だってそんなの、不公平じゃあないか
23:奇妙な関係
一番初めに衝撃。次に来たのは驚くべきことに嫉妬だった。
数いる兄弟の中でもこの二人は仲が良かった。それは少し見ていればすぐに判るくらいには。けれど。こんな――
――ずるい
少し背の高い遊庵と庵曽新の唇が重なっている。庵曽新の身長に合わせて長身の遊庵が屈んでいる。深く合わさった唇の中を想像するだけで苛立ちが募った。
「ゆんゆん! 庵曽新!」
カランカランと高下駄の音も荒く道場のど真ん中で口付け合う二人へ近づく。
気付いた二人が螢惑のほうへ顔を向ける。
「どうした、螢惑」
遊庵はなんでもないようにそう問うた。それが螢惑の苛立ちをさらにあおった。
持ってきた伝言は脳の奥深くへ消え去りただただ怒りだけがそこに。
「なんで庵曽新と口付けてるのさ!」
はぁ? と遊庵は目隠しの奥の目を瞬かせる。庵曽新はそれに気付いてか、なぜかふふんと螢惑を鼻で笑った。螢惑の頭にカーッと血が上る。
「だから! なんで庵曽新と口付けてるのって訊いてるんだよ!」
苛立たしい。こんな簡単なことが判らないなんて。
俺だってゆんゆんが好きなのに。ゆんゆんと口付けだってしたいのに。
「…習慣?」
間抜けた遊庵の答えに意気込んでいた螢惑と優越感に浸っていた庵曽新がこけた。
「アニキ!」
「冗談だって! お前もマジになるなよ」
「じゃあ庵曽新とは本気じゃないの」
わざと意味と取り違えてやるとここぞとばかりに遊庵も悪のりする。
「さぁな」
「アニキ!」
慌てたのは庵曽新だ。その様に螢惑の溜飲が少し下がった。
「俺はマジだぜ!」
「俺だって本気だもん!」
二人の間に見えない火花が散る。当の遊庵はつまらなさそうにあくびをしている。
「庵曽新のは兄弟愛だってば! 俺のは本気の愛だもん!」
「違う!兄弟愛なんかじゃねぇ!」
結論の見えない議論に遊庵はそろそろ飽いてきていた。
取り合いされている当の遊庵はどちらつかずの態度なのだから終わりなど見えてくるわけがなかった。面倒くせェなぁと遊庵が嘯くと二人の視線がギッと遊庵に集中した。
「ゆんゆん! ゆんゆんは俺と庵曽新とどっちが好きなの?!」
「そうだぜアニキ! どっちなのかハッキリしろよ!」
迫り来る二人に遊庵はさらりと言った。
「どっちってもなぁ。お前らまだまだガキだし」
二人の体に雷のような衝撃が走る。
対象として見られてすらいない?!
