それは唯一つ


   40:希うのは

 目の前の光景に苛立ちが募った。この人はどうしてこう。あぁ、もう。
怒り狂わんばかりに朝比奈は身悶えたくなった。ズンズンズンッと歩を進めて気付いたのはブリタニア人。
「おや」
楽しげなその声色にからかいが混じったことに気付いてさらに苛立ちが募った。当の本人は振り向くと、朝比奈、と名を呼んだ。
「藤堂さん!」
「どうした、朝比奈」
「どうしたもこうしたも!」
怒り狂う朝比奈に藤堂は訳が判らないといった顔だ。それをディートハルトは楽しげに眺めている。それは勝者の余裕にも似た、眇められた瞳で。
 「邪魔が入りましたね」
「邪魔ってなァ!」
ディートハルトの言葉に朝比奈が噛み付く。ディートハルトは楽しげに言葉を紡いだ。
「おや、貴方にこの英雄の所有権でも? 話くらい自由にさせてくださいよ」
そう言うディートハルトの目が邪まに輝いた。
長い指先が藤堂の顎をついと持ち上げる。
「貴方にはメディア関係者としても個人としてもとても興味がある…」
「…光栄だ」
「藤堂さぁん!」
当の本人はどこ吹く風だ。全くの無防備。
 そんなだから。苛立つ朝比奈をディートハルトはふふんと哂う。見せ付けるように指先が顎から喉仏へと下りてゆく。その手を朝比奈が叩き落とした。
「朝比奈!」
叱責する響きに朝比奈の目が見開かれる。
傷ついたようなそれに藤堂が怯む。朝比奈の声がカタカタと震えた。
「藤堂さん」
「朝比奈、俺は」
「藤堂さん、オレよりアイツを取るんですか?」
「は?」
ふるふると体を震わせているのはまるで子犬のように愛らしいのだが、台詞が伴っていない。その言葉はどこまでも悲劇の中にあった。
 ただ手を叩き落したのはやりすぎだと言いたかったのだ。ただ、それだけ。なのに朝比奈は目の前で、眼鏡の奥の目を潤ませて震えている。事の齟齬に藤堂は戸惑いを隠せなかった。朝比奈はこんな脆弱な男だっただろうか?
「アッハッハッハ」
声高な笑い声に藤堂と朝比奈が同時に視線を向けた。視線の先ではディートハルトが腹を抱えて笑い転げている。
 そのあまりにも堂々とした嘲笑いかたに藤堂は非難することを忘れた。朝比奈がギッとディートハルトを睨みつける。
「何がおかしい!」
涙声の朝比奈にやっぱり訳が判らないと藤堂は思った。
「ここまで通じてないとお笑い種ですよ、っふふふ」
「黙れ!」
猫だったら全身の毛を逆立てているだろう剣幕で朝比奈が怒鳴った。
ディートハルトは笑い涙を拭いながら藤堂に視線を向けた。
「貴方も罪な人だ」
「…それは、どういう」
意味だ、と問う前に朝比奈の怒鳴り声が響き渡った。
「黙れ!」
「おやおや」
ディートハルトが肩をすくめる。
 「朝比奈!」
責めを含んだ声色に朝比奈の目が潤む。
「藤堂さん、オレの事嫌いなんですか?」
「そうじゃなくて」
「じゃあなんですかッ」
朝比奈の声が悲鳴のように甲高い。藤堂の眉が知らずにキュッと寄る。その動きすら過敏になった朝比奈には毒だったようで。興奮で紅潮した朝比奈の顔。目の上を走る傷痕が肉色に浮き上がって見えた。
 「さっきから一体どうした、お前らしくもない」
「藤堂さん」
心から心配するような言葉に返す言葉がない。その凛とした眼差しは健在だ。射すくめられたように朝比奈は動けない。
「ほらほら、そんなに見つめては彼が可哀想ですよ」
明るく響いた声に藤堂の眼差しがずれ、顔がディートハルトの方を向いた。
「ディートハルト」
「藤堂さん!」
「朝比奈!」
明らかな叱責に朝比奈がぐぅと言葉に詰まる。くすくすとディートハルトが笑う声が聞こえた。藤堂がため息をつく音がした。
 「ディートハルト、からかうんじゃない」
「それは、どうも」
藤堂の困ったような顔にディートハルトは笑みを深めて恭しくお辞儀をした。
朝比奈の眼差しがディートハルトを射殺しそうだ。きつい眼差しにもディートハルトは笑みで応えた。それは親愛というよりは勝者の余裕のような、そんな笑みで。
「――…〜ッ!」
地団太踏む朝比奈の様子に藤堂は怪訝そうだ。頭の上にクエスチョンマークが飛んでいる。
 「それじゃあ、失礼しますよ」
クスクスとまだ笑いながらディートハルトが声をかけた。
「あぁ」
藤堂が短くそれに返事をする。朝比奈はそんなことにすら歯噛みする。
立ち去るディートハルトの背中を呪詛の念でも出てきそうな雰囲気で見送っていた。
 「朝比奈」
これでようやく向き合えると藤堂が声をかけると待ちかねたように朝比奈が振り向いた。
「はい」
「…さっきの質問の繰り返しなんだが。一体どうした? お前らしくもない」
またしても朝比奈がぐぅといって言葉に詰まる。藤堂は辛抱強く朝比奈の返事を待っている。朝比奈の視線が所在なげに動き回った。不審な態度に藤堂の疑問は深まるばかりだ。
「省悟」
「う、あ、あ、だってッ」
数瞬身悶えた後に朝比奈は縋りつくような目で藤堂を見た。
 「藤堂さん! アイツにはなんだかすッごく優しいから!」
藤堂の眉根が寄る。その顔はそれがどうしたといわんばかりだ。あぁ、もう。
「悔しかったんです! 藤堂さんにそんな顔させて!」
あんなふうに。くだけて話しているのを見るのは久しぶりで。だからこそ。
「オレ達四聖剣だけだと思ってたのに」
たとえそれがディートハルトの話術によるものだったとしても。だからこそ。
「悔しくて! それだけですッ!」
最後の言葉は泣き声のように甲高かった。
 藤堂の眉間のしわが消えた。驚いたような表情に朝比奈は穴があったら入りたいと心底思った。
「そんなことか」
「そうですッ」
真っ赤になって泣き叫ぶように言う。その頬に手を添える。興奮で紅潮した頬は熱く。
「藤堂さ」
朝比奈の言葉がそこで途切れた。額に触れる柔らかな感触。クシャリと髪をかき混ぜる藤堂の顔が紅かった。
 見る見る朝比奈の顔が緩む。額に触れた感触は確かに。
「藤堂さん」
「機嫌は直ったようだな」
フイと顔を背ける藤堂の服の裾を引っ張る。渋々向けられた藤堂の顔は伏し目がちでその目元がうっすら紅い。

