今ここに
 改めて


   29:もう戻れない

 ザッと一息に鋏を入れる。鮮やかなエメラルドグリーンの色をした髪が一房、床に落ちる。
それに誘われるようにヴァルガーヴは鋏を入れた。
ジョキジョキと音を立てて髪を切る。乱雑に切った髪はそれでも、顎の辺りで揃った。
床に散らばるエメラルドグリーンの海。

「派手に切ったな」

扉の方からした声に目を向けるとガーヴがいた。燃えるような紅い長髪。たくましい長身を今はロングコートで包み隠している。己を竜族から魔族へと転化させた、男。
 「ガーヴ様」
名前を呼ぶとガーヴが笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。その指先が切ったばかりの髪先をもてあそぶ。
「ずいぶん、バッサリいったじゃねぇか」
からかうように言われてヴァルガーヴが頬を膨らませた。
「切る前の方がよかったですか」
「そういうわけじゃあねぇよ」
噛み付くようなヴァルガーヴの言葉にガーヴは苦笑して答えた。
 うねる大蛇のように長かった髪が今は顎の辺りで切りそろえられている。
鮮やかなエメラルドグリーンの色はひどく目を引いた。だから。
「勿体ないような気がしてな」
「ガーヴ様」
ヴァルガーヴがキスをした。触れるだけの甘い口付け。
「髪は伸びます。…俺は、ガーヴ様のものです」
「どうした、今日はずいぶん殊勝じゃねぇか」
決意表明をガーヴは笑って受け流した。ヴァルガーヴの目がキッとガーヴを睨みつけるように見つめる。
「本気です」
「いつもそんなだといいんだがな」
時々、城を抜け出してやがるだろうと言うとヴァルガーヴの顔が青ざめた。
「――…知って」
「気付くぜ。俺だってそれほどもうろくしちゃいねぇよ」
ヴァルガーヴの手が鋏を取った。ガタンと音を立てて開けた抽斗。
中にあったのは手の込んだ細工の施された髪留め。
 「高価そうなもんじゃねぇか」
ヒュウと口笛を吹くガーヴに気付かず、ヴァルガーヴの脳裏に一人の青年の姿がよぎる。

「似合いますよ」

そういってこの髪留めを渡してきたのは。

ゼロス

「誰に貰ったんだ、あん?」
 ひょいとガーヴの手が髪留めを掻っ攫う。
「ガーヴ様!」
慌てたヴァルガーヴの手をガーヴは意地悪く避けた。
「言ってみろって、怒らねぇから。誰からだ?」
ただの揶揄。それでもヴァルガーヴにはそれ以上に思えて。
「ガーヴ様! お戯れはいい加減に…!」
必死に敬語を混ぜて髪留めを取り返そうと手を伸ばす。
「意外と口、堅いんだなお前」
「ガーヴ様!」
ヴァルガーヴが必死に手を伸ばす。その指先が触れようかという位置でガーヴが手を止めた。
「言えって」
 「…ゼロス、です」
観念したヴァルガーヴがようやくその名を口にした。
その衝撃にガーヴは目を瞬くだけだ。
 「ゼロスってお前、あのゼロスか」
ヴァルガーヴは黙ってこくんと頷くだけだ。ガーヴが再度口笛を吹いた。
「お前、よっぽどの大物なのかもな」
「はぁ?」
クックッと笑って言うガーヴのことばに敬語も吹っ飛んだ。
「返せよ!」
付け焼刃の敬語は吹っ飛び地が出てくる。乱暴な言葉遣い。だが、ガーヴはそれを咎めるでもなくヴァルガーヴに髪留めを返した。
 凝った細工の施された髪留めだ。ヴァルガーヴの目のような琥珀がはめ込まれている。
「特に魔力は感じねぇな」
ただの宝石細工だ。護符などの威力はないに等しい。ただの、髪留め。
でも。だからこそゼロスはヴァルガーヴにこれをよこしたのだろうと。
「で? お前はそれをどうするんだ。もう必要ねぇだろ」
「俺は…」
 捨ててしまえばいい。もう用などないのだ。不必要なもの。

だけど。

ヴァルガーヴは黙って引き出しに仕舞った。
これを贈ったゼロスの想いを思うと。
簡単に捨てることなど出来なかった。
 己が竜族であるしがらみを捨てきれないように。
半端ものでいい。分不相応だと罵られてもいい。

ただ、とっておきたかった。
ただ、捨てることなど出来なかった。

「ふぅん」
「俺を怒りますか」
鼻を鳴らしたガーヴにヴァルガーヴは問うた。
 
ゼロスの贈り物を捨ててガーヴに尽くすと言い切れぬ己を。
ゼロスの想いを捨ててガーヴに尽くすと言えぬ己を。

 「怒りゃしねぇさ、お前の好きにしろ」
ガーヴはにやりと笑んだ。ヴァルガーヴは驚いたように目を瞬く。
「ガーヴ様」
「しがらみってのは、そんな簡単に振り切れるもんじゃあねぇんだよ」
ガーヴの大きな手がヴァルガーヴの髪をクシャリとかき混ぜた。子供にするような仕草に、普段なら噛み付くだろうヴァルガーヴがされるがままになっている。
 「ガーヴ様…!」
その体にヴァルガーヴが抱きついた。
「と、おっと」
突然のそれにガーヴが受身を取ろうとする。ベッドの上に二人の体が倒れこむ。
ギシリとベッドが二人ぶんの重みに軋んだ音を立てた。
 「俺、俺…」
ぼろぼろと涙が零れて仕方なかった。無様だと、みっともないと判っていてなお、涙は止まらなかった。
ただただ、申し訳ないような、哀しさにヴァルガーヴは泣いた。

ガーヴよりゼロスを取ったわけじゃない
でも
ゼロスに貰った髪留めを捨てることは、ヴァルガーヴには出来なかった

 その体をガーヴがギュウッと抱きしめる。
「泣くんじゃねぇ」
「俺…」
「判ってる。判ってるから泣くな」
ガーヴの優しげな笑みに涙はさらに零れた。
己は許されているのだと。
 「俺は…俺は、ガーヴ様のものです…!」
宣誓するように真っ直ぐ、ヴァルガーヴは誓った。その誓いをガーヴは黙って聞いていた。

もう戻らない。過去は振り返らない。
俺は。
魔族に反旗を翻したガーヴという名の男に。
ついていくと。

そう、誓った。

抽斗の奥深く、仕舞われた髪留めとガーヴだけがヴァルガーヴの泣き声を聞いていた。


《了》

なんかバッドエンドくさい   03/10/2007UP

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