いなくなって初めて判った
28:君と逢えた幸福
隊長の無念を晴らしたかったというのは、確かに嘘ではなかったと。
更木に言った言葉を思い返しながら一之瀬は手を動かした。
白い布を当て、その上から包帯を巻いていく。包帯が巻かれているだけで手首が細くなったような気がして哂いたくなった。
手当てをしようとした四番隊隊員の申し出を断って自ら、あてがわれた部屋で手当てしている。あの時、自分は確かに本気だったと。思い出す。反芻する。
――負けた、のだ
隊長も己も。更木という強く、強さにのみ固執する男に。
描いていた理想は脆くも崩れ落ちた。
隊長も理想も打ち砕かれて一之瀬は自暴自棄になりつつある己に気付いていた。同時に、更木の元につく気がないことにも。あの男の前に跪くことは出来なかった。
「虹霞…」
己の愛刀の名を呼び引き寄せる。
「何故、勝てなかったのだろうな…」
その鞘に唇を寄せる。今はもういないあの方は虹霞を綺麗だと言ってくださった。
「なんだァ、元気そうじゃあねぇか」
響いた声に一之瀬の体がビクリと跳ね上がった。部屋の入り口へ向けた視線の先には憎んでも憎みきれないはずの男が立っていた。
「何の用だッ」
鋭い声に更木はぼりぼりと胸を掻いてだらけた様子で答えた。
「てめぇを抱きにきた」
「な…!」
返す言葉が見つからず一之瀬は絶句した。交わした会話が一瞬で脳裏をよぎる。
「顔は悪くねぇ。可愛いところもあるんだろうがよ」
ずかずかと部屋に入ってきた更木の手が一之瀬の下顎を捕らえる。
「だから、あの男もてめぇを抱いてたんだろ」
「黙れ!」
今となっては先代の、隊長のことを揶揄されて一之瀬が激昂した。
「隊長を悪く言うことはいくら貴様でも許さ」
そこで唇をふさがれて一之瀬の言葉は呑みこまれた。触れ合った唇は少し乾いていた。
歯列をなぞる舌先が隙を見つけて中へ入り込んでくる。逃げる舌を追って舌を絡められ、一之瀬の息が上がった。
離れた唇から覗く舌先を銀糸が繋いだ。
「今は俺が隊長だぜ」
鋭く突き刺さる現実。一之瀬の目が逸らされた。胸倉を掴まれたと思った瞬間に床の上に落とされて背中を打ちつけた。痛みを訴える前に腰紐を解く更木の手に気付いた。
「更木――」
「逆らって逃げるか」
その言葉に一之瀬は凍りついた。
その間にも更木の手が一之瀬の死覇装の襟を乱し、現れた皮膚の上に口付けを落としていく。
「私は」
どうすればよいのだろう
体中を這う更木の手を不愉快に思いながらも体はその流れに乗り始めていた。
喉仏に噛みつかれて一之瀬は我に返った。
――隊長
初めて思った。更木は容赦なく切り裂くように体の内部へ入り込んでくる。
その熱に浮かされ、揺さぶられながら一之瀬は喘いだ。軋むように肺が呼吸し体の熱は上がり続けている。上がる嬌声をものともせず更木は腰を揺すり続けた。
他をものともせず突き進んできた男の何かがそこにあった。
更木に抱かれながら一之瀬は思った。
――隊長、あなたと
二人で。理想を話し合っていた頃がひどく幸せであったと。
二人でこの世界の未来を想い理想を語り合っていた頃がひどく、ひどく幸せであったと。
――いなくなって初めて判った
今はもういない隊長を想う。隊長を殺した男に私は今、抱かれている。
あなたが、好きでした。
あなたと逢えて、私は幸せでした。
幸福でした。
一之瀬の鳶色の目が潤んだかと想うと雫が一筋、流れ落ちた。
《了》