世界のすべてが終わっても
お前さえいれば
28:完璧な世界
風が頬を撫でていった。艶やかな黒髪が風にそよぐ。紫苑色の目は思慮深く煌めいていた。人気のないこの隠れ家的な、この場所で、ルルーシュはほぅと息をついた。
考えることはたくさんある。
ゼロとしての立場や作戦や指揮や国家との戦いの準備だとか。
けれどそれらのすべてを考えようとすると頭の中が飽和して身動きが取れなくなる。
「…俺もまだまだだな」
まだ。そう、まだ子供。一国を転覆させるなど絵空事に近いのかもしれない。けれど。
そこには許しがたい感情と事情があって。
俺はゼロになったことを後悔しているのだろうか
ルルーシュは頭を振ってその考えを振り払った。
テロリストとして祖国ブリタニアに刃を向けることを躊躇う必要はない。
考えもしなかった。だから。
必要に応じて動き状況に対処し、隙は作らない。ずっとそうしてきた、はずだった。
「ゼロ」
かけられた声に目を見開いて振り向くとニヤニヤと笑った青年が立っていた。
細身の長身。肩を覆う布と首までガッチリとガードされた服。かつて銃口を向けた、事もある相手。
「マオ」
そう名を呼ぶと嵌めていたヘッドフォンを外して座っていたルルーシュのそばへ歩み寄ってきた。かつて負わせた怪我はまだ完全には癒えてはいなかったけれど。
けれどそんなことなどなかったかのようにマオはルルーシュに近づいてくる。
「珍しいね、ルルが一人でいるなんてさ」
くつくつと喉を震わせ、笑う。
思考を読むというギアスの能力を持つマオの前で隠し事など無意味に近い。ルルーシュは素直に返事をした。
「俺だって考え事をする時間が欲しいときくらいある」
「一人で? ゼロとして何をするかとか?」
「ここでその名を口にするんじゃない」
ギッとキツくマオを睨みつける。どこで誰が聞いているか判らないのだ。
おおこわ、とマオが肩をすくめた。マオは幼い子供のように無邪気にルルーシュに話しかけてくる。そこには打算も計略も思惑も、何もない。
ただ純粋にマオの興味があるだけだ。
「マオ」
名前を呼ぶとマオは全開の笑顔を見せる。
「何、ルル」
それはとてもとても嬉しそうに。誉められた子供のように輝く笑顔。
ルルーシュの指先がマオの前髪をいじる。青灰色の髪。その瞳は滅びの刻印を浮かべ紅く揺らめいている。蠱惑的な目だ。指先を滑らせ髪からその頬へと指先を移動させる。
白い肌。男の体の中で数少ない柔らかな場所に触れる。そこだけは紅く。唇。
「お前は、俺が好きか」
「キライだったらここにいないよー」
けたけたとマオが笑った。ルルーシュもつられたように笑んだ。その微笑にマオが目を瞬く。ルルーシュの顔に広がった笑みは、彼には珍しく慈愛だとかそんな、優しさを感じさせるものだったから。
「ルル、今の顔、すごくッ綺麗だったよ」
マオがはしゃいでそう言うとルルーシュはてれたように頬を紅く染めた。
「お世辞を言うな」
「本当だってば、ルルは疑り深いなぁ」
ルルーシュの思考を読んだマオが唇を尖らせる。自分の主張が認められなくて不機嫌を起こす。ルルーシュは呆れたようにため息をついた。それを見たマオがまた騒ぎ出す。
「今、面倒だなって思った! ルルの意地悪! ケチ!」
思考を読まれてルルーシュの顔がしかめられる。思考を読むギアスの能力は思った以上に厄介で。ルルーシュとマオはいつもこんな言い合いを繰り返している。
「思ってない」
「嘘! 思ったくせに!」
マオが拗ねたようにそっぽを向いた。その手がヘッドフォンに伸びたのを見てルルーシュはさらに眉間にしわを寄せた。
「マオ」
「なにさ」
拗ねた口調。顔を向けてもくれない。そっぽを向いてすねている。
愛しい
心の底からそう思った。
可愛いマオ
お前のためならなんだってしたっていいよ
シーツーなどには、あんな身勝手な女などには渡さない
「ルル」
振り向いたマオ。そうと意識する前に唇が重なっていた。
柔らかな唇。
肌の白いマオの唇はひどく紅く目に灼きついた。その唇が今、己のそれと触れ合っている。
触れ合うだけの軽いキス。それでもルルーシュは我慢できずに手を伸ばした。
両頬へ手を添え、さらに深く口付ける。開いた歯列の隙間から舌を潜り込ませると逃げる舌を追ってさらに侵入を果たす。流し込む唾液。絡めた舌を吸い上げる。
「…ッは、ぁ」
「なんだ、キスくらいで感じたのか?」
愛しいマオ
可愛いマオ
お前はどこまでもどこまでもそのままでいて
「ルルのエッチ…」
子供っぽい言い草にルルーシュは思わず噴出した。途端に顔を真っ赤にしたマオがルルーシュに噛み付く。
「ルル! スケベ!」
「あぁ、スケベで結構だ」
腹の底から笑いながらルルーシュはそう言った。
マオの細い体に腕を回してギュウッと抱きしめる。
その耳元で甘く囁く。
シーツーなどには出来ないことを。シーツーなんかが言わないことを。
卑猥な台詞と考えにマオの顔は発熱したように赤くなる。
「お前が抱きたい」
「ルル…!」
困りきったマオの顔。八の字に下がった眉と潤んだ瞳。赤らんだ頬。
そのすべてが愛しい。
お前がいれば
お前さえいれば
そこで世界が終わっても構わないほどに
お前が好きだ
ルルーシュはくつくつと喉を震わせて笑った。マオがいつもしているヘッドフォンのようにその手をマオの両耳を包むように這わせた。
「お前こそが鍵だ」
お前がいれば
お前さえいれば
それが
完璧な世界
お前のいない世界など要らない
お前はいなければ意味がない
お前が。お前が。
愛している
「ルル」
発熱したように真っ赤な顔をしたマオがルルーシュの手の上に己が手をかぶせる。
「マオ」
二人は再度キスをした。
まるで世界のすべてに対して誓うように。
世界のすべてがそこで終わっているかのようにルルーシュは満足だった。
《了》