ただ君が幸せであれば
35:些細な願い
紺色の艶のある黒髪は短く、顔立ちは端整で整っている。
潤んだように見つめてくる目は鳶色でその唇に思わず触れたくなる。性別は男。
名前は一之瀬真樹。ようやく下の名前で呼び合うまでにこぎつけた。
――俺の、好きな人
けれどこの男の嬉しそうな顔の理由は別の男だ。十一番隊隊長。
自身はまだ隊長の座に及ばず、かなわない。
「修兵?」
愛しい一之瀬の言葉に修兵は意識を取り戻した。
「聞いているのか?」
「聞いてる、隊長に太刀筋がいいって言われたんだろ」
頷く仕草すら胸が高鳴るほど好きなこの男。あぁ欲しい。手に、入れたい。
「真樹は本当に隊長好きなんだな」
嫌味すら込めてそう言うと、一之瀬が赤面した。ぼっと火がつくように赤面する様子に修兵は落胆すら覚えた。
「修兵」
「でも決闘近いんだろ、いいのかよ此処にいて」
慮ってそう言えば一之瀬が目を伏せた。
「隊長が…一人になりたいとおっしゃっていた」
「相手が相手だしな…更木剣八かぁ」
自身の斬魄刀の名も知らず、そのくせ隊長格を挑発できるほどの強さを持つ男。
「隊長ならきっと…大丈夫だと、思う」
一之瀬の言葉に修兵は肯定も否定もしなかった。
行われた決闘で更木は隊長を切り殺して隊長の座に着いた
「真樹」
部屋でぼんやりとしていた一之瀬に声をかけると、ゆっくりと振り向いた。
頬に残る涙の跡が、痛々しかった。
決闘の場での激昂した様子は何処へやら、大人しくなってしまったのが逆に、恐ろしかった。
嵐の前の静けさのような。壊れてしまったかのような。
「真樹、うまく、やれてるか」
新隊長となった更木の元で。抜刀しかけたのだ、衝突などはあるだろうかと懸念があった。
「あぁ、修兵か…」
涙の跡の上を、新たな涙が滑り落ちた。
「隊長がお亡くなりになってしまった」
ぽたり、と雫が落ちる。拭おうともしないその様子が崩壊を示しているようで修兵はいたたまれなくなって一之瀬を抱きしめた。
「真樹、しっかりしろ」
「修兵、私は」
すがり付いてくる腕が、指先が修兵の背中に食い込んだ。
「更木に抱かれたよ」
修兵の体が凍りつく。それにも気付かず一之瀬は言葉をただ、繰り返した。
「抱かれたんだ、私は」
「真樹」
あぁ。修兵は息をついた。
結ばれなくてもいい。ただ、二人幸せでありたいと思うのに。
「隊長は死んだ…」
一之瀬の涙が修兵の死覇装へ染みていく。
「隊長…!」
すがり付いて泣く一之瀬を修兵は抱きしめた。
――ただ幸せであればいいだけなんだ
なのにこんな。自身と結ばれなくても、一之瀬が幸せであればと。
こんな些細な願いすら。
縋りついて泣く一之瀬を抱きしめながら修兵は思った。
ただ一之瀬が幸せで、たまに自身を見てくれたなら。
それだけで良かった。
こんな些細な願いすらかなわないのかと
修兵は鼻の奥がじんと熱くなるのを感じた。
《了》