「ありがとうございます」

満面の笑みに藤堂が目を瞬いた。そのすぐ後に藤堂自身もフッと笑んだ。
「たいしたことじゃない」
ピク、と朝比奈が揺れた。朝比奈の目が眼鏡の奥で光る。
「それ、誰にでもしてるって事ですか」
「するか!」
唇を尖らせた朝比奈を思わず藤堂が怒鳴りつけた。そのすぐ後で藤堂が失策に気付く。
予想通りにんまりと笑った朝比奈の顔がそこにあった。
「良かった」
心から安堵したように言われて。微笑まれて。藤堂は顔に血が上るのを感じた。
 苦々しげなその顔で、それでも満足げな朝比奈の顔に。許してしまう。
「…お前だけだ」
「え」
藤堂の言葉に緩んでいた朝比奈の顔がきょとんとする。
ふぅッと大きく息をついて藤堂は熱を逃がそうと必死だ。零れたその言葉に朝比奈は飛びついた。
「それ、本当ですか」

「藤堂さん」

「藤堂さん」

子犬のように飛びついてくる朝比奈をあしらいながら藤堂は返事をしない。
その頬は紅く。それが何より雄弁だった。
「オレも、藤堂さんだけです」
藤堂の目が朝比奈の方を見た。鳶色の凛とした瞳。魅入られる。
「オレも、藤堂さんだけです」
従順に繰り返して言うとそうかと、藤堂は短く返事をしただけだった。
けれどそれがひどく貴重であることを朝比奈は知っていた。
 「えへへへ」
緩んだ笑い顔のまま藤堂に抱きつく。
「朝比奈ッ」
「いいじゃないですかこれくらい」
さっきキスしてくれたくせにィ、と言うと今度は藤堂がぐぅと言葉に詰まった。
その顔が紅い。

愛しい

「ふふふ」
「――…ッ」
「ねぇ藤堂さん」
返事はない。それでも朝比奈は言葉を紡いだ。それは祈りにも似た。
「オレのこと、嫌わないでくださいね」

希うのは

「嫌いに、ならないでくださいね」

ただそれだけ


《了》

藤堂さん命の朝比奈に萌え   03/24/2007UP

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