わきあがった疑問が螢惑の熱を急速に冷やし庵曽新の顔を青ざめさせた。
「俺に勝てたら考えてやってもいいぜ」
遊庵がにやりと笑ってそう嘯いた。太四老の肩書きを持つに値する実力の遊庵に二人はいまだ、敵わないでいる。だが衝撃から立ち直るのは螢惑のほうが一瞬早かった。
「じゃあ、庵曽新にすること俺にもしてよ」
「なッ?!」
螢惑の言葉に庵曽新がぐりんっと顔を向ける。遊庵はうーんと考えた後にやりと笑って頷いた。遊庵の紅い目隠しの裾がヒランと翻る。動きにあわせて揺れるそれは遊庵の体の一部のようだった。
「いいぜ、庵曽新にすることはお前にもしてやるよ」
「アニキ!」
「それが嫌ならとっとと強くなるんだな!」
青ざめた顔の庵曽新の不服気な言葉を遊庵は一言で封じ込めた。
庵曽新はぐうの音もでない。
「いいよ…絶対、ゆんゆんより強くなるから」
螢惑の金色の目が煌めいた。庵曽新の隙をついて伸びた手が遊庵の両頬に添えられる。
ぐんと引き寄せられて遊庵は体のバランスを取る。ソッチに意識を集中している隙を突かれて、唇が重なった。悪戯っぽく潜り込んだ舌先が無抵抗の遊庵の舌を絡め取る。
絡めて吸い上げる動きは巧みで遊庵は思わず顔を赤らめた。
「まずは、口付けね。さっき、庵曽新としてたじゃん」
淡々と言い切る螢惑の様子に遊庵はため息をつくしかなかった。
そんな遊庵の目隠しの裾がぐんと引っ張られる。倒れそうになる体を受け止め口付けたのは庵曽新だった。
「…庵曽新」
そばにいた螢惑の機嫌が見る見る悪くなる。
「そう簡単に渡すかよ!」
あっという間に二人の男に口腔を侵されて遊庵は立場がない。それも実力も歳も下の子供二人に、だ。年上としての威厳はどっかへ吹っ飛んでしまっていた。
「お前らなぁ」
いいようにもてあそばれているだけのような気がしてきた遊庵の低い声にも気付かず二人は睨みあっている。
「俺の名前はゆんゆんが付けてくれたんだもんね」
螢惑が遊庵の右腕を取れば。
「アニキは俺のアニキだ!」
庵曽新が遊庵の左腕を取る。
間に挟まれて遊庵はどうにもこうにも身動きが取れない。
どっちを立てても角が立つ。要するに四面楚歌。どうにもならない。
さてどうするかと遊庵がため息をつくのを二人は聞き逃しはしなかった。
「ゆんゆん!」
「アニキ!」
「だぁーもう! 要するに二人とも平等に扱えばいいんだろ?!」
しがみつかれていた両腕を振りほどいてそう叫ぶと二人は不服気だが頷いた。
「…うん」
「…まぁな」
「じゃあそれでいーじゃねぇかよ」
当の遊庵はそれでいいかもしれないが。
二人の気持ちは収まりがつかない。
独り占めしたいのに。
なんで判ってくれないの?
その時折よく庵奈の声がした。
「アニキー、庵曽新、螢惑、飯が出来たよー」
「おう! 今行く!」
元気良く返事をしたのは遊庵だけだったが遊庵は二人の体をがっと抱えて歩き出す。
「ほら飯だぞ!」
螢惑の三つ編みが尻尾のように肩の上で跳ねた。遊庵の目隠しの裾が翻る。
「…ま、今だけだよ」
「…おぅよ」
とりあえずの一時休戦協定を結んだ二人は遊庵の体にしがみつく。
「なんだよ?!」
今度はなんだと声を上げる遊庵を二人は真摯な瞳で見つめた。
「絶対、俺のこと好きになってね」
「アニキ、俺を選べよ」
「へいへい」
遊庵の生返事に二人がしがみつく腕に力を入れる。しがみつく二人をずるずると引きずって遊庵が家に顔を出す。とりあえず二人を引っぺがして席につかせて飯の時間が始まる。
二人は張り合うように食事を取った。
遊庵はといえば行儀悪く箸を咥えながらぼんやりと物思いにふけっていた。
――この二人って案外仲良くなれるんじゃあねぇかなぁ
実力も似たり寄ったりだ。庵曽新は生真面目なところがあるが緩みっぱなしの螢惑には丁度いいかもしれない。遊庵の指先がポリポリと頬を掻く。
「アニキ、食わないの」
「ん? 食う食う」
何も知らない庵樹里華の言葉に遊庵は箸をすすめた。
大家族特有の騒がしい食事の時間が今日も過ぎていく。
片方だけになんて、許さない
絶対俺のものにしてやるんだから
二人の思いを知ってか知らずか、遊庵はのんきに兄弟達の皿からおかずを一品ずつ失敬して食べていた。
《了》