貴方の中に少しだけでもいい
05:記憶に残るキス
不意に始まったそれは途切れることも終わることもなく続いている。
馬橋はそれを止めようともせず、ただ享受している。それは甘えなのか投げやりなのか、馬橋自身に区別はつかなかった。
廊下に静かに響く足音。待ちかねたそれを、それでもどうでもいいふりをして待っている。遠慮がちにされるノックに扉を開けると目的のそれがたたずんでいた。
「遅かったんじゃねぇの」
「…狩矢様に呼ばれていて」
戯れに言った言葉には見かけどおり真面目な答えが返る。それに生返事をして、馬橋は一之瀬を招きいれた。
黙って部屋に入る一之瀬の後ろで静かに扉を閉める。
了解したようにベッドに歩み寄る一之瀬の肩を掴んで振り向かせる。振り向いた一之瀬の唇を奪い、その勢いのままベッドの上へ押し倒した。ベッドが二人分の重みに軋む。
「…ッふ」
深く交わした口付けの合間に一之瀬が喉を喘がせる。その唇をぺろりと舐めて甘く噛むと一之瀬の目が瞬いた。
死覇装の襟を乱し、腰紐を解く。現れた膝を割り体を割り込ませるのを、一之瀬は黙ってされるがままになっている。
馬橋の手が次第にスピードをなくし、終いには止まる。その様子に一之瀬はいぶかしげに眉を寄せた。
――躊躇いなんて
ないはずだった。
いつからか始まった情交に、どちらともなく応じてそれが今まで続いていた。当然のように義務のように。交わるそれは快感を得ることが出来て、躊躇いなど生まれる隙はないはずだった。
それでも、確かに生まれたそれは躊躇いだった。
膝を掴んだまま止まった手を不思議そうに一之瀬が見ている。中途で止まるなど初めてのことで一之瀬自身もそのことに戸惑いを感じていた。
「馬橋、くん」
名前を呼ぶと馬橋の肩がビクリと跳ねた。夜闇の中、鮮やかな山吹色の髪が浮かび上がる。
蒼い目が宝石のように煌めいた。
「…なぁ」
躊躇いがちに切り出された言葉の続きを、一之瀬は大人しく待っている。馬橋は乾いた唇を湿すように舐めると言葉を切り出した。
「たまにはアンタからキスしろよ」
一之瀬の目が見開かれていくのを馬橋は妙に冷静に見ていた。
いつも、ただ与えられたものを享受するだけの一之瀬。その中身を引っ掻き回してやりたかったのかもしれないと思った。一之瀬は事実、戸惑ったように言葉を選んでいる。
「…どうして」
――刻みつけてやりたかった
「別に理由なんかねぇよ、たまにはいいだろ」
怒ったような無愛想な返事に一之瀬は戸惑っていたようだが、そっと馬橋の頬に触れた。
「…判った」
組み敷かれていた体を起こし馬橋の唇とそっと重ねる。
柔らかで、ほんのり熱を帯びた唇の感触。触れるだけだった口付けは次第に深みを増して、終いには噛みつくように唇が動いた。
「…これで、いいのか」
潤んだ茶褐色の目が問いかける。それを無視して、馬橋は噛み付くように口付けた。
濡れた音を立てて離れた唇を銀糸が繋ぐ。ぷつんと切れるそれを眺めていると一之瀬の舌が覗いていた。たまらなくなって馬橋は一之瀬をかき抱いた。
「やっぱ、アンタのこと好きだわ」
――忘れられない、何一つ
きつく抱きしめて来る馬橋に戸惑った一之瀬はただされるがままになっている。
抱きしめられる一之瀬はただぼんやりとそれを享受していた。
そんな一之瀬に馬橋は再度口付けを落とした。
――その目が誰を見ているか知っている
それでも。
「真樹」
名前を呼ぶとわずかに反応する。それがひどく嬉しくて、馬橋は何度も名を呼んだ。
「真樹」
一之瀬の視線の先、その人物は決して一之瀬の名を呼ばない。そこにつけこんでいると判っている。それでも。
縋るように呼ぶ、その名前に返る反応が愛しくて、馬橋は何度も口にした。
「真樹」
少しでも刻み付けておきたかった
貴方の記憶の中に
おいてください
「真樹」
潤んだ茶褐色の目を見ながら、馬橋は深く、口付けた。
《了》