いつか奪ってやる
否、渡さない
お前の手になんか、負えないよ
22:手に負えない
「まだなんぞあるんかい」
もう飽いたと言いたげな言葉に辰之助がぐるんと振り向いた。その眉とこめかみがヒクヒクと痙攣している。
「俺はついて来て下さいなんて言ってません」
その両手には頼まれ物や使い物を入れた袋が口をあけている。人の好いこの男は断るということを知らないかのように皆の頼み事を引き受けてしまう。それがひどく疎ましかった。
「たまの非番なんやで。もうちょい気ィ利かせたってええやろ」
口付けられそうな位置まで顔を近づけて言うと辰之助の頬に朱が上る。
「そんなこと言われたって、ですね…」
あとは、と用事を指折り数える様子に烝はため息しか出なかった。
「もうええわ。さっさと済ますで」
ぐちぐち言うより用事を済ませてしまった方が得策だ。用事を途中にして連れ出したところでこの男の頭の中は用事で一杯なのだろうから。それだったら済ますだけ済まして身軽になってしまったほうがいい。
烝が手伝い出した甲斐もあってか半時も経つと辰之助は上機嫌に言った。
「終わりました、山崎さん」
「さよか」
両手に抱えられた袋。中身は言いつけられた用事で一杯だ。
ようやく辰之助を独占できる、と烝が思った瞬間にそれは訪れた。
「辰之助さん」
辰之助を苗字の『市村』ではなく名前の『辰之助』で呼ぶ輩の出現に山崎の眉根が寄った。
振り返れば烝とそう年の頃は変わらないだろう少年。褐色の肌と銀髪が人目を引いた。
それ以上に高価な着物。一見するだけで価値が知れるほど詳しくもないが、それでも判る高価さ。そんなものを纏う知り合いがいたのかと烝は己の頭の中を顧みる。
「鈴君、だよね」
烝の思考は一瞬で断ち切られる。少年がにっこりと可愛らしく微笑んだ。
「名前、覚えていてくれたんですね」
「知り合いか」
自身を置いて会話が進行するのが我慢できずに烝が口を挟んだ。辰之助は罪のない顔であぁと気付いて慌てて紹介する。
「えっと、北村鈴君。鉄の友達で」
「今は大和屋鈴、です。辰之助さん」
いちいち名前を呼ぶのが耳に引っかかる。親しげなそのつながりは弟の鉄之助だというのに、鈴と呼ばれた少年はまるで自身が親しいかのように振舞っている。それが烝は気に入らなかった。そんな烝の心情も知らぬげに辰之助は目を瞬かせた。
「苗字が、変わったのかい」
「ええ…色々、ありまして」
うっすら開いた鈴の目に烝は寒気すら覚えた。この目は、危険だ。
なんで気付かんねや
辰之助は鈴と親しげに会話を交わしている。元気でやっているかい、えぇおかげ様で、と言葉が滑る。そのやり取りの中で。烝はため息もつかずそれを見守っていた。
うわべだけのやり取りや
傍から見れば久しぶりに逢って談笑しているように見えただろう。その奥で。何かどろどろしたものが渦巻いていることに気付いたのは烝だけだった。
「辰之助」
「ん?」
「しばらくあっち行っとれ」
襟首掴んで少年から引き剥がして突き飛ばす。荷物を持った辰之助が必死にバランスを取ろうとするのを横目で見ながら鈴と対峙する。ニィと鈴が笑んだ。
「俺に何か用? 役立たずの忍びサン」
「フン…しっとるんか。なら話は早いわ。あいつに手ェ出すなや」
親指で指し示す先には訳の判っていない辰之助の姿。首を傾げている様子は微笑ましい。
「なんでさ?」
辰之助がいなくなったと見るや変貌するその態度に舌を巻く。けれどそれで臆するほど大人しい性質でもないのは自身がようく知っていた。
「あれはな、俺んのや。お前が出てくるいわれはないねん」
すっと鈴から表情が消えた。その口元が滑らかに動く。
「じゃあ本人に聞いてみれば――」
そこで鈴の言葉は途切れた。すっと目線まで上げられた烝の手。傍から見れば指差しているように見えただろう。その裏にはクナイが潜んでいた。その切っ先が鈴の目間に触れるか触れないかの位置でとまっている。
「そういうこと訊くんは野暮やで」
口角を吊り上げて笑うと鈴の目が烝を睨み付けた。
「器が違うんや」
烝は勝利者の余裕で持って鈴を見下した。
「お前の手にはな、アレは負えへん」
辰之助の持つ黒々とした渦すらも愛しいと。
無害なようでいて実は。
「諦め」
ざっと鈴が悔しげに踵を返す。その唇が噛み締められていた。
「諦めないからな――」
鈴の目がギラリと獣のように煌めいた。
背筋がゾクリとするような殺気。心地好く慣れたその感触に烝は心から笑んだ。
「お前には無理や」
あいつの全てを受け止めて愛してやることは。
あいつの裏の裏まで覗く覚悟のある己と違い。
興味本位なら手を引けと。
「引き」
切っ先がズイと迫る。その手を鈴が乱暴に振り払った。かすかに触れた切っ先が鈴の鼻筋に紅い横線を引いた。
「膕!」
応えるように巨木のような影がすっと現れる。大通りから離れた裏通り。少しやりすぎたかと反省しかけた烝をおいて鈴は膕の腕に乗る。
「今日は帰ってやるよ…」
手負いの獣のような唸り声を上げて鈴が言った。
「いつか奪ってやるよ…その時まで、せいぜい大切にしておけよ…!」
「そうするわ」
ふふんと笑って言うと鈴は顎をしゃくる。その動きに合わせて大男がスッと立ち上がる。
そのまま鈴を抱えて歩き出す。得体の知れない者の出現には肝を冷やしたがどうやら撃退したらしいと安堵の息をつく。
「や、山崎?」
表通りに続く道の入り口から顔を出したのは話題になりながら顔を見せていなかった辰之助だ。荷物で視界がふさがれている。微笑ましくも間抜けな姿に烝はふぅと息をついた。
「手伝うたるわ、ほれ」
「鈴君は?」
「帰った」
「お前、何か気に障ることしたんじゃないだろうな…」
「そんな口利いてええんか? 荷物落とすで」
烝の言葉に辰之助が慌てる。
「ばッ割れ物だってあるんだぞ!」
「せやったら余計なことは気にせんとき」
片方の荷物を奪うようにして抱えると先に歩き出す。
「行くで」
「あッあぁ…」
それでも鈴が気になるのか、人影の消えた後ろを振り返りつつ辰之助がついて来る。
渡さへん
絶対に、人に渡したりするもんか
烝の口元が知らずに笑んでいた。
《了》