ちょっとした、
そうちょっとした、けんか
25:よくあること
「ルルの馬鹿!」
悲鳴のような痛々しい言葉。ルルーシュの眉根がキュッと寄った。端整な顔立ちが怒りに歪む。大きな紫苑の瞳がギッとマオを睨みつけていた。
マオは一瞬、怯んだがそれでも後には引けないとばかりに睨み返す。
「シーツーのすべてを知ってるって、言ったくせに!」
子供っぽい口調で詰られてルルーシュは眉根を寄せたままだ。顔立ちが整っているだけにその迫力は見て余りあるものがある。
「あんな勝手な女のことなど気にするな」
「それでも、教えてくれるって言ったくせに! ルルのウソツキ!」
確かに言った。だがそれはマオを引き込むための讒言でしかない。ルルーシュはそれを判って言った。傷ついた子供のように甲高い声を上げてマオがルルーシュを罵る。
その目が潤んだように煌めいていた。
ルルーシュと違い、ギアスの能力をオフに出来ないマオの瞳は常に滅びの刻印を宿している。紅く揺らめく瞳。それはどこか哀しいような痛いような辛いような。
「ウソツキで結構だ」
フンとそっぽを向いてやると見る見るマオの顔が歪む。
「ルルの馬鹿! ウソツキ!」
解く長い手と脚をばたつかせてマオが怒りを表している。
その細い腰にどうしても目が行ってしまう。肩を追う布地の奥、意外と細身な体が隠れていると知ったのは最近のことだ。長い手足。その髪は青灰色で瞳は紅く揺らめいている。
その目が今は涙で潤んでいた。
「シーツーのすべてを知ってるんだろ?! だったらボクにも教えてよ!」
それなのに。この男は。ルルーシュの眉根がさらに寄った。
ことあるごとに、シーツー、シーツーと。俺の存在はなんなんだ?!
「お前が知る必要などない!」
「ルルの意地悪!」
ルル、と愛称で呼ばせているのを許しているのもマオだけだというのに。
そんなことにも気付かず、マオはシーツーを求め続ける。
確かにルルーシュはマオに銃口を向けた。その結果マオが怪我を負ったのも事実だ。
だが。それは仕方のないことだったし最善だったと自信をもって言える。
それは悪かったかもしれない。けど。
ここまでシーツーにばかり興味をもたれては面白くない。
俺はお前が好きなのに。
あんな身勝手な女に劣るのかと思うと。腸が煮えくり返りそうだった。
「シーツーのことは忘れろ! いい加減…」
「ルルの馬鹿! シーツーのことを忘れろだって?! 出来るわけないだろ!」
マオにはシーツーだけだったのだ。マオの世界のすべてがシーツーだった。
その証拠にか、マオがしているヘッドフォンに繋がる装置にはシーツーの声を録音したテープが入っている。いつでも優しく甘く、語りかけてくるシーツーの声が。
「今のお前には俺がいるだろうが!」
「ウソツキのルルなんかいらないよ!」
思わず発した言葉にルルーシュの目が見開かれていく。はっと気付いたマオだったがもう遅い。零れた言葉は形を取り、相手の心へ突き刺さる。
「ルル…」
「そうか」
フイと踵を返すその腕を思わずマオは取った。
その心が傷ついたことがマオにはギアスの能力で感じ取れた。だから、思わずその腕を取っていた。平常心を装いながらその奥で傷ついているルルーシュを放っておけなくて。
「ルル、ごめん」
子供っぽいマオはそれゆえに素直だ。滅びの刻印が涙の奥で揺らめいている。
「マオ」
固いルルーシュの声。ビクリと肩をすくませるマオの頬にそっと、ルルーシュは触れた。
「ル…」
マオの言葉はそこで飲み込まれていった。重なった唇。
男の体で数えるほどしかない柔らかな場所。ふわんとやわらかく、ルルーシュは口付けた。
「ルル」
「キスして欲しかったんだろう、マオ」
