貴方がいないというのは
辛くて辛くて辛くて
73:再会の日
――何も、そう何も出来なかったのだ
思い出すたび無力感に苛まれる。あの時、己は。ただ流されるままされるがままに。藤堂の背中は広かった。その広い背は何もかもを背負って行ってしまった。それを引きとめるすべも力も朝比奈は有していなかった。
丸い眼鏡の奥、暗緑色の瞳が開く。闇の中ではまるで黒色をしている。瞳と同じ艶を持つ髪。切りそろえられた前髪が影を作った。
「オレにもっと力が、あれば」
口を突いて出た言葉が身に染みた。そう、力があれば。力さえ、あれば。
「思い上がるな、朝比奈」
凛とした声に朝比奈の顔が上げられる。四聖剣の紅一点、千葉がそこにいた。
「千葉さん」
朝比奈のへらっと笑う顔にも惑わされず千葉は朝比奈を睨んでいた。固い軍服に身を包みながら女性らしい曲線を体のラインが描いている。淡い栗色の髪はうなじの辺りでばっさり切られ、一見すると少年のようだ。彼女が少年でない証拠は膨らんでいるその胸だ。
藤堂を同じように崇拝し、従う立場の千葉とは仲違いをすることものなく良好な関係を築けていると思っている。諍いは口ゲンカだけで終わるし亀裂を生じさせるような深刻な意見の対立もない。朝比奈はどこかよそ行きの笑顔を向けた。千葉のこめかみが引きつる。
「珍しいね、千葉さんがオレに」
「聞こえなかったか朝比奈。思い上がるなといったんだ」
朝比奈の笑顔に千葉は惑わされない。
途端に朝比奈の表情が豹変する。飄々とした笑みはどこかへ消え、自嘲するような顔に変わる。わずかに俯き眼鏡が白く輝いた。
「…敵わないなぁ」
朝比奈は額を膝につけるように丸まった。そうしているとまるで傷ついた一人の少年だ。だが千葉は手を出さない。手を出したところで結果は知れている。朝比奈が必要としているのは求めてやまない人物だけだ。
「…藤堂中佐の件はお前だけの責任では、なくて…」
珍しく言葉を選ぶような千葉の言葉に朝比奈は隠れて笑った。藤堂がいた頃は二人してよく張り合ったものだ。若輩の朝比奈と千葉は性質が近いのかよく互いに張り合っていた。対抗意識があったのかもしれない。四聖剣の中で千葉と朝比奈だけは良くも悪くも張り合っていた。
「ありがとう。でもね、藤堂さんはオレの、存在理由なんだよ」
それをこんなにも簡単に、奪われて。
――奪わ、れて?
朝比奈の目が昏く煌めいた。そこに普段の朝比奈から窺える軽妙さはない。ただ真っ直ぐにどこまでもどこまでも暗い。夜闇のような深い闇。
千葉にはかける言葉が見つからなかった。ただ暗く重い何かがそこに。それを解き放つにはどうしたらいいのかが判らない。それを解くには何を、どうすればいいのか判らない。
「ごめん、千葉さん」
絞り出すような朝比奈の言葉に、千葉はその場を後にした。
結果として四聖剣は黒の騎士団を頼った。ゼロの立てた作戦は功を奏し、四聖剣は藤堂を取り返した。
「すまなかった」
凛と響く藤堂の声に背筋が伸びた。鋭い眼差しも健在だった。少し痩せたかもしれない。拘束されていたのだ、そのくらいですんでよかったと思うべきなのかもしれない。
「藤堂さ、ん」
朝比奈の喉はからからに渇いていた。声がかすれる。目の奥がジワリと熱くなった。暗緑色の目が見る見る潤む。茶褐色の髪の鳶色の瞳も浅黒い皮膚も。何もかもが欲していたものだった。そのすべてが愛しい。
「藤堂、さん!」
喉が引きつって裂けていくようだった。血反吐を吐くような声が聞こえるはずもない。けれど。
藤堂は振り返った。
その口角がつり上がって笑いをかたちどる。
『朝比奈』
――あぁ
唇が動いた。わずかな動き。けれど朝比奈がそれを見逃すわけもなく。呟かれた言葉に朝比奈の体が震えた。藤堂は確かに帰って、きた。
ゼロが手こずっていると言う白い機体をいいところまで追い詰めることに成功しながら、ゼロは撤退を命じた。作戦は結果的には成功し、藤堂の身柄も確保した。追っ手を撒き拠点にたどり着くと朝比奈は月下から飛び降りた。藤堂の乗る機体のもとへ駆け寄る。ハッチが開き拘束服姿の藤堂が顔を出した。
「藤堂さん!」
子供のように大きく手を振る朝比奈に、藤堂は苦笑して小さく手を振った。それがひどく嬉しくて朝比奈はさらに大きく手を振った。藤堂が身軽に月下から降りてくる。
「藤堂さん」
子犬のように駆け寄る朝比奈に藤堂は微笑した。朝比奈は解放を言祝ぐ群れの先頭に立ちながら黙って藤堂を見つめていた。
ある程度返事をしてから藤堂は朝比奈の元へきた。
「朝比奈」
「藤堂さん」
無邪気な子供のような全開の笑顔を見せる。目の上を走る傷がなんだか痛々しい。眼鏡の奥の目が潤んだように光を帯びた。
「腕を上げたか」
「ありがとうございます」
藤堂の大きな手が朝比奈の髪をクシャリとかき混ぜた。心臓がドクンと脈打った。
――コレは、ヤバ、い
意識する間もなく目が濡れる。ぽろっと雫が滑り落ちた。
「すまなかったな」
「いいえ。…いい、え」
フルフルと首を振る。眼鏡を押し上げて目元を拭う。朝比奈が拘束服姿の藤堂に抱きついた。藤堂は咎めるでもなく好きにさせている。
「藤堂さん、もうどこか行ったりしないでください」
「気をつけよう」
軽く笑って藤堂は真面目に答える。朝比奈は顔を押し付けて涙を拭った。
やっと、会えた
それは
再会の日
《了》