ねぇお願いだからそんな顔しないで?
04:そんな顔しないで
ヴァルガーヴの顔が外を向く。帰ってこない主を待って幾日になるだろう。
夜眠る前に帰ってくることを祈り、朝起きて主の不在に失望する。
そんなことを繰り返して幾日になるだろう。
「どうも、こんにちは」
突然の声にヴァルガーヴが振り返る。気配は感じなかった。それなのにこの男はまるで見計らっていたかのように城へ侵入してくる。
紫の髪は肩の上で切りそろえられにっこり笑った線目は見た者を安心させる。けれどそれだけではない何かをこの男は秘めている。
「ガーヴの帰りを待っているんですか」
殊勝なことで、と明るく笑うゼロスをヴァルガーヴは睨みつけた。
「お前に関係ねぇ」
「帰ってきませんよ、ガーヴは」
さらりと言われた言葉にヴァルガーヴは目を見張る。
「な…んだと?」
ゼロスの口元がクスリと笑みを浮かべる。動けないヴァルガーヴを哂うようにゼロスは人差し指を振って見せた。
「だ・か・ら、言ったでしょう。ガーヴは帰ってきませんよ」
ヴァルガーヴの頬を汗が伝い落ちるのが見えた。見開かれた目はゼロスに据えられたまま動かない。指先一つ動かせず絶句しているヴァルガーヴにゼロスは笑みを浮かべるだけだ。
「ガーヴは死にましたよ」
「嘘をつくなッ!」
ゼロスの言葉にヴァルガーヴが噛み付く。ヴァルガーヴの手が伸びてゼロスの胸倉を掴みあげる。睨みつけてくる金色の目が哀れを誘った。
「嘘をつくな! ガーヴ様が…ッ」
ヴァルガーヴの声が次第に震えを帯びる。胸倉を掴んでいる手が震えていた。
あぁ、可哀想だなぁ。
それでもゼロスは真実を突きつける。そこに慈悲はなく心遣いもなくただ事実だけを突きつける。いつもどおりのそれに手心を加えることはない。
「死にましたよ? 冥王様の手によって、ね」
「冥王?」
そんな遠い存在が何故。ヴァルガーヴのそう問う眼差しにゼロスは笑顔で答えた。
「魔族に反旗を翻したんですから、当然でしょう。何を驚いているんですか?」
ヴァルガーヴの手から力が抜けていく。見開かれた目が見る見る潤んでいくのが判る。
「ガーヴ様…」
俯いたヴァルガーヴ、雫がポタリと落ちた。ゼロスの紫苑色の目はそれをただ見ている。
「これで判ったでしょう? ガーヴは死にました。帰りを待つのは無駄なことですよ?」
刹那、ゼロスの左頬を衝撃が襲った。殴られたのだと認識する前に痛みが体を支配する。
反撃しようとする反射神経を全力で押さえ込んでゼロスは哂った。
「やだなぁもう、僕に八つ当たらないでくださいよ。僕は事実を言ってるだけなんですから」
グン、と顔を近づけて哂う。泣き出しそうなヴァルガーヴの顔がそこにあった。
「飼い主が死んだことがそんなに哀しいですか?」
飛んでくると思った罵詈雑言は飛んでこず、ただ睨みつけてくるだけだった。
「ガーヴはね、灰になって死にましたよ」
意地悪く繰り返すゼロスをヴァルガーヴは止めない。ただ享受しその目を潤ませていた。
「かわいそうに、ねぇ」
ゼロスの両手がヴァルガーヴの頬に添えられる。
唇噛み締めたヴァルガーヴと唇を重ねた。反抗も抵抗もなくただ従順に。
受け入れるだけのヴァルガーヴの様子にゼロスは鼻白んだように息をついて、肩をすくめた。
そんなに衝撃的な事実だったかと省みる。
ヴァルガーヴの噛み締めた唇がブツリと切れて紅い雫が滴った。
握った拳がぶるぶると震えている。堪えがたい何かがあるのだとゼロスは悟る。
――あぁ、泣き出しそうだ
それはまるで泣き出す前の子供のような。
それを必死に堪えているようだった。
――そんな、顔をしないで
「そんな顔、しないでくださいよ」
優しく頬を撫でて口付ける。切れた唇、血の味がした。誇り高き金色の目は潤んで今では哀れを誘った。エメラルドの色をした髪を優しく梳く。
「ガーヴが死ぬきっかけとなった人間がいるんですよ」
その一言を。用意していた一言にヴァルガーヴの目がきらめきを取り戻した。
「誰だ」
短く簡潔な言葉にゼロスは片目だけ開けてヴァルガーヴを見た。つりあがった口の端を気に留めもせずヴァルガーヴが問う。
――あぁ、取り戻した
その強さを。一途さを。
なんて可愛らしいのだろう、愛らしいのだろう。
「リナ=インバースですよ。知りませんか」
最近力を付けている、と付け足す言葉も耳には入っていないだろう。
「リナ=インバース…」
繰り返すその名前。ゼロスの両の目が開きヴァルガーヴを見つめる。
遺されし哀れなこの男は彼女を仇と追うのだろうか。
それもまた、よし。
上司から口止めはされていないし、と心の中で嘯いた。
ヴァルガーヴにあんな顔をさせるくらいなら。
あんな、泣き出しそうな。
僕も、甘いですね
口付けは鉄の味がした。
《了》