真っ直ぐで、強くて、優しくて
25:貴方のようになりたかった
急ぎ足が廊下を駆け抜ける。扉の前で足を止めると扉をノックする。
「入れ」
まだ幼い低音に扉を開ける。開いた扉から長身の男が現れる。短い黒髪。鳶色の目は潤んだように輝いていた。
――一目ぼれ、ってやつだった
「失礼します」
そう言う声も言葉も全て自分のものにしたくなる。
「移動書類です、判をお願いします」
執務室を歩いて日番谷の前に立った彼はそう言って一枚の書類を突き出す。慌てて我に返って書類を受け取る。所定の通りに目を通し判を押す。
そうしている間にも彼を観察する。
乱暴者や豪傑が多いことで知られる十一番隊にいたはずだ。そのわりに華奢な体はなんだか不思議に思えた。
「お前、名前は」
書類から目を起こして問うと、驚いたように目を瞬いた。
「…一之瀬、一之瀬真樹ですが」
「俺は日番谷冬獅郎だ」
「存じておりますが…」
一之瀬は明らかに戸惑っていた。その様が可愛い。もっとかきまわしてみたくさせる何かがそこにあった。
「冬獅郎って、呼んでみろ」
「隊長を呼びすてになど出来ません」
フルフルと頭を振って緩やかに拒否する一之瀬に、日番谷の顔に笑みが浮かぶ。
「呼べ。命令だ」
別隊の隊長だ。
命令を聞く義務もないにもかかわらず一之瀬は何とかこの状況を打破しようともがいていた。その動きが、全てが日番谷の興味を引く。
「…冬獅郎」
自身の名を一之瀬の舌が転がした瞬間走った電撃にも似た感覚は恋だとか愛だとかいうものだと気付いていた。
「上出来だ」
この瞬間、一之瀬と日番谷の間につながりが生まれた。
身分違いは互いの生活時間も違わせた。
隊長である日番谷にはこなさなければならない仕事があり、肩書きのない一之瀬は日々修行に励む毎日だった。二人はすれ違うたびに口付け、時間が合うたびに抱き合った。それでも気持ちのズレが少しずつ露見していった。
「日番谷、隊長」
日番谷の指先が皮膚の上を這いずる感覚に一之瀬は声を上げる。
ホコリっぽい一室で誰が来るとも知れない危機感があった。
「なんだ」
一之瀬の声色には気付かないふりをして日番谷は問う。
「人が、きます…ッ」
日番谷にその声は届かなかった。目の前に突きつけられた情事の跡に日番谷は我を忘れた。
虫さされのような赤い点。
「俺以外に抱かれてるな。誰だ」
ビクリ、と一之瀬の体が震える。指先をすべられるのを緩めもせず日番谷はもう一度問うた。
「言え。誰だ」
「…隊長、です」
十一番隊隊長の顔が浮かぶ。特筆するところのない男だ。黒々としたものが日番谷の中で生まれた。指先だけではなく手の平までもが一之瀬の体を這い始めた。
「日番谷隊長…!」
かき回される熱に一之瀬は声を上げる。されるがままになるほど体は従順だった。
「日番谷隊長!」
強く、大人の力で拒否されては子供の力ではどうにもならなかった。乱れた死覇装と上がった息に肩を上下させている。紅く染まった目元が艶っぽい。
「もう、やめてください」
もう、会わないでください
もう、抱かないでください
もう、構わないでください
「何故、私などに声をかけられたのですか…!」
キレイ。
とても真っ直ぐで正義感があってキレイなあなた。どうして私などに。
俯きかけた一之瀬の頬を日番谷の手が押さえる。
重なった唇はそれでも柔らかく心地好いものだった。
「日番谷隊長」
「好きだからに決まっているだろう」
ぽかんとする一之瀬の死覇装を脱がせる。
「好きだ。だから、抱くんだ」
一之瀬の鍛えられた胸の上を日番谷の舌が這う。ピクンと震えるその様が愛しかった。
「…ありがとう、ございます」
一之瀬は従順にそう応えた。
荷物はほんの手荷物程度だった。
これから自分は住み慣れた世界を出て行くのだ。
日番谷に相談はしなかった。
一之瀬の顔が後ろを振り向く。
明かりのついた隊舎の窓。数刻前までは自分もその一員だったのだ。
この世界を出て行くのだと、そういったら貴方はどんな顔をしただろう。
真っ直ぐで強くてきれいな貴方
――貴方のようになりたかった
それでも
未練はなかった。
一之瀬は前を向くと後ろを振り返りもせずに、出て行った。
《了》