いまだけ
あなたにだけ
見せる顔
21:高い買い物
相変わらず警備の緩いこの城にゼロスは、何の呵責もなく足を踏み入れた。主であるガーヴがいないのは確かめてある。何より目的はガーヴではなかった。もうすっかり覚えてしまった城の間取りを頭の中で広げ目的の部屋へと急ぐ。目的の扉を前にしてゼロスはふぅと息をついた。これからの予定に胸が高鳴る。口元が知らずに笑んでいた。
コツコツとノックをする。返事がない。もしやガーヴと一緒に出かけてしまったのだろうかと扉を開いた。開いた窓がカーテンをはためかせている。ゆったりとしたベッドに陽の光が振りそそいでいた。そこで神のように神々しく眠っているのは。
「ヴァルガーヴさん」
声をかけるとぴくんと震えた。黒く硬質な角。その先端につんと触れる。彼が人外の者である証。鮮やかなエメラルドグリーンの髪が白いシーツの上で川のようにうねっていた。閉じていた目蓋がうっすらと開く。その頬へ口付けを落とした。
「お早うございます、ヴァルガーヴさん」
「……?」
まだぼんやりとしているヴァルガーヴがボケーとゼロスを見つめ返す。その金色の目が瞬いていたかと思うとカッと見開かれる。
「テメ、ゼロス…ッ!」
ガバリと跳ね起きるヴァルガーヴをゼロスはサッと避けた。半裸の姿をしみじみ目で味わいながらゼロスは言った。
「結構目の保養になる体してますねぇ」
若くしなやかな体躯。その脇腹には両頬と同じように二本線の傷痕が走っている。
「何しにきやがった!」
「あぁもうやだなぁ、そんな怒らないでくださいよ。デートのお誘いに来たんですよ」
「デートォ?!」
気色悪いことぬかすなと吐き捨てられてもゼロスは諦めない。
「ガーヴもいませんし、ね? ご飯でも食べに行きませんか?」
丁度よくヴァルガーヴの腹の虫が鳴いた。
「決定、ですね」
ぱちんと片目をつぶって見せるゼロスにヴァルガーヴは諦めて支度をした。
長いローブをその身に纏いフードをかぶって角を隠す。面倒事を避けるためだ。ヴァルガーヴの角は人間にありえざるものなのだから。
ゼロスに連れられて街中へでる。でてみればヴァルガーヴには新鮮なものばかりでゼロスに対する不信感もあっという間に払拭された。楽しみだらけでそれどころではなくなった。
雑貨店に入れば女性が服を選ぶように時間をかけてじっくりと見て回っている。
「欲しいものでもありますか?」
街で通じる通貨を持っているのはゼロスだ。ヴァルガーヴは用心深く首を振った。
「いらねぇ」
おやまあとゼロスは息をついた。それでもヴァルガーヴは楽しげに店先を覗いて回っている。
「あぁほら、あそこに食事処がありますよ」
ゼロスの指差す先にヴァルガーヴが目を向ける。可愛らしく描かれた鍋の絵にヴァルガーヴはふぅんと頷いて店へ入っていく。ゼロスはやれやれとその後を追った。
腹が減っていたのは本当らしくヴァルガーヴは出される料理を次々と平らげていく。
「おいしいですか?」
連れが何も食べないのはおかしいかと思い注文したホットミルクをすすりながらゼロスが訊いた。ヴァルガーヴがはたと気付いたように動きを止める。
「うん、美味い」
予想以上に素直なその態度にゼロスのほうが驚いた。同時に愛しさがこみ上げてくる。こんな感情、当になくしたと思っていたのに。
「ほっぺについてますよ」
がっつく証拠のように汚れた口元をぬぐってやるとヴァルガーヴが顔をしかめた。
「自分で出来る」
「それはどうも」
クスリと笑ってゼロスはあっさり手を引いた。ヴァルガーヴは食事を再開する。
その食べっぷりは見ていて胸のすくもので。勘定のことを考えるとちょっと頭が痛かったが、これも二人きりの時間代だと思えば安いものだと己を納得させる。
「お前は食わないのか」
フォークを咥えたまま問われてゼロスは目をぱちくりさせる。すぐにいつもの笑みを顔に貼り付ける。にっこり笑顔でゼロスは答えた。
「ぼくはお腹すいてませんから」
これで十分です、とカップを掲げてみせる。
「ふぅー…」
ヴァルガーヴがようやく箸をおいた。料理の盛られていた皿は全てキレイに空になっていて。
実に満足げにヴァルガーヴは辺りを見回す。
「もういいんですか?」
ゼロスの言葉にこッくんと頷くとゼロスがカップを置いた。
「じゃあ行きましょうか」
「どこに?」
ヴァルガーヴは当初の警戒心などなかったかのようにゼロスに懐いてしまっていた。
ガーヴに黙って城を抜け出してきたことも忘れているようだ。
「どこへでも。貴方の好きなところでいいですよ」
「じゃあさっきの雑貨屋」
ヴァルガーヴの口からすらりと出た言葉にゼロスはにっこりと微笑んだ。
「ガーヴへのお土産ですか」
「違う」
おや、案外冷たいんですねとからかうとヴァルガーヴがカァッと顔を赤らめた。
「土産なんか買ってったら抜け出してきたことバレるだろ」
「意外と頭、回るんですね」
「殴るぞテメェ」
勘定を払いながら言われた言葉に拳を握る。
「まぁまぁ。ほら行きましょう」
先刻回ってみた一軒の雑貨店。そこにおいてあったのは他愛ない玩具だった。
「これ、欲しいんだけどよ」
棒の先に紐で二つの紅玉がつながっている。棒を上下させると玉同士がぶつかってカチカチと音を立てた。他愛ない玩具。
「意外と可愛らしい趣味なんですね、ヴァルガーヴさん」
「なぁ、ゼロス」
ヴァルガーヴが蠱惑的な金色の瞳をきらめかせて言った。
「おごって?」
プッと噴出してこらえきれずにゼロスは笑った。
「なッ、わ、笑うな!」
「いえ、すいません…っふふ」
懸命なおねだりにゼロスは財布の紐を解いた。
勘定を払うとヴァルガーヴは満足げに早速カチカチと遊んでいる。
可愛らしいヴァルガーヴ
ガーヴだってきっとこんな姿は見たことがないに違いないと一人悦に入ってしまう。
「何してんだよ、行こうぜ」
呆けていたゼロスの意識をヴァルガーヴの声が引き戻す。
「まだ欲しいもんあんだからよ」
ゼロスは慌てて財布の中身を数えた。
全く高い買い物になりそうですよ。
フッと、ゼロスの口元がいつもとは違う笑みを浮かべる。
連れ出しただけの収穫はあったと己を納得させる。ガーヴの秘蔵っ子などにさせない。
食事だってしたし買い物だってしたし、そのうち…
「ゼロスー」
「はいはい、仕方ありませんねぇ」
まるで母親のような慈愛の笑みを浮かべてゼロスが先を歩くヴァルガーヴの後を追う。
ヴァルガーヴのわがまま、きっと聞いているのは己だけだろうから。
ほんのちょっとした、優越感。
高い買い物、かも知れませんね?
《了》