せめて君に。
 俺のただひとつの願い。


   言葉にしない想い

 豪華な装飾も食事も伴う侮蔑や暴力でさえも変わらないとギルバートは思った。ギルバートは目的をもってこの貴族の関係者となった。別れてしまった弟のヴィンセントがいて、力を得られるかもしれない可能性があって、ギルバートのオズとともに消えた未来は少しずつ取り戻されていく。地位と必要なだけの戦闘術を覚える。暴力にも対抗できるようになった。少しずつ力を得ている。後は目的を果たせば。ギルバートの目が虚空を睨む。自分の脆弱さはギルバートの中では罪悪に等しく赦しがたいものだった。あのとき。あの時もっと力があったら、オズを。
 成長して体が大きくなって、それなのにギルバートの心はあの少年であった時のまま止まっている。欠いてはならないものをギルバートは失ってしまった。もう何も見えない聞こえない要らない。底辺を這った生活の時より辛いのではないかとさえ思った。暴力にさらされていた時はただ夢中で気付かなかったのに、守ってくれる人が主人がいなくなるだけで世界はこんなにも冷たく変わった。もう誰もなにも。
 シャランと鳴る首飾りは現在の職場でギルバートが得ることになった力の証だ。合法的な手続きを経て組織の規則にものっとっている。だがこの力は、とギルバートはいつも思う。ギルバートが生活拠点を置いている一族のものだ。本来であればその後継者が継ぐべきものであり、ギルバートはヴィンセントとともにその一族へ養子という形でかかわった。義理の兄達は本来の血統ではないギルバートが力を継ぐことに明確に反発した。ギルバートの金色が揺らいでから閉じられる。憎悪されても嫌悪されても、俺は力が欲しかった。
「……坊ちゃん」
仕えるべきでありながら守ることさえできずに失くした主人を想う時、ギルバートはいつも義弟を思い出す。ちょうど年の頃は同じくらいか。兄達が不適合だった力への可能性をこの弟は持っていて、ギルバートがそれを横から奪った形になる。特に兄達から貴族としての在り様を教えられているからある程度の叱責や罵倒も覚悟した。
 横になっていた寝台の上で身じろぐと枕がふわんと歪む。靴さえも脱いでいないのに寝台を豪奢に覆う布の上へ体を投げ出している。継がれてきた力を継いでからのギルバートはどこか投げやりに日々を過ごしている。目的をある程度達成し、だからこその倦怠感。力を得ればどうにかできると思っていたのに今の俺は何も出来ずにただ生きて、いる。わずかに開いた双眸は金色に揺らめきながら窓硝子を見る。
「寝ているのか?」
気遣うような問いでありながら声が通る。ひそめているのは気配だけでギルバートが起きているのを承知しているように遠慮がない。ギルバートが体を起こした。枕元の卓上灯をつければ部屋はある程度明るくなる。
「エリオット」
ギルバートの声にエリオットの柳眉がぴくんと跳ねる。感情の爆発を躊躇しないこの義弟は潔さと無謀とを上手く塩梅する。エリオットの背後で部屋の扉が閉じた。卓上灯の灯りでは心もとなく、エリオットの表情さえ明確には判らない。エリオットの歩き方は性質を示すように力強い。
「エリオット?」
「エリーだ!」
エリオットの指摘にギルバートは困ったように笑うことしか出来ない。エリーというのはエリオットの愛称で親近者、一般に家族と言われる範囲の親族が使う呼称だ。特にアーネストと言った兄達は親しみを込めた揶揄として長じたエリオットをエリーと呼び、エリオットも殊更深刻に拒否していない。だが養子であり親しみの輪に入りきれないギルバートやヴィンセントが使うことは強く禁じた。エリオットが構わないと言ってもアーネストたちは承知しない。もとよりヴィンセントはエリオットに愛称を使うほどの愛着を感じていないと公言する。なし崩し的にギルバートもそうであるという話になり有耶無耶だ。訂正も拒否も面倒でギルバートは何も言わない。ギルバートが愛称で呼ぶ人たちが限定されているのをギルバートは自覚している。
 「だから、その名を俺が呼ぶとまずいだろう。エリオット」
「貴様もオレの兄であることに変わりはないッだ、から…だから、その、エリーと……呼べ…」
歩み寄っていたエリオットの声がしぼむ。白く澄んでいる頬が熟れたように紅かった。それでもギルバートはエリオットを愛称で呼ぶのをためらう。叱責を恐れると言うよりも親しみの度合いが深まるのが恐ろしい。坊ちゃんと呼び仕えていたオズをなくしたギルバートは強い親愛を求めることに恐怖した。人を好きになるのは容易くて、けれどもしそれを失くしてしまったら、という恐れはオズを失くしたギルバートにとって鮮明すぎた。
「エリオット」
なだめるような口調にもエリオットは反応しない。聞こえている距離であってもエリオットは頑固に無視する。幼い時から言い分が通らなければ納得するまでは動かない。

