また今度会いましょう
27:訪れる別れといつかの再会
「テメェ…」
言葉が出なかった。掠れた声に相手は肩をすくめて見せた。
「どうやって」
「普通に、ですよ。玄関から」
小首を傾げると紫の髪がさらりと揺れた。微笑んだ線目が開いて紫苑が覗く。
魔竜王の名を冠すものの城へ平然と入ってくる獣神官にヴァルガーヴは呆れの念すら抱いた。城の主が不在だからいいようなものの、かち合ったらどうする気だったのだろう。
魔族に反旗を翻した者の城へ魔族がのこのことやってきている。
それなりに見つからないようにしたりといった工夫や仕掛けを潜り抜けて主のいない城へ乗り込んできたゼロスを、ヴァルガーヴは扱い損ねていた。
何を考えているのか。
「ガーヴがいなくってホントよかったですよ」
あはは、と笑いながら頭を掻くゼロスの目がヴァルガーヴに据えられたまま笑っていない。
それで初めて悟った。城の主である魔竜王ガーヴがいなくなった頃合を見てゼロスは城に侵入してきたのだと。
ヴァルガーヴが構える様子にゼロスがクスリと笑った。
「そんなに警戒しないでくださいよ、今日は何もしませんから」
ピッと人差し指を立ててウインクする。
「それとも、ガーヴがいないと僕が怖いんですか?」
ゼロスの片目が意味ありげにヴァルガーヴを見た。その視線を跳ね返すように睨み付ける。
「黙れッとっとと出て行け!」
「冷たいんですねぇもう」
ため息をつくゼロスはヴァルガーヴの言葉などなんでもないように言って歩み寄ってきた。
「せっかく私用の時間を作って逢いに来たんですよ?」
もうちょっと優しくしてくれたってバチは当たりませんよ、と立てた人差し指をフリフリゼロスが言った。
「それとも」
グン、とゼロスの顔が近づく。ヴァルガーヴが思わず一歩引く様子にゼロスの口元が笑みを浮かべた。
「本当に僕が怖いんですか?」
「黙れぇッ!」
しなる腕にゼロスが身を引いてすんでのところで拳を避けた。
「ガーヴがいないと僕と一緒にいるのも怖いんですか?」
明らかな揶揄にヴァルガーヴの頭に血が上る。出現した光弾がゼロスを狙った。
光弾が炸裂する寸前に姿が掻き消え、反対側へ姿が現れる。
「やだなぁ冗談ですよ、そんな怒らないでくださいよ」
「うるせぇとっとと出て行けッ! テメェといる理由なんかねぇ!」
怒髪天をつく勢いで怒るヴァルガーヴの様子にゼロスの笑みは深まるばかりだ。
「怒らないでくださいよ、ヴァルガーヴさん」
シュン、と音をさせてヴァルガーヴの眼前にゼロスの姿が現れる。
濡れた音をさせて唇が触れ合った。
突然のことに身動きすら取れなくなっているヴァルガーヴをいいことにゼロスはさらに悪乗りした。
いったん離れた唇が今度は角度を変えて触れてくる。半開きの唇の間に舌を潜り込ませて歯列をなぞる。反射的に開いた歯列のさらに奥へと舌を進めて、ヴァルガーヴの舌を絡め取る。流れ込む唾液がヴァルガーヴの口の端から伝い落ちた。
「…ッふ、ん」
甘い吐息にゼロスの征服心が刺激される。
――跪かせてみたくなる
エメラルドの色をした髪を梳く。頬の辺りに手を添えて、さらに深く口付けた。
鋭い金色の目が次第に情欲に潤んでくるのが間近で見えた。その満足感にゼロスは酔った。
「――…ッ、は、ぁ」
たっぷりと舌を絡ませ混ざり合った唾液が顎を伝う。離れて後のヴァルガーヴはポーッとしていた。ゼロスはその頬に口付けた。
「キスで感じましたか?」
途端に鋭さが金色の目に宿る。罵詈雑言を吐こうとした口を唇でふさいだ。
ヴァルガーヴの手がゼロスの肩にかかり、体を必死に押し返そうとしている。他愛ない抵抗にゼロスは笑った。
チュッと音を立てて唇が離れる。
「残念ですけど、今日はここまでですよ」
余韻にうっとりしていたヴァルガーヴの顔に朱が上る。口がパクパクと動くが声が出てこない。何か言い返そうと必死に頭を働かせているのが判ってゼロスが微笑む。
「本当に可愛い人ですねぇ」
「うるせぇ!」
ごしごしと口を拭う様子にすら愛しさを感じる。
「本当に…あなたがほしい」
本心だったのかもしれなかった。ポツリと零れた言葉にヴァルガーヴがきっと睨みつけてくる。その鋭さに目を見張る。
「俺はガーヴ様の誇り高き腹心だ!」
お前のものにはならないと言外に言われてゼロスの内部で何かが蠢いた。
黒々とした掴みがたいそれは確実にゼロスを侵食していった。
「俺が従うのはガーヴ様のみッ!」
「意外と頑固なんですね」
射抜くように睨みつけてくる金色の目に魅入られる。
――蠱惑的な目だ
魅入られる。惑わされる。
金色の目が自身を映していると思うだけでゾクゾクとしたものが走り抜けた。
「けど…それでこそ、ですよ」
ゼロスの口角がつり上がって笑みを浮かべた。開いた眼は深い紫苑色。
「そんな貴方が好きですよ、僕は」
ニコッと笑って小首を傾げる様子にもヴァルガーヴは警戒を解かない。
「それじゃあ、僕はこの辺で失礼しますよ」
ガーヴが帰ってきても困りますし、と嘯く。
「二度と来るなッ!」
まるで猫が怒っているようだとゼロスは思った。本当に嵌まりだしている。
「それでは、また今度」
また今度会いましょうと言ってゼロスは姿を消した。
体の快感を呼び覚ますようなキスの余韻に、ヴァルガーヴは口元を何度も拭った。
――俺はガーヴ様のものだ
ゼロスがどんなことをしようと何を言おうとそれだけは変わらないと。
ガーヴ様に拾われたこの体。この心。その証のように頭には角が生えている。
硬質なそれ。その冷たさが熱を冷ましてくれるようでヴァルガーヴは角にそっと触れた。
突然の訪れと別れ、再会。
「また逢いましょう」
その言葉どおりにゼロスは姿を見せる。どんなに冷たくあしらっても怒ってもゼロスは姿を現す。ガーヴがいない時を、狙ったかのようにして。
「ゼロス…」
油断のならない相手だ。それは判っている、だが。
落とされる口付けは甘く
ヴァルガーヴを酔わせた。うっとりするようなそれに思わず身を投げ出したくなる。
だけど
「ガーヴ様」
ガーヴへの忠誠を凌駕することはない。甘い誘惑。
ヴァルガーヴはもう一度余韻の残る唇を拭った。
別れるたびに再会の約束を
「また今度」
《了》