の双眸が照れに潤む。
「守ってやってもいいなって、想った」
「何それ、なにそれ!」
フランシスコが予想以上の勢いで喰いついた。対応しきれないキュリオにフランシスコがもどかしげだ。
「キュリオは、その子が、ジュリエット様が好きなの?!」
「ばか、好きなんかじゃない、だいたい好きなんて俺は知らない!」
慌てて体を起こし、仰け反る背中の軋みに呻く。フランシスコが痛い尻ばかりばしばし殴る。明らかにわざとだ。
「あんなに好き勝手に泣いたり眠ったりするガキ、好きになんかなるもんか」
「ずるいよ、ずるい…キュリオのことは僕が最初に好きになったのに。僕だっておんぶも慰めもしてもらえてないよ」
「どこを競ってるんだよお前は」
呆れるキュリオにフランシスコがぐずぐずとぐずりだす。
「ジュリエットのことなんか関係ない」
「ほらそれだよ! 僕のことはお前って呼ぶのになんでお姫様のことは名前で呼ぶの」
「………お姫様をお前なんて呼べない。それこそ親父に打たれる」
かろうじて見つけた言い訳にフランシスコは納得しない。愚痴愚痴と不満を言い続けた。
「ねぇお姫様とどんなことを話したの」
「好きなやつの話とか。お前から聞いたことがほとんどで」
「好きな人?!」
ジュリエットが好きなのと確かめるフランシスコをキュリオがそっけなくあしらった。
「ばか、あんなガキ好きになんてなるもんか。しかも女じゃないか。女の上にガキなんて、好きになんてなるもんか」
「それ本当。キュリオ、本当にお姫様のこと好きじゃない?」
「しつこいぞ。そうだって言ってる。だいたいあんな子供を女としてなんか見れるもんか。コーディリアよりガキじゃないか」
ふてくされて顔を枕にうずめるのをフランシスコは意味ありげに黙ったまま見つめる。
「…ジュリエットにも、俺のことなんかただの思い出だ」
幼い冒険の道づれでしかない。それでもキュリオはジュリエットが仕えるべき主君であることと立場の違いを認識した。立場や家柄を超える愛など男女間でも難しいと、数多い恋愛譚が謳いあげる。主君と従者の思慕などありふれすぎて取り上げる価値さえない。そもそもキュリオはジュリエットに守護を感じても明確な女性としての感情は抱かなかった。
「女を大事に思うなんて俺には判らない」
むぅーと膨れるのをフランシスコが複雑な表情で眺めている。
「でも、嫌いじゃあないんでしょう」
「守ってやらきゃなとは思ったけど」
ぼふんっと枕で頭を包んでキュリオは敷布に顔を押しつけた。女性に対する好きが別物なんて俺にはちっとも判らないけど、でもジュリエットは守ってやらなくちゃと思った。もぞもぞと身じろぐキュリオの尻をフランシスコが思い切り叩いた。キュリオはすぐさま枕を投げつけて応戦した。
恋なんかじゃない。愛なんかじゃない。
それでもあの子は額づき首を垂れる相手であると、判った。
好きなんて言葉では足りない情と階級と経緯と。
好きなんかじゃあ片付かない。
従う相手であると知っている。
《了》