 「……――エリー…」

ギルバートの声が震えて紡ぐ声にエリオットの浅葱色の双眸が潤むように煌めいた。切れあがった眦の威嚇が弛んで少し不愛想なだけになる。エリオットは照れたように唇を引き結んでから、できるじゃないかよと悪態をついた。ギルバートの寝台の足元へどさっと腰を落とす。
「エリオット、俺は靴を履いたままだったからそこは」
「うるさいぞいちいちッ! だったら脱げッ! それに、エリーと呼べと貴様は何度言ったら」
手厳しくいいつけられてギルバートは慌てて靴紐を解いた。急いで焦る手元がおぼつかない。もたもたするのを見下げるような視線で見られているような気がしてギルバートがますます焦る。頑強に絡んだ紐が強くてギルバートの手に負えない。こういったことに焦りは禁物で落ち着いて解けばいいのだがエリオットの視線や動向が気になって落ち着くどころの話ではない。
「あッす、すまない…ッ」
もたもたとした要領の悪さはギルバートの生活では暴力的な叱責に直結していた。振りあげられる腕を恐れて体が反射的に怯む。エリオットの顔が見れない。戦きながらギルバートは機敏に動かない指先を凝視した。

「かまうな!」

エリオットの声が朗らかに響く。呆気に取られて目線を向ければ、両手を後ろへついて体を反らせながらエリオットは脚を揺らしていた。丸まるより反りかえる体勢で緊張が弛むのがエリオットの性質のようでなんだかおかしい。所属するナイトレイは代々の名門貴族でありその生粋であれば当然か。
「お前と一緒にいたくて来たんだ。別に、お前を殴ったりするためじゃない。………エリーとも、呼んでもらえた、し」
最後の一言は頬を紅くして拗ねたようにつぶやく。呼んでもらえたと言う調子には呼ばれた嬉しさとその少なさへの不平とが入り混じっている。
 ギルバートは不思議に思うそのままにエリオットを見つめた。生まれついたときから貴族の一員であったエリオットに、中途闖入のギルバートやヴィンセントは珍しかったろうと思う。それなのにエリオットが執着するのはいつもギルバートでありヴィンセントではない。怯えたような対応をするギルバートは己の卑屈さに気付いているし、高位のエリオットにはその対応の方が見慣れているだろう。ヴィンセントのように後になって何倍もの仕返しをする方が新鮮ではないかと思う。手垢のついた対処しか知らず取り立てて目立つこともないギルバートにエリオットが執着する理由がギルバートには判らない。
「なんだよ」
問うのは簡単だ。ギルバートの中で疑問は明確になっているし言葉にもできる。それでも問えないのは遠慮というより己が怖いからなのではないかと思う。問い質してやはりお前は嫌いだと言われるのが怖い。ギルバートの幼少期において、嫌われることは生活の安定を失うことに等しかった。
 「…――なんでも、ない」
ギルバートの金色は気弱に逸れてから待ったままの靴紐へ向けられる。年少のものを相手にして、それも義理とは言え家族を前にしてなお卑屈な己に嫌気がさした。

人を好きになるのが怖い。
そんな自分はひどく、いやしい。

「そうか、ならばいい」
エリオットは生まれついた位置を把握しているかのように言葉遣いは横柄だ。それでも悪印象を与えないのはそれこそ彼の生まれ持った才覚だろう。ギルバートは紐を解くことに熱心になった。何度もくぐらせたり輪を作るのを繰り返す。下手な位置を引っ張れば結び目は固くなって切るしかなくなる。ギルバートは慎重に作業を進めた。
 その手元をエリオットが叱るでも嫌がるでもなく見ている。
「…――お前は」
エリオットの声にギルバートの手がびくんと止まる。おそるおそる振り返ればエリオットの口元が弛んで笑んでいた。
「お前は綺麗な爪をしてるな。手入れでもしてるのか。綺麗だ」
ギルバートの裡を感情が渦を巻く。盗みや暴力にさらされてきたこの手が綺麗であるわけなどない。爪の手入れなど気にかけたこともない。割れれば布地に引っかかって面倒であるから噛みちぎった。手加減を間違えて指に接した部分まで剥いでしばらく痛い思いをしたことも少なくない。爪を切る用具を持つほど恵まれていなかったからいつも噛みちぎっていた。醜く裂かれた断面を舐めてなだめる。惨めだ。
「オレは、お前の血筋などどうでもいい。オレの兄弟であったら、その、愛し合えない。…だからお前がナイトレイの養子であって、オレは、嬉しい…オレと血縁上の関係がないなら好きになっても構わない、だろ…」
気を張るように吊りあがっている眉が今は穏やかだ。切れあがった眦も緩やかに瞬き、ギルバートを浅葱色が見つめる。亜麻色の短髪が毛先をそよがせて仕立ての良い服がエリオットの体つきの好さを魅せる。
 「オレはお前が好き、だ。だからお前が本当に血縁であったら、苦しい、と、…思う…」
愛に悩むなんてばかばかしいと思ったのに。エリオットが恥ずかしげに照れた笑みを見せた。張り上げる声のように気負い立つ気性の激しいエリオットには珍しい表情だ。エリオットは真摯で、だからこそギルバートは真意を言えない。

