どこにいても


   43:もしも君が呼ぶのなら

 夜もふけた頃。この世の全てが眠りについたような夜中。
おぼつかない足取りで廊下を歩く。歩くたびに腰に鈍痛を感じ、体を固くする。
少し無理をしたかと後悔する。それでも求められれば応じるだけの覚悟と好意はあった。
暗い廊下を橙色の明かりが一定間隔で照らしている。
 ふらつく足取りに一之瀬は舌打ちしたくなった。鍛えた体は、一之瀬の予想とは裏腹に意外と脆かった。乱暴者、豪傑が集う隊にいたという自負はある。だが狩矢に突き上げられて体は全くの無防備に拓かれ、その状態を晒した。打たれ弱いとは思わなかったが、ここまで体の状態を無防備に晒す羽目になるとは思わなかった。
「く…ッ」
目の前が揺れる。足元は固定されず、ふらふらと空気の中を漂っているようだった。

 「大丈夫か」

響いた低音に一之瀬の目が見開かれる。目の前の男は腕を組んだ常態のままで、一之瀬を見ていた。茶褐色の肌と髭面。鍛え上げられた体は華奢など言う言葉とは程遠く、かつて所属した隊にもこんなに鍛え上げられた体の者はいなかった。ヘッドホンのような装身具を首に引っ掛けている。少し小さな目が一之瀬をじっと見つめていた。
「こ、古賀」
予想もしていなかった人物の登場に一之瀬の言葉が揺れた。
 壁に縋りついていた体を慌てて起こす。走った鈍痛に一之瀬の顔が歪んだ。
「いっつ…ッ」
倒れかける体を古賀の太い腕が抱きとめた。
「大丈夫か」
二度目のその言葉を古賀が繰り返す。一之瀬は思わず古賀の太い腕に縋りつきたくなった。
「だ…大丈夫、だ」
「嘘をつけ」
ズバリと切り返されて、一之瀬はぐうの音もでない。
縋りつきたくなるのを必死に堪えて一之瀬が体を引き剥がす。古賀はそれを止めなかった。
 「大丈夫、だ」
凛とした声はそれでも一瞬で、ぐらりと一之瀬体が傾いだ。
その体を古賀は黙って抱きとめた。一之瀬がハァッと大きく息をついた。
「どこが大丈夫なんだ」
何度も上げられた熱、体を酷使した結果がこれだ。一之瀬はため息をついた。
 「…すまない、すこしこのまま…」
休ませてくれ、と言う前に視界がぐんと揺れた。同時に浮き上がる感覚。

気付けば古賀の太い腕に抱き上げられていた。

 「こ、古賀ッ?!」
思わず裏返る声にも古賀は動じない。そのまま歩き出す古賀に、一之瀬は慌ててもがいた。
「ま、待ってくれ! どこに…ッそれより下ろせ…ッ!」
暴れるのを子供でもあやすように古賀は抱き上げたまま歩みを止めない。
「静かにしていろ、腰が痛いのだろう」
「そう言う問題じゃ…! とにかく下ろせッ」
古賀に抱き上げられたままの状態で一之瀬の顔が赤い。
耳まで赤くなっているその様を見て、古賀が初めて歩みを止めた。それでも下ろそうとはせず一之瀬の言葉を待っているようだった。
 「あんなにふらふらしている奴を歩かせるわけにはいかない」
「古賀…!」
あまりの恥ずかしさに一之瀬の目が潤んでいる。
「恥じることはない、歩くのが辛いのだろう?」
ぐうの音もでない一之瀬は赤面するだけだ。橙の明かりに照らし出された顔が困惑を浮かび上がらせていた。
 黙った一之瀬を不審に思った古賀が顔を向けると一之瀬の視線とかち合った。
「すまない…部屋まで、運んでくれ…」
ついに折れた一之瀬の様子に古賀の口元に微笑が浮かぶ。
「判った」
 古賀の目が一之瀬の姿を映し出す。短い黒髪は紺色の艶を宿し、今は潤んでいる目は鳶色。
通った鼻梁に端整な顔立ちはその気がなくとも誘われれば応じるだろうと思わせる。
華奢に見える体と細腰は妙にあだっぽく艶めいている。言葉を紡ぐ唇は男にしては紅い。
狩矢の相手をしていたのだろう体は疲弊していて、その痕跡がくっきりと残っている。
転々と散る紅い痕が、廊下のほのかな明かりでも見て取れた。
剥きだしの腕、柔らかな部分にそれは集中していて、脇から覗く体の側面にまで及んでいた。
 黙って運ぶ古賀と、運ばれる一之瀬。
二人の間に会話がなく、沈黙が空間を満たした。一之瀬は抱き上げられて体の負担が減り、ようやく辺りを観察するだけの余裕を得ていた。古賀のたくましい腕はその見かけどおりに強力だ。だが古賀は皆が集まったときも滅多に言葉を発したりはしなかった。
ただ、黙って従うのが、この男の印象だった。
 「古賀」
「なんだ」
不意に浮かんだ疑問のまま、一之瀬は口を利いた。
「何故、私に構う…?」
狩矢に体を求められるのは今日が初めてではない。それでも激しく求められ、応じて、歩けなくなるほどの醜態を晒したのは今日が初めてだ。それを見透かしたかのように、一之瀬が限界を思ったところに現れた。まるで見ていたかのように。他のバウント達はこんなことはしない。独立独歩が信条だ。周りを気にする輩など皆無だった。
その中で古賀だけが何故。
 「何故だろうな、お前が気になって仕方ない」
「古賀、それは…」
一之瀬が言葉を紡ぐ前に扉が開かれた。ベッドの上にとさりと下ろされる。
「体は大丈夫か」
「…あ、あ…助かった」
紡ごうとした言葉を途中で切られ一之瀬が礼を言う。それを聞いて古賀の足が扉の方へ向けた。
「古賀!」
叫んだと同時に腕を伸ばし古賀の腕を掴む。古賀が振り向いた瞬間、体を起こし、口付けた。
 「…一之瀬」
「わ、私に出来るのはこのくらいだから」
触れるだけだった子供っぽい口付けに、それでも顔を赤らめる様子に、古賀が微笑んだ。
「嬉しいことだな」
古賀の手の平が一之瀬の頬を包む。導かれるまま、古賀と一之瀬は口付けた。
互いの体温が感じられる口付けに一之瀬は酔った。
 「古賀は、何故私を助ける…?」
うっとりしながら発した言葉に古賀は微笑で答えるだけだ。
「何故だろうな」
古賀は一之瀬を体をベッドに横たえた。疲弊した体では抵抗も出来ず一之瀬はされるがまま、ベッドに横たわった。
「眠れ。疲れているだろう」
古賀の手が一之瀬の目蓋を閉じさせる。されるがままの一之瀬はただ、従った。
「ありがとう」
礼の言葉に返事はなかった。

「古賀」

「一之瀬」

名前を呼べば返事がされる。その安堵感に一之瀬は身を任せた。
古賀の目は優しく眠りに落ちた一之瀬を見つめていた。
 その唇を重ねる。まだ幼い寝息に古賀は苦笑した。
「真樹」
疲れているのだろう一之瀬は目覚めない。だがそれでよかった。
古賀はただ一之瀬の名を呼んだ。

もしも君が呼ぶのなら

かけつけよう、どこにいようとも

「…真樹」
一之瀬の寝息が満ちた部屋から、古賀は出て行った。


《了》

な、長め? 伏●様のイラストからポッと浮かびました(また勝手に…)
ありがとうございます伏●様!(本当だよ)    11/24/2006UP

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