今は、今はまだ。
だからもうちょっとだけ、待って
18:それしかいえない
城の主が出かけたのを確かめてから、ゼロスは歩を進めた。トンと軽く地面を蹴って宙へ浮く。開けっ放しの窓からその城の中へとお邪魔する。
「お邪魔しまーす」
間抜けた声に答えるものはなく、それでもゼロスはそんなことなど気にも留めずに城の中を歩き回る。存外広い城の所為か目的の人物になかなか出会えない。
「お邪魔してますよー」
間抜けた声が廊下に響き渡った。敷かれた絨毯はふっくらとしていてかなり上等なものだ。
腐っても魔竜王の城。調度品の類は一級品ばかりだ。
「ゼロス?!」
飾られていた壷を手に取ろうとした瞬間、かけられた声にゼロスの口元が思わず笑んだ。
「お邪魔してますよ、ヴァルガーヴさん」
頭に生えた角にまず目が行く。硬質なそれは冷たく彼が人外のものだと教えてくれる。
鮮やかなエメラルドの色をした髪は長くうねって背中まで伸びている。
丈の短い上着と白いズボン。覗く腹部、脇腹にはその両頬と同じ二本の傷痕が走っている。
反抗的な目は金色で蠱惑的だ。魔竜王という権威の配下になって日が浅い所為か、その目にはまだ無鉄砲さが色濃く残っている。
「テメェ何しにきたんだよ」
「そんなつれないこといわないでくださいよ。せっかく久しぶりに会えたっていうのに」
睨みつけてくる視線を受け流してゼロスは言う。
「…ガーヴ様に用事か?」
「冗談きついですね」
じろっと見上げるように睨んで言われてゼロスがカクンと肩を落とす。
切りそろえられた紫色の髪をサラッと揺らして人差し指をビシッと立ててゼロスは言った。人差し指がフリフリと可愛く揺れる。
「あ・な・た・に、会いに来たんですよ」
ポカーンとヴァルガーヴの顔や体から緊張感といったものが全て消えた。全く予想外だったらしくヴァルガーヴは珍しく全開の無防備だ。今なら襲っても抵抗されなさそうである。
ゼロスがわざとらしく目の前でヒラヒラと手を振る。
「ヴァルガーヴさん?」
「…!」
ハッと我に返ったヴァルガーヴが今度は警戒心むき出しの目でゼロスを睨みつけた。
「嘘吐け」
「やだなぁ、信じてくださいよ、もう」
お茶でもしませんか? とどこから取り出したのか茶式一式を広げてみせる。
ヴァルガーヴは警戒しながらもそこへ腰を下ろす。そこへさっと紅茶の入ったカップを差し出す。
「はい、どうぞ」
黙って受け取るヴァルガーヴだが依然、口をつけようとしない。ゼロスは自身の分の紅茶を注ぎながら笑って言った。
「大丈夫ですよ、クスリとかなんかはいってませんから」
ずーッとゼロスが紅茶をすするのを見てから、ヴァルガーヴは紅茶に口をつけた。
案外美味い紅茶を気に入ったのか、ヴァルガーヴは一息に飲み干した。さらにもう一杯、と急須を取る。
「ところでヴァルガーヴさん」
「ん?」
トポポーと紅茶を注ぎ満足げに口をつけるヴァルガーヴにゼロスはなんでもないことのように訊いた。
「ガーヴとはぶっちゃけどこまでいってるんです?」
ヴァルガーヴの返事はゼロスの予想だにし得ないものだった。
「どこ?」
首を傾げる様子からすると本気なのだ。ゼロスはズルリとローブの肩がずり落ちるのを感じた。それとも全くその手のことは施されていないのだろうか。
ゼロスはカップをおくとヴァルガーヴの両頬に手を添えて引き寄せた。急なその動きにヴァルガーヴは紅茶が零れないようにすることで手一杯だった。
零れずにすんだ紅茶に一安心する間もなく今度は自身の唇が重なっていた。
ゼロスの唇はなんだか表面的だ。その奥には何もないような、混沌のような。
手ごたえが、ない。そんな唇が重なっていた。潜り込む舌先が歯列をなぞり下唇を甘く噛んで離れていった。
「こういう、意味なんですけど」
判ります? と問い返すゼロスの言葉にヴァルガーヴの顔に見る見る朱が上る。
「お前…ッ」
「で、ガーヴとはどこまで?」
改めて訊かれて、知らぬふりが出来るほどヴァルガーヴは駆け引きに長けていない。
真っ赤な顔でもごもごいうのが精一杯だ。
「ヴァルガーヴさん」
「ど、どこまでもいってねぇよ」
今度はゼロスのほうが目を瞬かせて動けなくなった。
あの魔竜王が自身の名を与えた相手に何も施していないなんて?
「ゼロス?」
紫苑の目を見開いてマジマジとヴァルガーヴを見つめる様子にたじたじになりながらヴァルガーヴが声をかけた。
「本当に、何も無いんですか?」
「ねぇよ! お前、馬鹿にしてんのか?!」
フンッとヴァルガーヴはそっぽを向く。その様子にゼロスは思わず微笑んだ。
「あぁ、怒らないでくださいよ」
すいませんとヘコヘコ謝る様子をチロリと横目で見つめる。
「お前、俺のことが好きなのか」
炸裂した爆弾にゼロスは今度こそ身動きが取れなくなった。
あまりに直球な言葉に返事も出来ない。だが。
ビシッと立てた人差し指をフリフリゼロスは言った。
「内緒です」
今はなんとも。それしかいえない。
これからこの感情が好きに発展していくだろうことも予想はついたが今は。
それしかいえない。
ヴァルガーヴは不満げに鼻を鳴らした。
ゼロスはその様子を愛しげに見つめるだけだった。
《了》