言ったらきっと、離れてしまう。

黙って紐を何度もやり取りする。聞こえないふりや気付かぬふりを通す。俺は好いてもらえるような身分じゃない。分不相応だ、必ず後で後悔するだから、だから俺に優しくしないで。伏せた金色の双眸が潤む。緩く癖のついた黒髪がギルバートの顔を上手く隠した。泣きだしたいと思った。こんなにも友好的に優しく気を使って、好意を告げてくれるなんて。なんて甘い。なんて、優しい。なんて、好きなんだろう。
 だがギルバートが近づくのをエリオットの周囲が赦しはしない。養子として籍をおいても血統としては部外者に等しい。ヴィンセントのように開きなおって横柄に振舞う強さもない。気付かれてはならない。言ってはならない。ギルバートは、エリオットがギルバートを嫌うように仕向けなければならない環境でもあった。エリオットへの感情的な対応の差はヴィンセントにも咎められた。エリオットなんてアーネストたちと一緒さ、大きくなったら僕達なんか嫌いだっていうよ。ヴィンセントの言葉はギルバートが信じる愛より現実的で冷静だ。だから、辛い。
 じわっと双眸が潤むのをギルバートが堪えた刹那、ばしんっと頭をはたかれた。目を瞬かせて顔を上げればエリオットが真顔でいた。中空にある手はギルバートの頭をはたいた張本人だ。
「馬鹿者が!」
厳しく言い捨てるエリオットにギルバートはぽかんと見つめるしか出来なかった。
「男たるもの早々に涙を見せるなッ!」
「エリー…」
ギルバートの言葉にエリオットの頬が赤らむ。それは辱められたと言うより照れくさいと言ったふうで、エリオット本人でさえそれをはにかみながら受けれいている。
「やっと、オレの名を呼んだ」
エリオットがにィッと笑う。歯をむき出すように笑む。尖った八重歯が印象的だ。エリオットがおずおずと伸ばした指先がギルバートの袖を掴んだ。抱擁するほど自惚れていない。抱きしめられないほど憶病でもない。ただ面映ゆいかのようにギルバートの袖を引いて、好きだと言った。
 「お前が、好きなんだ。ナイトレイにくる前のお前がひどく卑しいんだといろんな奴から言われた。でもオレはお前が好きなんだ。卑しい生まれであってもそんなこと関係ない。ギルバートが好きなんだ。守ってやりたいと、思う」
守ってやる。その甘い言葉はギルバートを虜にする。傷を開く。痛い痛い痛い痛い痛い。なのになんて、嬉しい。
「お前の髪の一筋も金色の瞳も、その肌も何もかもが愛しい。本当なんだ」
エリオットの言葉は真摯だ。だからこそギルバートは応えてはならない。エリオットはギルバートの存在を気にしなければ輝かしい未来を秘めている。ギルバートの存在など疎ましいと無視すれば安寧が待っている。だからギルバートは俺も好きだなどと応えてはならない。
 真っ直ぐに見つめてギルバートの返事を待つエリオットの表情は澄んで、ギルバートははねつけるのを躊躇した。なんて気高い。なんて美しい。その彼に向けてギルバートは罵倒しなければならない。悲しみや怒りに歪むエリオットを想えば気は進まない。けれどエリオットの将来を想えばそうしなければならない。ギルバートの唇がわななく。罵れ。はねつけろ。辱めろ。それなのにギルバートは毛布のように優しく包んでくれるエリオットを、心地よさから跳ねのけることさえできない。だって俺はお前のことを嫌ってなんかいないんだ。養子であっても兄という分類の中で分け隔てなく慕ってくれたエリオットを嫌いになんて思わないんだ。エリオットの公平な態度はひどく嬉しくてだからギルバートはエリオットが好きでだから。お前を傷つけたくないのに、今ここでお前に嫌いだと言って傷を負わせなければ将来にもっとお前を泣かせることになる。なんて辛い。苦しい。
「…ギルバート、お前がオレを嫌いでもいいから。せめてオレがお前を好きでいることだけは赦して」
ギルバートの金色の双眸が見開かれていく。エリオットを嫌いだなんて思わない。だがそれを伝えることは赦されない。黙って紐をいじるギルバートにエリオットが体を投げ出した。
「本当だ、本当にオレはお前が好きでお前がオレを嫌いでもそれは変わらないから」

神様。
ギルバートはオズが消えた時のように神に祈った。

せめて俺の体が滅ぶことで贖えるならこの弟を。
もう二度と傷つく恋などさせないで。

俺は滅んでいい。俺を滅ぼせ。
俺はもう俺なんか要らない。


《了》

微妙に悲恋っぽい! エリもギルも大好きだよ!              2011年1月3日UP

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