とてもやわらかで
24:裸足
人の少なくなる頃合に医院の扉がそっと開いた。顔を覗かせた青年の気配を感じたのか診察室の扉が開く。
「よう、ドクター」
顔を出したトーヤにリウアルは軽く声をかけた。
「どうした」
その言葉に答えるようにリウアルが足を指し示して苦笑する。トーヤの目がその指の動きを追う。眼鏡がキラリと光を反射した。
「ちょっとドジっちゃってさ…たいした怪我じゃないんだけど、まぁ念のため」
ズボンの裾をたくし上げて靴の紐を解く。現れた皮膚の上に少し大きめの裂傷が走っていた。
「…入れ」
トーヤは短くそう言うと先にたって診察室へ戻る。その後をリウアルが少し足を引きずりつつ追った。少しそっけない態度が常態だと知っているから気にも留めずに診察室へ入って扉を閉めると、トーヤの指し示す椅子に腰を下ろした。
「どうしてそんなところに怪我をしたんだ」
棚から消毒液や脱脂綿を取り出す。その動きを眺めていたリウアルは苦笑しながら言った。
「裸足で掃除していたら転んだ。ま、たいした怪我じゃないから来る必要はないんだけど…トーヤの顔見にきちゃったってところ」
怪我をしていない方の足をぶらぶらさせてしれっと言ってのける様子に、トーヤはため息をついた。机の上に瓶を置くコトリという音が響く。
「ジョートショップの仕事はどうした」
働く何でも屋の事を訊くとリウアルはさらりと言った。
「終わらせてきたって、心配するなよ」
「…足を乗せろ」
トーヤはそう言ってもう一脚椅子を引き寄せた。リウアルは素直に言葉に従って足を乗せる。
「…あれ、ディアーナは? そういやいねぇじゃん」
手当てを始めるトーヤの様子にはじめて気付いたリウアルが言う。トーヤは目線を怪我に向けて手順を止めずに返事をした。
「少し使いに出した」
濡れた脱脂綿が傷口に触れると痺れるような痛みが走る。思わず眉を寄せるリウアルの様子を知らずにトーヤは淡々と手当てを進めていく。
「なぁ、せっかく顔見に来たって言ってんだから嬉しがるとか優しくするとかないのかよ」
遠慮など微塵も感じられない手付きと態度にリウアルが唇を尖らせた。
「馬鹿なことを言うな」
あっさりはねつけられてリウアルが唸る。それでも手当ての邪魔はせずおとなしくされるままになっていた。俯いたトーヤの浮き出た鎖骨を見つめる。襟ぐりの開いた服の所為で首元がとてもよく見えた。
「…これでいいだろう」
手当てを終えたトーヤが体を起こして視界の景色が変わる。机に向かって何か書き出した動きを見るともなしに見つめる。手当てを終えても動こうとしない気配にトーヤが振り返った。
「どうした、終わったが」
椅子から足を下ろして反動で立ち上がる。そのまま抱きつくのを、トーヤは黙ってさせるままにしていた。
「…好きなんだけど」
「…ディアーナが帰ってくる。離せ」
それでもリウアルは首に抱きついたまま動こうとしない。静かな医院に鳥の鳴き声がどこからが聞こえた。
「…お前は人の心の中にたやすく入ってくるな」
トーヤの言葉にリウアルの眉がピクリと動いて抱きしめる手に力がこもる。
「でも土足で入ってないぜ」
不満げに言い返した言葉に淡々とした言葉が返る。
「そうだな…さしずめ裸足で入ってくるといったところだ」
「ほめられてんのかけなされてんのか判んねぇ」
抱きついたままぶつくさ言うとトーヤが苦笑したのが気配で伝わってきた。
「一緒に傷ついたりしているお人よしだ」
「…一応、買い被りだって言っとくわ」
微妙に誉められているのかけなされているのか判断に迷ったリウアルがそう答える。
抱きつく腕を緩めて唇を重ねた。抵抗もせずにされるままのトーヤに、リウアルは少し不思議そうな顔をした。リウアルが離れたのを見計らってトーヤは引っ張り出した椅子を片付ける。不意打ちを食らったようなリウアルは手持ち無沙汰にその様子を眺めていた。
「嫌がられないのは嬉しいんだけどさ」
「もうジョートショップへ戻れ…ディアーナもそろそろ帰ってくる頃だ」
平然と言われたのがなんだか悔しくてリウアルはもう一度唇を奪った。
今度は驚いたのか、眼鏡の奥の目が見開かれる。その様子にリウアルは満足したように体を離した。
「…リウアル」
「トーヤに名前呼ばれたの久しぶりだな」
嬉しげにそういいながら支度を整える。解けた靴紐を結んで体を起こす。
「じゃ、な。なんかあったらジョートショップをご贔屓に」
笑いながら言うと呆れを含んだ紅い目が瞬く。ため息をつくトーヤにヒラヒラと手を振って医院を出た。
「裸足、ね」
トーヤの言葉を反芻すると自然と口元が緩んだ。
お人よしとも言われたっけ、と呟きながら歩き出す。
見上げた空はひどく蒼くて目に染みるような気がした。
《了》