ほら、目を逸らさないでよ
05:無かった事にしよう
うっそうとした森。城を出てからのヴァルガーヴの足は重かった。その先にあるものを思うと、さらに足は重みを増したような気がした。それでも残酷に歩は進み目的が現れる。
「遅かったですね、ヴァルガーヴさん」
目的の人物はにっこりと微笑んでそう言った。杖の先端についた紅い宝玉が日の光をきらりと反射した。ローブ姿は彼が僧侶であることを教えてくれた。
切りそろえられた紫の髪。にっこりと微笑んだ線目。嫌味にならない程度に微笑んだ口元。けれどその奥底は計り知れず油断のならない人物なのだと経験で知っている。
手袋をした手がヴァルガーヴの髪を一房、手に取った。
「髪、切ったんですか? キレイだったのに」
背中まであった髪は今では肩の上で切りそろえられている。エメラルド色の髪をゼロスの手がゆっくりと愛撫するように梳いた。
「…お前とは、もう会わない」
ぴくり、とゼロスの手が揺れた。変化のない表情のその奥はどうなっているだろう。
「俺は」
ゼロスは微笑んだままで。ヴァルガーヴは痛々しく言葉を紡いだ。
「ガーヴ様のものになった…!」
ゼロスの目が開いた。鮮やかな紫苑色。
「だから、もう逢わないと?」
コクリと頷くヴァルガーヴの顔は痛々しそうに歪んでいて。ゼロスはクスリと笑った。
――泣き出しそう、な
「関係ありませんね」
ゼロスの言葉にヴァルガーヴが目を見張った。それを横目にゼロスは手をヴァルガーヴの頬に添えた。二本の線が走る両頬。誇り高き金色の瞳。その目を何度情欲に潤ませてきただろう。
「貴方の意志なんて、関係ないんですよ」
ゼロスは残酷に言葉を紡ぐ。目を見張ったまま動けずにいるヴァルガーヴを見ながら。
「全てを、無かった事にでもしようというんですか?」
「…そうだ」
血を吐くようなヴァルガーヴの言葉。ゼロスの奥底で何かが揺らめいていた。
「馬鹿を言っちゃあいけませんね」
開いた紫苑色の目がヴァルガーヴを映す。交わした睦言が、熱が、こんなにも鮮明によみがえってくるというのに。全てを無かった事に?
「言ったでしょう、貴方の意志など関係ないと」
ヴァルガーヴの顔が歪んだ。泣き出しそうな子供のような怒鳴りだしそうな男のような。
ゼロスは言葉を紡ぐ。そうしていないと崩壊しそうだった。壊れてしまいそうだった。
それほどの痛みをこの男は。
「まぁ僕の方も時間が空いたんで相手していましたけれどね」
「それじゃあ次に会うときは敵同士、ですかね? ガーヴは反旗を翻したんですから」
茶化すように、試すように、窺っている。自身の言葉がヴァルガーヴに何を与えているかを。
許さない。こんな痛み知らなかったのに。
許さない。こんな別離、こんな痛み。
ピッと立てた人差し指をフリフリゼロスは言った。
「まぁ、あんなに可愛い貴方を見れなくなるのは残念ですけどね」
ヴァルガーヴの顔が憎悪に歪んだ。
――それでいい
こんな痛みを与えておきながら平然と返すわけないでしょう。
それはゼロスに怒りを与えた。許しがたい、この痛み。
その下顎を捕らえて口付ける。開いた隙間から舌先を潜り込ませると慣れた口腔。
絡んだ舌はこんなにも熱く濡れている。
吸い上げ唾液を流し込むと応えるように熱くなる。
こんなにも、こんなにも抱き慣れた体を。
「それじゃあ、さよならですね」
口付けにうっとりしていたヴァルガーヴの表情が引き締まる。
「あぁ」
あぁ、どうして。こんなにも好きなのにどうして?
ゼロスは体が崩壊していくようだと思った。各部を繋ぎとめていた金具が割れていくように。
こんなにも別離が痛いなんて――哀しいなんて知らなかった
シュン、と音をさせてヴァルガーヴの姿が掻き消える。
あんなにも可愛がった体が、心が離れていくのが辛い。
――させませんよ
無かった事になんて
あれだけの熱と温かさと慕情を覚えさせておきながら
「甘いですね、ヴァルガーヴ」
――無かった事になんて、させない
覚えていよう
君が忘れても僕は忘れない
「次に会う時を楽しみに――」
聞く相手のいない言葉。それでもゼロスは言葉を紡いだ。
壊れそうな痛みを抱えて。ばらばらになりそうな危機感すら抱えて。
「ヴァルガーヴ」
その名を紡ぐ。けして忘れはしないと。
無かった事になど、させないと。
ゼロスの紫苑色の目が潤んで、そっと閉じられた。
《了》