今のままでよかった
14:こうしているだけでいい
いつから好きになっただろう
気付けば目線が追っていた。
長身で引き締まった体躯。焦げ茶色の髪も碧色の目も精悍な顔立ちも。
同じピッチャーとは思えないほど凛とした。
――自分とは違いすぎる
女のように小柄で力もそんなに強くない。
精悍だとか凛としたと言った言葉からは程遠い自身。
どうせ僕なんか眼中にはないだろう。ライバル視している訳ではない。けれどそう思うと少し胸が痛んだ。
「あ〜沖、また兄ちゃん見てんのかよ」
明るい声に目を向ければ由太郎がいた。魁の弟で長い金髪を尻尾のように硬く結っている。
「由太郎」
「好きなら好きって言っちゃえよ」
当たり前の一言が胸を指す。
言ってしまえばいいのだ。だが。
「…関係が壊れたくないから…やだ…」
一度言ってしまえば取り返しはつかない。今まで接してくれたように接してはくれないだろう。それが何より怖い。
「う〜でも、言わないとそのままだぞ」
思ったことをすぐ口にする性質の由太郎はもどかしげにそう言った。
「由太郎」
かけられた声に沖の肩がビクリと跳ねる。
「そうだ、沖おめぇ抱きついてこいよ!」
由太郎の言葉に沖の意識が飛びかけた。告白も出来ないのに抱きついてこいなどと、何を考えているのか。
「…由太郎」
どんよりした空気を背負った沖にも気付かず、由太郎はそれがいいなどと一人合点している。
「由太郎、さっきから呼んで…」
魁がこちらに歩み寄ってくる。沖の心臓は破裂しそうなほど脈打っていた。
耳の後ろがドクドクと煩い。あぁどうすればいいだろう。
僕なんかが何かやったっていい結果になるわけないよ
「兄ちゃん!」
由太郎の声がした、と思った途端に背中をドンと押されてよろめいた。思わずバランスを取ろうと手がもがいて捕まった先が魁の体だった。
腰に手を回してぎゅうっと抱きつく。腰は思ったより細かった。全身を使って投げる投法の所為かしなやかな筋肉がついているのが判る。練習後、ほんのり上がった体温がなんだか心地好かった。沖が猫のように顔をこすり付ける。
「由太郎…?」
抱きつかれた魁の方は全く意味が判らず困惑するばかりだ。
原因である由太郎はニシシと笑って、楽しげに二人を見ているだけだ。
「じゃーな、沖」
「由太郎!」
困惑した魁を残したまま、弟は無情にも駆け去ってしまう。
魁は沖に抱きつかれたまま途方にくれた。
「沖」
名前を呼ぶとピクリと反応する。その様はまるで猫のようだと魁は思った。
「どうしたというのだ…?」
黒い帽子の上からなだめるように頭を撫でてやる。蒼い髪がさらりと動いて、蒼い目が覗いた。大きな目がじっと魁を見つめてくる。
腰に抱きついていた手が離れ、魁の両頬を捕まれる。強い力で引かれて魁が前かがみになり、沖が背伸びをして二人の唇が重なった。
驚いて声も出ない魁の歯列を沖の舌先がなぞる。わずかに開いた隙間から潜り込んだ舌が、魁の舌を絡めとり吸い上げる。濡れた音がいつしか響いていた。
「…沖」
「…すいません、僕なんかで」
沖の手がするりと離れていった。そのままかけ去ろうとする腕を魁の手が捕まえた。
「そんな言い方をするな」
沖の体に電流が走ったような衝撃が襲った。
目の奥がじんとした。それでも腕をそっと解いて言った。
「ありがとうございました」
「沖」
怖くて後ろは振り返れなかった。
僕なんかにキスされてどんな気分だろう。考えれば考えるほどに気分が沈んでいく。
最後に振り向き見た魁の表情が目の裏に灼きついて消えなかった。
「沖」
魁は名前を呟きながら触れ合った唇に触れていた。
その顔が耳まで火照っていることに気付いていた。
こうしている、それだけでいい
これ以上は望まない
壊れたくない、壊したくない
《了》