この体も想いも、全て
07:そう来ると思った
ピクン、と目蓋が震えた。うっすら開いた目蓋がカッと見開かれる。ガバリと跳ね起きる体が痛みに悲鳴を上げた。腹部に受けた衝撃の余韻がまだ、残っているようだった。
周りを見回せば見たことのない部屋模様に首を傾げる。己は双極の丘で倒れたはずではなかったか。
「起きたのか」
心地好く響く低音に一之瀬の目が見開かれる。
「古賀…」
ズキリ、と腹に痛みが走る。風の衝撃波をモロに食らったのだ、ただでは済んでいないだろう事が窺い知れた。思わずかがむ様子に古賀が一之瀬のもとへ手を添える。
「寝ていろ、手当てはしたが万全ではない」
「…狩矢様は」
古賀の小さな目が動くのが見えた。屈強なこの男が、事実を並べる言葉を選んでいる。
「…死んだ」
「…そうか」
一之瀬は目蓋を閉じた。その奥がジワリと濡れていくのが感じ取れた。
「私は、狩矢様を止められなかった」
一之瀬の独白を古賀は黙って聞いている。一之瀬の手が己の腹を探る。巻かれた包帯が痛々しかった。従うべきと信じて最後の最後、更木によって目覚めさせられた結果がこれだ。
何があっても止めるべきだった。守るべきものが、あった。
「私は、狩矢様を」
「俺も止められなかった、もう、何も言うな」
守るべきと信じたもの、代わりに従い信じたものを失った。
「私には、できることがあったはずだ! なのに…」
「誰が言っても同じだった。自分を責めるな」
自責の言葉に温かな言葉がかぶさる。熱くなった目の奥からジワリと熱いものが染み出してくる。熱いものが溢れる、と思った瞬間、温かな腕に上体を抱きしめられていた。
「古賀?!」
「お前の泣く顔は、見たくない」
――あぁ
「君は…」
一之瀬の唇が言葉を紡ぐ。それを古賀は黙って享受する。
「何故君は私の一歩先をゆくんだ…」
溢れた涙が己の頬と古賀の胸を濡らしていく。
「狩矢様…!」
あの信頼と尊敬は本物であったと。
敬愛した前隊長を重ねながら付き従ったことに嘘はなかったと。
一之瀬の手が古賀の背に回る。鍛え上げられた体にわずかに爪を立てる。
「狩矢様…ッ!」
震える声。震える肩。子供のような泣き声に古賀は抱きしめる腕を緩めたりはしなかった。
己が信じたものを失い、取り戻した矢先に裏切られたこの男を突き放せずに。
裏切られてもなお。この男はあの男を慕っている。
そんな一途さが、好きだった
「私は…私、は…!」
「何も出来なかっ…!」
痛々しいほどの叫び。それが誰がやっても同じだと慰めるのはたやすかったが、古賀はそうしなかった。ただ、泣くがままに泣かせてやっていた。
ただ、方向を違えてしまっただけなのだ
永い時の中で見失ったもの。それを怨嗟へと換えてしまった男と。
その男を信じて信じて最後に方向の違いに気付いてしまった男と。
血を吐くような叫びが部屋にこだます。
「狩矢様ぁ…ッ!」
一之瀬が顔を上げた。涙に濡れた頬が、潤んだ鳶色の目が、痛々しい。
「古賀、私は…私は、何も、何も出来なかった…!」
「一之瀬」
「狩矢様をお止めすることも出来ずに…!」
己の背中に爪を立てていた手が離れて拳を握る音がした。
「俺もとめることは出来なかった。誰が言っても狩矢は聞かなかった」
「真樹」
一之瀬がビクン、と跳ねる。
「お前だけでは、ない」
一之瀬の顔が泣き顔に歪んだ。あぁこんな顔、させたくなかった。
「真樹、お前だけではないんだ」
「――…ッ!」
肩が震えて一之瀬がしゃくりあげる。
その体を古賀の太い腕がぎゅうっと抱きしめた。
泣き顔は、見たくない。
腕の中で震える一之瀬が哀れだった。自責の念に駆られ、涙するこの男が好きだった。
狩矢を、リーダーを失ってなおこの想いは。消えることなく古賀の中で息づいていた。
貴方の為に
貴方が好きだから
貴方の一歩先を行こう
貴方が泣く前に
その顔を隠すように抱きしめよう
貴方が叫び出す前に
その唇をふさいでしまおう
貴方の為に
貴方が好きだから
「私は狩矢様を…!」
言うな
「救えなかった…!」
痛々しい叫び声は古賀の耳をつんざいた。
己の腕の中で泣く一之瀬を抱きしめながら古賀は誓う。
救えなかった男の代わりでもいい
この腕で泣く一之瀬ぐらいは
せめて
救いたいと
古賀は自嘲した。
――生きる理由が、出来た
この男のために、生きよう
この男が泣き止めるように生きようと
その為に
貴方の一歩先をゆく
「そう来ると思った」
いつか貴方がそう言うほどに
貴方を守ろう
貴方を愛そう
《了》