貴方を手放さないための
44:腕の見せ所
藤堂中佐を引き止めて置けるものは何もなかった。けれど藤堂はこの部屋に留まりディートハルトの相手をしている。
「貴方は本当に可愛い人だ」
「男に向かって可愛いなとど言うものではない」
誉め言葉すらきっぱりと否定され、その潔さにディートハルトは笑った。
茶褐色の髪。浅黒い皮膚と凛とした瞳。他者を寄せ付けないその雰囲気がディートハルトの気を誘った。ぶち壊してみたくなる。
「可愛いから可愛いといって何が悪いのです」
言うが早いか口付ける。薄く開いた歯列をなぞり、逃げを打つ舌を絡め取る。流し込んだ唾液を藤堂は従順に嚥下した。
態度は従順。なのに。どこか手に入らない何かが。楽園で知恵の実を囁いた蛇のように執念深く何かが。それはそう奥底からわきあがってくる、欲望。
ねじ伏せてやりたいと。跪かせてやりたいと。けれど額づく藤堂を己は受け入れないであろう事をディートハルトは知っている。
「貴方はそんなじゃないでしょう?」
「ディートハルト?」
従順に口付けを受け入れた藤堂が怪訝そうにディートハルトを見つめる。
「何してるんですか!」
甲高い声に藤堂とディートハルトが同時に振り向く。声の主は朝比奈だった。
「キス、ですけど。何か不都合でも?」
ディートハルトが挑戦的に朝比奈を見やる。朝比奈の目がギロリとディートハルトを睨んだ。眼鏡の奥の目がきらりと煌めく。
「十分、不都合ですよ」
「朝比奈!」
藤堂の叱責の声も朝比奈には届かない。
「なんだって藤堂さんを連れ出してこんないかがわしいことするんですか!」
ディートハルトはクッと笑った。喉を震わせ、哂った。
「私は何もしてませんよ? ただ、口付けていただけです。それが何か?」
「それが不都合だって言うんだよ!」
「朝比奈」
今にも飛び掛りそうな朝比奈の様子に藤堂が肩に手をかけて止める。それを朝比奈は驚いたように見つめる。
「藤堂さん」
「落ち着け、朝比奈」
言ったそばからディートハルトの指先が藤堂の下顎を捕らえる。そしてそのまま口付ける。
男の体の中で数えるほどしかない柔らかな場所。触れ合うそこは熱く、濡れていた。
「卑猥ですね」
「それはお前だ!」
ディートハルトに朝比奈が突っ込んだ。当の藤堂は何でもないような顔をして。
朝比奈の目の奥がジワリと潤んだ。眼鏡が煌めいて瞳に危険な色を宿す。
「藤堂さん!」
「なんだ」
「そんな、されるがままになってないでくださいよ!」
朝比奈の悲鳴のような言葉に藤堂は自身の唇に触れる。ディートハルトに散々口付けられた箇所だ。朝比奈だって触れている。そう、何度も何度も。
「英雄はおもてになるようだ」
クックッとディートハルトは喉を震わせて哂った。それはどこか嘲りのような羨望のような。藤堂の眼差しがディートハルトを射抜いた。それは、そう真っ直ぐに。目をそむけることを許さない真っ直ぐさ。それは時として人を傷つける真っ直ぐさで。
ディートハルトの指先が藤堂の下顎を捕らえた。そのまま唇を乗せる。キャンキャンと喚く朝比奈は無視して唇を重ねた。角度を変え、舌を絡め唾液を流し込む。藤堂は従順にそれを嚥下した。
「あなたらしくもない」
ディートハルトの言葉に藤堂はフッと微笑んだ。
「俺らしいというのはどのような状態を言うんだ?」
ドクンと、心臓が脈打ったような気がした。朝比奈の目が藤堂から離れない。
「いい夢でも見させて上げましょうか」
「それくらい、オレだって出来ます!」
ディートハルトの言葉に張り合うように朝比奈が言葉を紡ぐ。
その意味も知らず藤堂は目を瞬かせるだけだ。
「夢?」
「そう、夢ですよ」
「藤堂さん!」
ディートハルトの甘言を朝比奈が未然に防ぐ。分がないと悟ったのかディートハルトは体を引いた。
「今日は邪魔が入りましたね」
「邪魔ってなぁ!」
苛ついた朝比奈の声。ディートハルトの低音は心地好く響いた。
「また、今度。夢を見させて上げますよ」
「また今度なんてない!」
ギッと睨む朝比奈の目が本気だ。藤堂は黙って二人のやり取りを見ているしかすべがない。
「夢ぐらい、オレだって見させられます!」
「夢?」
知らぬは本人ばかりなり。
怪訝そうな藤堂をよそにディートハルトと朝比奈の間に火花が散っている。
「ディートハルト、からかうのは止めてくれ」
「どうぞ、仰せのままに」
恭しくお辞儀をする、その仕草すら朝比奈は憎憎しげに眺めている。
「藤堂さん!」
「なんだ?」
遠ざかっていくディートハルトから目線をずらしてそう問うと、朝比奈は一大決心でもしたかのように真っ直ぐ藤堂を見つめてきた。
「オレ、藤堂さんのこと、愛してますから!」
あんな奴よりずっとずっと
「ありがとう」
眦を下げて微笑む藤堂の顔に朝比奈は魅入られる。珍しいことだ。
藤堂が眦を下げて微笑むなど。
手離さない手離したくない
そのためのテクニック
「ねぇ、許してくれますよね?」
朝比奈の縋るような言葉に思わず頷く。それだけで朝比奈はたまらないような笑顔を見せる。それは聖母に誉められたかのような。すべての許しを得たもののような。
「愛してます、藤堂さん」
甘い言葉。藤堂はそれを飲み込めずにいた。甘い菓子のようなそれを飲み込んでしまえばどんなにか楽だろう。けれど。だけど。
「朝比奈」
「省悟って呼んで下さい」
罪のない笑顔で微笑まれては。藤堂にはなすすべがない。
「省悟」
甘い甘い言葉。朝比奈はそれを受けいれた。
「藤堂さん。オレが天国見せてあげますよ」
そう言う朝比奈の手が藤堂の軍服の前を開いていく。藤堂は朝比奈にされるがままだ。
連れ込まれた倉庫で藤堂は天国とも地獄とも思えるものを見た。
そうそれは確かに。天国だッた。
手離さない、そのためのテクニック
《了》