それは静かに熱く、確かに息づいていた
09:真夜中の祭
深々と音が鳴るように冷える夜。ひそかに住んでいる小屋の屋根の上、杯を傾ける。
夜空の星星が煌めいてそれに見とれた。
夜がこんなにも静かだったことをいつ忘れてしまったのだろうか。
杯を重ねるうちに頭の芯がぽぉっとなってくる。酒の力は意外に強くて、一瞬目の前がくらりとした。
「一之瀬」
名を呼ぶ声は心地好い低音。声の主は返事がないのを確認して周りを見回している。壁にかかった梯子に気づいて声の主の視線が上を向く。ギシリ、と音を立てて梯子が軋んだ。
声の主が梯子を上る音を何とはなしに聞いていた。
「一之瀬、返事くらいしたらどうだ」
一之瀬の口の端がつり上がって笑みをかたちどる。
「君がいつ気付くかと、思って」
古賀の目線が一之瀬の手元へ落ちる。酒瓶と杯に気付いた古賀はふぅっと息をついた。
「酒か」
「少しくすねてきただけだ、たいした量じゃない」
君も飲むか? と訊ねる一之瀬に古賀は首を振った。一之瀬が酔っているのは明らかだった。
生真面目な一之瀬がくすねてきたと言っている時点で酔いはかなり回っていると思われた。
この上自分まで酔うわけにはいかないと古賀は晩酌を断った。
「君は真面目だな」
「真面目、はお前の方だろう、一之瀬」
バウントが何人もいた頃、一之瀬は生真面目な青年だった。それが古賀の印象でもあり一之瀬自身の評価でもあった。一之瀬は一瞬、鼻白んだ顔をしたがすぐにクスリと笑った。
「そうだったかな」
一之瀬がくいっと杯を傾ける。溢れた酒が顎を伝い汚す。
「…私は、狩矢様が忘れられない」
一之瀬の言葉が古賀に突き刺さる。
かつて己を含めたバウントを率いていた男。強烈なカリスマ性と意志、リーダーシップ。
短い白髪と紅い瞳が印象的な男だった。彼は強く、力を求め滅んでいった。
「私は、狩矢様を利用していたのかもしれない」
己が失くしたものを求め彷徨い巡り合った男にそれを求めた。
それは、ひどく酷な事であったのかもしれないと。
狩矢神の中に前隊長を求め見ていた
「私は、酷い奴だな」
狩矢神という個性を殺し、その中に己が求めるものを夢見つつ、付き従い、尽くしていた。
「…狩矢は気付いていたかも知れない」
全てに。バウントが滅びゆく種族であることにすら。
狩矢の心中は窺い知れない。それでも、そんな気がした。
「慰めてくれるのか?」
とろんとした鳶色の目が古賀を見た。酒はだいぶ回っているようだと古賀は他人事のように、そう思った。短い黒髪。今は酒の所為でとろんとしている鳶色の瞳。生真面目で、いつもの凛とした雰囲気は酒の所為でどこかへ押しやられてしまったようだ。誘うように、一之瀬の目が煌めいていた。
「慰めて欲しいのか」
問い返すと一之瀬は声を上げて笑った。
「私はずるいな、そう思わないか」
思慕の裏の打算。失ったものを贖うように。尊敬の裏の偽の慕情。
付き従い尽くすふりをしながら己が傷を舐めていた。
最大の、冒涜だと。
「一之瀬、もう」
止せ、と言う古賀の言葉は喉の奥へ呑みこまれた。
重ねた唇は酒の所為かほのかに熱く、潜り込んでくる舌先は悪戯っぽく歯列をなぞった。
「私はずるい、男だな」
一之瀬の手が古賀の肩を掴む。その手が、爪先が古賀の肩に食い込んだ。
「本当に、私は…」
「狩矢様を愛して、いたのかもしれない」
愛して?
他人の影を追いながらもその男を愛して?
求めてやまない思慕の念は
「きっと狩矢も」
「嘘を言うな」
古賀の言葉を一之瀬が断ち切った。妙に強い口調。
酒の所為だけではない強さで、一之瀬は言い切った。
「…私は君が好きだ」
「髭面の親父に言う言葉じゃないな」
凛とした視線と口調を苦笑で受け流す。酒の所為だとしてもその言葉は甘く、古賀の中で響いた。古賀から見ればまだ可愛らしい。一之瀬の一挙一動が愛らしかった。
一之瀬の手が伸びて古賀の両頬に添えられる。
そのまま口付けるがままに任せると一之瀬の舌先は淫靡に動き出した。
それはきっと狩矢に仕込まれた。その技術なのかもしれないと甘く酔いながら古賀は思った。
狩矢は死んでなお、消えていない。
それほどの存在が
「君もずるい、男だ」
互いの舌先を繋いだ銀糸をぷつりと切って一之瀬がそう言った。
「そうかもしれないな」
拒絶もせず。諭すこともせず。ただ享受するだけの。
流されるまま二人は口付けを交わした。
一之瀬の腕が古賀の体を抱きしめる。
袖のない死覇装、その奥の傷はまだ癒えてはいないはずだ。白いフードが夜闇に浮かび上がって見えた。
抱きついてくる頭をくしゃりと撫でる。
まるで子供にする仕草だが一之瀬は頬をこすりつけてきた。
「私は狩矢様の救いになっていただろうか」
一之瀬の言葉を古賀はただ聞いている。
「私は、狩矢様を」
「一之瀬、もういい」
細い下顎を古賀の手が捕らえ、上向かせる。
それは、初めて、古賀からした口付けだった。
触れるだけ、子供っぽく甘いキスに一之瀬が微笑んだ。
「ありがとう」
一之瀬の目の縁が盛り上がったかと思うとぷつりときれて雫が流れ落ちる。
声もなく音もなく泣く一之瀬を古賀の太い腕がぎゅうっと抱きしめた。
一之瀬の腕が応えるように古賀の体に縋りつく。
「ははッ…」
笑いながらも一之瀬の目からは涙が溢れて止まらない。
笑いながら悲しみ涙に暮れる男を古賀はただ、抱きしめていた。
「素直じゃないな」
古賀の言葉に一之瀬の目がぱちくりと瞬いた。その様が酷く、愛しかった。
「そうかもしれない」
そう言って一之瀬は泣いた。それを古賀は黙って抱きしめた。
酒の所為か、一之瀬の体はほのかに温かだった。
そのぬくもりの為に。
それは静かで熱くひそやかな。
真夜中の祭。
《了》