唯一つ思うことが
16:貴方に捨てられたってかまわない
ガチャリと執務室の扉を開けると目的の人物はぼんやりと外など見ていた。
「隊長」
その声にくるりと顔が振り向いた。途端に一之瀬の手にある書類を見て顔をしかめる。
「また仕事か」
「溜め込むからですよ」
一之瀬が遠慮なしに部屋へ入り込むと机の上に書類をドサリと置いた。
「ちゃんと目を通してくださいね。この間みたいに判を押すだけでなく…」
「真樹ちゃ〜ん、結構きついね」
「副官はどうなされたのですか」
隊長の言葉をさらりと受け流して問うとあっさり返事が来た。
「たまった書類を方々へ持って行っているよ」
にっこりと全開の笑顔で言われて一之瀬はガクリと肩を落とした。
「真樹ちゃん、真樹ちゃん」
手招きされて机の上へ身を乗り出す。両頬を捕らえられたと思った瞬間に唇が重なっていた。驚いて身じろぎした一之瀬の肘が当たって机の上へ書類が散らばる。
「…ッ、隊長!」
耳まで真っ赤になって抗議する一之瀬を、隊長は軽く笑ってあしらった。
「明日、決闘だからね。勇気を頂戴」
隊長の言葉に冷たい現実が突き刺さる。
大勢の死神の前での決闘。殺された方は負けとなり、殺した方がその隊の新隊長となる。
「十一番隊は乱暴な奴ばっかりだけど、まぁ良い隊だよな。あと真樹ちゃんはもう少し笑うことだな。しかめっ面ばっかりしていると戻れなくなっちゃうぞ」
「貴方が勝ってくれればいくらでも笑います」
言うと同時に二人で噴出した。
「真樹ちゃんも言うようになったな〜」
「では、仕事をお願いします」
そう云って退出しようとした一之瀬の背に隊長の声がかけられた。
「もっと笑えよ。せっかく良い顔してんだからよ」
よく晴れた日だった。百名を越える死神の中心からは戦闘音が響いている。
斬魄刀が肉を裂き骨を砕き、術があたりを破壊した。
――おされている
群衆に紛れて戦いを見ていた一之瀬の胸に懸念が宿る。
斬魄刀同士がぶつかりあう金属音。肉を切り裂く音、飛び散る血液。
戦いの中心にいる二人が剣を振るうたび、群集はどよめいた。
ギラリ、と剣八の切っ先が煌めいた。
一之瀬が人ごみをかき分け前へでる。意識するまもなく叫んでいた。
「隊長!」
声と同時に切っ先が体を切り裂いた。
滝のように紅い血しぶきが上がり、隊長の体がぐラリと傾いだ。
「隊長!」
倒れた男を剣八が見下ろしている。紅い染みが見る見る広がり男はピクリとも動かない。
剣八の手が伸び、隊長格だけが許される羽織を奪った。真白な羽織のところどころに紅い染みがついていた。
「オレの勝ちだな」
言い捨てて立ち去ろうとする剣八の様子に一之瀬の内部から湧き上がるものがあった。
目が見開かれ、意識するまもなく叫んでいた。
「更木!」
地面を蹴り斬魄刀に手をかける。
一気に抜こうとしたその手を周りの人間が止めた。
「一之瀬殿! これは正規の」
「抜刀などは許されません!」
柄を掴む手がぶるぶると震えた。噛み締めた歯がギリッと鳴る。
正規の決闘だ、横槍の入れようもない。
震える手がそっと斬魄刀からはなれ拳を握った。
「…申し訳ありません」
俯いた目の前が滲んだ。
今は死んだ隊長の言葉がよみがえる。
『もっと笑えよ。せっかく良い顔してんだからよ』
熱い雫がポタリと落ちた。
貴方に捨てられたってかまわなかった
ただ
先に逝かないで、ほしかった
《了》