縋るように願う
75:生涯でただ一度
ルルーシュは不機嫌そうに歩を進めた。いつもの場所で待っているという用件のみのそっけない会話に気分がささくれ立った。こちらからはいっかな連絡がつかないくせにたまに何かよこしたかと思えば用件のみで色気もそっけもない。どうせ会うのだと自身を納得させてルルーシュはいつもの逢瀬の場所へ向かっていた。
木漏れ日の中、マオは陽の光を浴びて待っていた。地面に腰を下ろし、シャワーでも浴びるかのように背をそらしている。ヴァイオレットのゴーグルの上を光がキラキラと這っていた。そよぐ風が木陰を揺らし、ヴァイオレットがちかちかと光る。
「マオ」
「気付いてたよールル怒ってるから」
顔だけを向けてマオが悪戯っぽく笑った。マオの能力は読心だ。隠し事をするには忘却するしかすべがない。事実上不可能だ。だからルルーシュは始めから思考は読まれるものとして対処している。
「何か用か」
「用がなきゃ、駄目? ルルに会いたくってさ」
マオの指先がゴーグルを外した。ギアスの紋様煌めく瞳がルルーシュを射抜いた。ルルーシュは耐え切れず顔を逸らす。その頬がわずかに赤らんでいるのを見てマオが笑う。
「ルル照れてるの、可愛い」
長い腕が伸びてルルーシュの腕を取る。隣に強引に座らせるとギュウッと抱きしめる。
「マ、マオッ!」
「ルル、可愛いね」
ふわんとマオの香りがする。ヘッドフォンを外して、わざわざ頬を摺り寄せる姿は猫を思わせた。青灰色の髪が揺れ動いた。スイッチがきってあるのか放り出されたヘッドフォンから声はしない。それだけでルルーシュの気分はいくらか収まりがついた。
黙って抱きしめられるままになっているとマオが不思議そうに目を瞬く。
「怒らないんだね、ルル。いつもなら離せって怒鳴るくせに」
「無駄だと判ったんだ」
ルルーシュの言い草にマオはけたけたと笑い声を上げた。その震えが心地好く伝わってくる。
「まったく」
「へへへ」
笑う顔は楽しげだ。マオの細い目が眇められる。そうやって笑うとまるで狐目だ。
「ボク、ルルのこと好きだよ」
なんの気後れもなくそう言い切るマオは。
「…オレもだ」
ルルーシュの言葉にマオはさらに楽しそうに笑んだ。
その唇がフワリと触れ合う。肌の白いマオは唇がひどく紅い。血のように目に付くそれが触れ合った。
触れるそこから融けるようなとろけるような。
「マ、オ」
「えへへー嬉しいな、ルル」
驚いたようなルルーシュの様子にマオは声を立てて笑う。それはまるで幼子のように無邪気で他意のない。それでいて世界のすべてがそこで終わっているような。
その危うさに思わずルルーシュは声を上げた。
「お前が好きだ。オレがお前を」
マオの視線とルルーシュのそれとがかち合った。火花の散るような鋭さをもって。
「守ってやる」
ルルーシュが言った。
それは神に誓うように謳うように。
マオの腕がさらに強くルルーシュを抱きしめた。紅い瞳がゆらゆらと揺らぐ。
「えへへ、ありがとう、ルル」
抱きしめられて触れるそこからマオの体温が伝わってくる。温いそれはルルーシュの手の平からじんわりと染みてきた。ガッチリと首まで覆うチャイナドレスから零れるように伝わる体温。髪と同じように薄いブルーの服から溶け出してくるような。
「別に礼を言われることじゃないがな」
「素直じゃないねールルって。素直に喜べばいいのに」
そっけなく言い返すと即座に返事をする。ルルーシュはぐうの音も出ない。ふぅっと息をついてマオを見つめる。紅い瞳がルルーシュを見つめていた。
ルルーシュの大きな紫苑色の瞳。マオはそこに映りこんだ自身を見た。その目が優しくマオを見ている。ルルーシュは思慮深く、それ故にまるで一枚膜を張ったかのような感覚を呼び起こす。直接、触れられないそれ。それでもマオは構わないと思う。マオの能力の前にはそんな膜も意味がない。直に触れるそれはひどく脆く。けれどルルーシュはそんな脆さは感じさせず確固たる意志を持っている。それは強い紫苑色の目を見れば火を見るより明らかだ。
マオは笑みを深める。この強さは消えない。確かにそこに、在る。
「ルル、好きだよ」
甘い言葉にルルーシュは頷くだけだ。けして迎合しない。その意志のままに。
強い強い、ルルーシュ。
なんて。あぁなんて愛しいんだろう。
くすくす笑いながら抱きついてくるマオを軽くいなしながらルルーシュは自身の手を見つめる。もう何度血に染めたか判らない手。もうどれだけ汚れたか判らない手。それでも。
マオは受け入れてくれている
ルルーシュはマオの腕に目線を落とした。細い腕。縋りつくようにしがみつくようにマオはよく抱きついてくる。そうしていないとルルーシュが消えてしまうかのように。それは母親を探す子供にも似た。それに応えるようにルルーシュは腕を絡めて抱きしめ返した。
神に願う
生涯でただ、一度だけ
この温もりがまた、ありますように
この温もりが消えたりしませんように
ただ、願う
《了》