自信満々に言い切るルルーシュの様子にマオが初めて笑った。
「ごめん、ルル」
「気にするな」
突き刺さった言葉のとげは確かに痛かったけれど。マオにこんな顔をさせるつもりなどなかった。こんな、悔恨だとか懺悔だとかそう言った表情を。
「ウソツキなんていってごめん」
マオが照れたように指先をいじる。その仕草があまりにも愛らしく。
「だって、ルルはシーツーのすべてを知ってるって言ってたから。僕にも教えてくれたっていいんじゃないかと思って」
「そんなにシーツーが気になるのか?」
思わず呆れを滲ませて言ったルルーシュに、マオが慌てた様子で言い訳する。
「だって、シーツーはボクのすべてだったんだよ! 今はルルがいるからいいけどさ」
思わぬ爆弾発言にルルーシュが赤面する。
「ルル?」
耳まで赤くなったルルーシュの様子にマオが首を傾げる。
『今はルルがいるから』
その言葉がこんなにも。
こんなにも嬉しいなんて。
アァ、愛しい。
この世界のすべてが壊れてもマオさえいれば生きていけるような気がするほどに愛しい。
「マオ」
「何? ルル」
マオの顔がパァッと華やぐ。ヘッドフォンをしていない今はマオは素顔をさらしている。
切れ長の瞳は滅びの刻印を映しだして揺らめいている。
「ルルは、ボクのことなんか嫌いじゃないの?」
先刻まではそうだった。シーツーの尻ばかり追い掛け回しているマオは。
けれど今は。その声、髪の毛一筋に至るまでが愛しい。
「今は、好きだ」
「ルル!」
マオがギュウッとルルーシュを抱きしめた。
「マ、マオ!」
思わず赤面して慌てる様子にマオが微笑んだ。
「ルルでも慌てることがあるんだ」
「マオ…!」
思わず睨みつけてもマオはニヤニヤと笑ったままだ。
マオのギアスは心の中の思考を読む能力だ。どんなに表面を取り繕っても無意味なのだった。諦めてルルーシュはマオに体を任せる。
「ボクのことホントに嫌いになっちゃったかと思った」
「ならない。お前は俺だけを見ていればいい」
断言するとマオは嬉しそうに微笑んだ。
お前は俺だけを見ていればいい
お前は俺の姿だけを追っていればいい
お前は俺だけを思っていればいい
「ルルはワガママだね」
「お前と同じさ」
そう言うとマオはくつくつと喉を震わせて笑った。
そんな仕草すら。愛しいと。
「お前は俺だけを追っていればいいんだ」
「ルルのワガママー」
ケラケラとマオが笑った。楽しげに笑うその様子にルルーシュは何故だか安堵した。
傷つけてしまったかと思う反面でそれに満足している自分がいる。
マオは、俺のものだ。
たとえシーツーにだって、渡すつもりなど毛ほどもなかった。
「ワガママで結構だ」
そう言って抱きしめられた腕から逃げるとマオに口付ける。
甘く、優しく、いとおしむように。
「じゃあ、仲直りだね」
マオの言葉にルルーシュは笑んだ。それは見るものを安心させるような、魅惑的な笑みで。
「そうだな」
「ありがと、ルル!」
子供っぽい言動のマオはそれゆえに素直で。その時の気分や気持ちといったものを素直に表現する。そこに嘘やまやかしやフェイクといったものはなく。ただ、素直に。
「マオ」
その耳を両手で覆う。マオはされるがままになっている。
「お前は、俺だけを見ていろ」
「お前は俺のものだ」
にやりとマオが笑った。
「ルルってば欲張りだなぁ」
「あぁそうだ」
素直に認めて自信たっぷりに頷くとマオは声を立てて笑った。
その様子があまりにも愛しくて。
お前は俺だけを見ていればいい
お前は俺の姿だけを追っていればいい
シーツーなんかに、渡さない
ルルーシュの決意すらも笑い飛ばすように、マオは笑い続けた。
それはそれは、楽しげに。
《了》