ただ、見ているだけで


　　　44：それだけで良かった

　暖炉でぱちりと火が爆ぜた。二人きりの部屋で、それでもするのは他愛ない話ばかりだった。この間読んだ本は面白かったと楽しげに語る一之瀬に相槌を打つ古賀。
橙に染まった部屋、奇妙な二人組だった。
　古賀は屈強な肉体を持つ男だ。鍛え上げられた体はガッシリとしている。褐色の肌と小さな目。その眼光は鋭くそれでも時折、フッとその目が和んだ。古賀が体を揺らすたび、首に引っ掛けたヘッドホンのような装身具が揺れた。顎全体を覆う髭。一見すると近寄りがたい雰囲気をかもし出していた。
　逆に一之瀬の方は華奢だ。鍛えられているしなやかさが見て取れるのだがいかんせん線が細い。短い黒髪は紺色に艶めきその目は鳶色をしている。橙の明かりの中一之瀬の白いフードが浮き上がって見える。袖のない死覇装。腰には斬魄刀。剥きだしの腕にはしっかりと剣士としての筋肉がついていた。
　
　「楽しそうだね」

響いた声に一之瀬の目の色が変わる。サッと立ち上がり跪く。古賀は黙ってそれを見ていた。
「狩矢様」
「邪魔をしたかな」
狩矢の言葉に跪いたまま一之瀬が首を振った。
「いえ…」
　その下顎を狩矢が捕らえて上向かせる。間をおかずに唇が重なった。
濡れた音をさせて離れていく舌先を銀糸が繋いだ。唇が紅く浮き上がって見える。
「来い、一之瀬」
「…はい」
一言で事は決する。狩矢が求め一之瀬が応じる。いつもどおりのそれに、古賀の奥ッ側がちくりと痛んだ。だがそれを表に出すことはしなかった。
　狩矢が踵を返し、一之瀬は立ち上がると狩矢の後を追う。部屋を出た先は決まっている。
狩矢の部屋だ。することも決まっている、だが古賀はそれを止めようとはしなかった。
「古賀」
狩矢の声に古賀が目を向けた。揶揄うように狩矢の口の端がつり上がって笑いをかたちどる。
「借りていくが、いいかな」
わざとらしく訊ねるいやらしさはただの揶揄と暇つぶしなのだと判っていた。
「狩矢さんの好きにすればいい、一之瀬は私のものではない」
「フッ、強がりを言うな」
笑って言う狩矢の手が一之瀬の襟をくつろげた。
「狩矢様？！」
　それを無視して狩矢は古賀だけを見ていた。試すように意地悪い言葉を紡ぐ。
「本当に借りていくが、いいんだな」
「狩矢さん、そう言うことは部屋でやってくれ」
先んじて言われた狩矢は鼻白んだようだったが、すぐにいつもの余裕の笑みを浮かべた。
　「では気が変わらないうちに借りていくとしよう。一之瀬、来い」
「はい」
従順に狩矢に従う一之瀬を古賀は見送った。引きとめようと言うそぶりは見せなかった。
引き止めても意味がないし、何より一之瀬がそれを望んでないだろう事が判っていたからだ。
扉の閉まる音。二人で交わしていた会話は嘘のように消えうせ、広い部屋に古賀は一人、残された。

　抱きたいとは思わなかった

ただ触れてみたかった。その頬に体に首筋に唇に。それを狩矢に完全に見透かされていた。
狩矢に盲目的に従う一之瀬を、見ているだけでよかったのに。
それだけで満足できなくなったのはいつからだろうか。

伸ばした手を一之瀬は受け入れてくれただろうか

　フルフルと頭を振って考えを追い払う。くだらないことだ。
それでも部屋に戻って眠る気にもなれず、ただぼんやりと時を過ごす。
今頃一之瀬は狩矢に抱かれているのかと思うと、どこからともなく焦燥にかられた。
何が出来るわけでもないのに。
　キィ、と扉の開く音がした。古賀はすばやく席を立ち廊下に出る。
ふらふらと廊下を歩く一之瀬の姿が目に飛び込んできた。

「古賀」

驚いたような一之瀬の表情にたまらない愛しさを感じた。
「大丈夫か」
「…平気だ」
堪えたような、それでも笑顔はまるで花が咲くようだと思った。

　見守っている、それだけで良かった

抱けなくていい。ただこうして語らい触れ合うだけでよかった。
「古賀がいると、安心できる」
一之瀬の言葉に古賀が目を瞬いた。言った方の一之瀬は照れたように視線を逸らす。
「ありがとう」
耳まで赤くなって、それでも発せられた言葉に心が躍った。
「そこまで感謝されるとはな」
穏やかな言葉と微笑に、一之瀬も微笑で応えた。
　「感謝している」
一之瀬の手が伸び、古賀の両頬を挟むように持った。意識する前に唇が重なった。
「本当に…感謝、している」
古賀は一之瀬を抱きしめた。太い腕の中、一之瀬の体が余計華奢に見えた。
一之瀬は微笑してされるがままになっている。
　ふらふらの体、それでもなんでもないように振舞う健気さに古賀の心が動いた。
「古賀、ありがとう」

見ているだけで良かったのに

魅惑的に一之瀬は礼の言葉を紡ぐ。
古賀は黙って抱きしめた。


《了》