体中に蔓延した毒はけして消えることなく
14:甘い毒
かぁんと響くかわいた音に目が開いた。横たえていた体を起こすとわずかに痛みが走ったが、我慢できないほどの事もない。布団をのけて起き出す。少し立て付けの悪い扉を開けると古賀が薪割りをしているのが見えた。力仕事の似合いそうな体躯の古賀の、その仕草はやはり様になっていた。
「一之瀬」
気付いた古賀が歩み寄ってくる。少し汗をかいているらしくその皮膚の上、汗の玉が光って見えた。無意識に腹部を押さえていた手を下ろす。
「大丈夫なのか」
「もうそんな重病人じゃあない」
クスリと微笑んでそう言うと、それでも古賀の小さな目が心配そうに一之瀬を見ていた。
「無理はするな」
「無理じゃない、大丈夫だ」
一瞬走った痛みを堪える。この程度なら、まだ耐えられる。
「痛むんじゃないのか」
思いやる心遣いは優しく。屈強な体躯には似合わぬ繊細さを持っていた。
「たいした痛みじゃない。大丈夫だ」
小屋へ押しやろうとする手に手を重ねる。渇いて汚れた手。
温かなぬくもりに頬を寄せた。
「君は温かいな」
「一之瀬」
そのぬくもりからするりと抜け出すと一之瀬は一本の鞘を手にした。
「虹霞を探さなくては」
「それなら」
古賀が小屋の裏手へと回る。目を瞬きながらもその後をテクテクとついていく。
「ほら」
無愛想な声と共に渡されたのは紛れもなく自身の愛刀。
柄の布部分は黒く焦げている。
「狩矢の一撃を受けた。ランタオさんが、そう、言っていた」
「狩矢様の」
手の中の虹霞を見つめる。焦げた布部分からはかすかに灼けた匂いがした。
「それが、死神の少年を救ったという話だ」
「死神の…」
一之瀬はただ古賀の言葉を繰り返した。
やっと我が手に戻った愛刀。敵であった死神の少年を救ったという。
体の中で何かが蠢いていた
「…救った」
何も言わないでいても狩矢のことに意識が飛ぶ。
体中に染み込んだ名残は容易には消えてくれなくて。一之瀬は息をついた。
体の奥底が疼いた。滾る熱を受け止めた日もあった。
睦言のように未来を語らう日もあった。
「…狩矢、様」
体中に染み込んだ毒は消えない。毒と知ってあおったはずだった。
飲み干した毒は数知れず、その毒に侵されるままに一之瀬は身を任せていたのだ。
飲んだ毒は一之瀬の渇きを確かに、癒してくれた。
「一之瀬」
古賀の言葉にハッと我に返る。
「…すまない、少し感傷に――」
「泣きたいなら泣いた方がいい」
「馬鹿を言うな、泣くなどと」
言ったそばからポロリと雫が零れた。
共に、命運を共にとあおった毒だった。
承知の上の、はずだった。
それでも最後に私は彼に刃を向けた。
体中の毒がざわめき出す。痛み出す。悔恨の痛みに一之瀬は身悶えたくなった。
「回復したら、返そうと思っていたのだが」
虹色に輝く刀身。彼に向けた刃はこんなにもきれいで。
腹部の傷がずきりと痛んだ。
「…っく、ぅ」
痛みに呻く。それ以上に体中に染み込んだ毒が一之瀬を苛んだ。
狩矢をただ一人と仰ぎながらその中に別の男を見ていた。
その事実を突きつけられて、一之瀬は彼に刃を向けた。
守りたいものが、出来た瞬間だった。目覚めた瞬間でも、あった。
それをあっさりと一蹴された。
一之瀬が方向の違いに気付いたときのように。
それを知っていたかのように。
狩矢は一之瀬の言葉を一蹴したのだ。
「大丈夫か」
うずくまる一之瀬の元へ古賀が屈みこむ。
「…平気、だ」
体中に染み込んだ毒。狩矢が死んでもなお一之瀬を苛むそれは。
――罪悪感、が
自分は一言、狩矢に謝りたかったのかもしれないと、一之瀬は思った。
自分の都合のいいように担ぎ上げその体に縋りつき。
「虹霞…」
焼け焦げた痕に唇を寄せる。少し苦味すら感じさせるそこに口づける。
狩矢の一撃を食らったというそこに。
懺悔の口付けを
「狩矢様…」
黙って虹霞を握り締める一之瀬を、古賀は黙って見守るしかすべがなかった。
静寂の中の沈黙。ただひたすらに重いそれに二人の男は身を任せた。
申し訳、ありませんでした
一之瀬の唇が音もなく言葉を紡ぎ、その目尻から雫が流れ落ちた。
《了》