詩のように歌のように
滑らかに滑り出るそれは
26:恋情歌
「マオ」
ルルーシュの声はよく通る。その声にマオが振り向く。撃たれた傷はもう癒えかけている。
マオは何か用かと言わんばかりの顔でルルーシュを見つめる。ルルーシュは艶やかな黒髪を払った。紫苑の瞳はマオを見つめる。
「お前にやるものがある」
それでもマオは警戒を解かない。幼い頃に得たギアスの能力でルルーシュの心を読むが無駄だった。ただそこにあったのは静寂。凪いだ海のように静かな。
「ルルがボクに?」
確かめるように問うとルルーシュは固い表情のまま頷いた。
「ナナリーにはもう謝ったよ? ボクに何の用があるって言うのさ」
「用がなければいけないのか?」
ルルーシュの言葉は威圧的だ。ムッと息を詰める気配にルルーシュが微笑んだ。
「お前にやるものがあると言っただろう」
「ルルからボクに? ヘェ、何さ」
ポーンと放られたそれは放物線を描いてマオの手元へたどり着く。
「テープ?」
「シーツーの声に飽きたら聞けばいい」
カシャッと音をさせてふたを開きテープをセットする。カチリと再生ボタンを押すとルルーシュの威圧的な声が流れ出した。
『俺だけを見ていろ。俺だけがお前を愛することが出来る』
マオの口元が笑んだ。
『愛している』
マオの口角がつり上がる。見開かれたその目はギアスの能力によってか、紅く揺らめいている。煌めく瞳。滅びの紋章が浮かび上がっている瞳。それは己のと同じ。
「まさかルルからもらえるなんて思ってなかったよ、お礼はどうすればいいのかなァ」
「礼など期待していない。シーツーの声に飽きたら聞けばいい」
冷たく突き放す。それでいてその背はかけられる声を期待している。
マオがいつもシーツーの声を聞いているのを知っている。覚えたのは嫉妬。
ただ悔しかった。あの身勝手な女に己は劣るのかと。ただ、それだけだった。
「ルル」
マオの声が案外近くに聞こえた。身構える間もなく唇が重なる。入り込んできた舌先はからかうように歯列をなぞり、舌に絡みつく。唾液を流し込まれてそれを嚥下する。それを満足げにマオは見ていた。それがひどくルルーシュの気に障った。
「ありがと」
素直な礼の言葉にすら裏を考えてしまう。そんな己が小さく見えた。
「ルルは小さくなんかないよ」
読まれる。思考を読むというマオのギアスはなかなかに厄介で。
オフにならないと言うその能力ゆえに揺らめく瞳。紅くキラキラと紋章を浮かべて揺らめく瞳はひどく蠱惑的で。そそられる。
「ルル、ボクを抱きたいの」
あっはっははは、とマオが笑った。その長身を屈めて笑う様子には殺意すら覚える。けれど。殺意すら覚えるその体を、己が体の下に組み敷いたらどうなるだろうと。
抱きたい。それは素直にそう、思った。
「ボクを抱くのはまだ早いんじゃないの?」
学生なんだしさァと嘯くマオが小憎らしい。首までガッチリと覆う襟。けれど体のラインを強調するような服装と裾に目を奪われる。細いその腰にむしゃぶりつきたくなる。
その奥は自身が嵌めた策略によって負った傷の所為で包帯だらけのはずだ。
傷だらけの体。そうしたのは己自身だというのに。
後悔。
懺悔。
そう言った感情が沸き起こってくる。それを読みとってマオは笑う。
「ルルらしくないなァ」
ニィとマオが笑んだ。それはどこか感傷的な。求める目だ。
「ルルはもっと強気でいるべきだと思うけど」
強気。それはどこか傲慢な己を責めているように聞こえた。
ルル、とマオが呼ぶたびに。体中のすべてが鼓動する。その髪も目も皮膚も何もかもが。
呼ばれるたびに震える。それは歓喜や悦楽にも似た。そんな感覚。
「マオ」
名前を呼ぶと嬉しげに飛びついてくる。その様はまるで子犬のような。愛らしい。
「何、ルル」
紅く揺らめく瞳。そこには滅びの紋章が浮かび上がっている。己に宿した、ギアスと同じ。
シーツーとの契約の証。マオはただ従順に命令を待つ。ルルーシュにとってそれは僥倖でしかない。マオの能力は使えるものだ。人の思考を読み取る。考えが判ることほど楽なことはない。ゼロとして付き合うには申し分ない能力だ。
「ルル?」
マオの表情が不安げだ。何かに縋りつくようにしてこの男は生きている。
それはシーツーであったりまた別の何かであったりした。
その下顎を捕らえて口付ける。
少し乾いた唇。男の体の中で数えるほどしかない柔らかな部分の接触にマオは戸惑いを見せた。その下唇を甘く噛んで余韻を残す。舌先が銀糸で繋がった。
「ルル」
「なんだ」
「ボクの中で、ルルがシーツーより上になってるか気になってるんだろう?」
思考を読み取るという能力は本物で、それに抗うすべをルルーシュは持たなかった。
「判ってるなら言うんじゃない」
鋭くそう言うとマオは驚いたように目を瞬かせた。その様はびっくり箱を開いた子供のように、無邪気で無垢な。
にやりとマオが微笑んだ。
「ルル」
「なんだ」
「ありがとう」
そう云ってマオがルルーシュに口付けた。甘い甘い口付け。それは脳の芯がとろけそうになるくらい甘く。
舌先が離れていくのはひどく惜しくて。まだ。もっと、と。体が求めていた。
「いいか、テープはシーツーの声に飽いたら聞くんだ。それ以外で聞くんじゃない」
牽制のつもりで言った言葉にマオはニコニコと笑んだまま頷いた。
「ウン、判った」
ルルーシュの背中が見えなくなってからマオはテープを入れ替えた。
カチリ、とボタンを押す。
流れ出す声。
『マオ、俺を愛せ』
『お前を愛してるのは』
『俺だけだ』
『マオ』
『マオ』
それはまるで歌うように流れ出す声。
その声に魅入られたようにマオは繰り返し聞いた。
シーツーの声にも匹敵する声が。
甘く囁きかけてくる。
それは甘いお菓子のように甘く甘くマオに語りかけてくる。
それをそのまま飲み込んでしまえば。どんなにか楽だろう心地好いだろう。
その歌のような声をマオは繰り返し聞いた。
「ルル」
自身で付けた愛称を口にする。ルルーシュはそれを咎めることもなく許している。
詩のように歌のように
滑らかに流れでる愛しい言葉
「ルル」
その声に耳を傾けながらマオは言葉を紡いだ。
「愛してるよ」
たとえその手から銃口を向けられたとしても
「ルル」
その愛は変わらないと
ただそう、信じて
《了》