知らなくていいことまで気付くのは
22:きっと、愛しすぎたから
ワンワンと響くような歓声。時折上がる声は見知った者の物であったりそうでなかったりした。埼玉一を維持するだけあってこの学校の野球部の練習はきつい。
ハァハァと肩で息をしながら御柳は前を見た。
御柳の前方では屑桐がピッチング練習をしていた。
頭の上で一つにくくられた黒髪。すっと通った鼻梁。顔の半分を覆う火傷痕は首筋にまで伸びている。そこに埋もれたように輝く目はルビーのような紅。頭に巻かれた包帯が額と眉を隠していて表情の変化はあまり読み取れない。黙っていれば整った顔立ちだと思うのに吐き出す言葉は威圧的だ。
――素直じゃねぇし
きつい練習もようやく終わりを迎えそれぞれ部室へ戻っていく。
雑談を交わしながら着替え、挨拶をして一人、また一人と部室を後にしていった。
「屑桐さん」
着替えを終え、部誌をつけていた屑桐は返事もしない。だがそれが常態なのを御柳は知っている。だからちっとも傷ついたりもせずに言葉を続けた。
「オレ、アンタのコト壊すかもしんねぇ」
その言葉に屑桐が初めて動いた。部誌をつける手を止めて、呆れたような眼差しを御柳に向ける。いつの間にか二人だけになっていた部室の中、御柳はフーセンガムを膨らませながら移動する。
「なんか言ってくださいよ」
プゥ、とフーセンガムを膨らませる。目線を落とすと几帳面な字が並ぶ帳面が見えた。
包み紙を取り出してガムを吐くとそのままキスをする。
そうしてすら屑桐は動揺しない。椅子に座って、部誌をつけていた、そのままで黙ってされるがままになっている。
「屑桐さん」
御柳の言葉に屑桐の目が答えた。何だと問う紅いその目に魅入られる。
「アンタのこと、壊すかもしんねぇ」
「お前…」
そこでさえぎるように御柳は口付けた。逃げる体を追って口付け壁際へ追い詰める。
背後で椅子の倒れる音がした。
角度を変えて、何度も何度も。口付ける。絡めた舌は熱く濡れていて互いの唾液が混ざり合って溢れた。服を引っ張って隙間を作り手を潜り込ませる。ベルトのバックルが外れる硬質な音。溢れた唾液の筋をなぞるように舌を這わせる。
「御柳」
御柳の手が下肢に及んでようやく屑桐の声が出た。
「今更嫌なんて言わせねーっすよ」
「ふざけるな」
今度の声は確実に怒気を孕んでいて、御柳はやばいかも、と思った。
その予感は当たっていて、思った瞬間腹に衝撃を食らった。
膝蹴りをくらって思わずその場に屈みこむ。こみ上げる吐き気と鈍痛に頭がくらくらした。
「俺は」
屑桐の声に意識がギリギリ保たれる。回復を待つように屑桐の言葉を待つ。
「お前に壊されたりなどしない」
一言一言が体にしみこんでくるようだった。安堵感。
「そりゃ…よかったっす…」
体を起こすと腹に痛みが走った。本気で蹴ったな、と思った。
脱がされかけたワイシャツ。外れたままのベルトのバックルと開きかけたズボン。ジッパーの部分から下着が覗いていた。
たくし上げたシャツの裾。覗くへそにあともう少しと一人ごちた。
「黙って抱かれてくださいよ」
冗談染みた声で体を起こすと屑桐がフンと鼻で笑った。
「そういうのは好みではないのだろう」
――あぁ見透かされてる
「無理矢理壊すのが、好きなのだろう」
屑桐の手がシャツの襟を開いて見せた。くっきりとした鎖骨が覗く。
「壊して見せろ」
「後悔しても知らないっすよ」
優しく口付けると答えるように舌が絡んできた。
「言っただろう。俺は、お前に壊されるほどヤワではない、と」
御柳が笑った。
「そうっすね」
屑桐は揺るがない。だから御柳は黙っている。気付いているけれども御柳は黙っている。
一度、屑桐が壊れているだろうことを。壊したのは十二支の主将だ、おそらくは。
揺るがなくなるまでどれほどの時間を要したのだろうと思う。
これほどになるまでどれだけの欠片が落ちてきたのだろうと思う。
きっと、ただの好きでは気付かなかったことにまで気付いていることに、御柳は気付いていた。
体を起こして屑桐に再度キスをする。
気付かなくてもいいことにまで目がいってしまう。
――愛してるって奴?
これが。これが愛しているというものなのだろうか。御柳は判らない。
だから御柳は目をそむける。見ないふりをする。気付かないふりをする。
――愛してるから
御柳は笑みを浮かべたまま、屑桐のシャツの中へと手を滑り込ませた。
《了》