触れるだけで安心するから
20:キス
「ねぇ、キスしていい?」
突然の訪れの理由をただす前にそう言われた。
「何を馬鹿な…」
呆れてそう言う辰伶を気にするでもなく、螢惑はさらに言い募る。
「ねぇ、駄目?」
「だ、だめとかではなく…」
そんなことを言うな、というと螢惑の眉が寄った。
「いいじゃん…したい」
煌めく金色の目がじっと辰伶を凝視する。それに思わずたじろいでしまう。
「…駄目だ」
螢惑が近づいた分だけ後退る辰伶の口から言葉が絞り出される。
その言葉に螢惑がますます眉を寄せた。
「何で駄目なの」
唇を尖らせて不満げに螢惑が訊ねる。
「だ、だから駄目とかではなく…ッ」
子供っぽい強引さで迫る螢惑の肩を、辰伶がやっとの思いで押しとどめる。
「なんで」
螢惑の手が辰伶の頬に触れる。思わずビクリと震える辰伶に螢惑の口角がつり上がった。
手がそっと頬を包み込んだかと思うとするりと滑り落ちて、首筋の水の字に触れる。
指先がくすぐるように辰伶の首筋を撫で上げる。震える辰伶の振動が伝わってきて、螢惑はますます笑みを深めた。
「怯えてるの」
「ばッ――馬鹿を言うなッ俺がそんな…ッ」
螢惑の言葉に辰伶が過剰な反応を見せた。ほとばしる言葉尻を捕らえて螢惑が笑う。
「じゃあキスの一つくらい、いいよね」
ぐうの音も出ない辰伶の様子に、ついに螢惑は声を上げて笑い出した。
「螢惑! 貴様…ッ」
辰伶の白い肌に見る見る朱がのぼり螢惑の胸倉を掴みあげる。
「ごめん…」
謝るそばから笑われて辰伶は胸倉を掴んでいた手を振り捨てた。
「さっさと戻れ! 貴様の顔など見たくもないわ!」
くるりと踵を返してしまうのを螢惑の手が反射的に止める。腕を捕まれてギロリと睨んでくるのを真正面から受け止めて見返す。
「ごめんってば。でもキスしたいのは本当」
「離せ」
言葉を無視されても螢惑が言い募る。螢惑の目が辰伶を捕らえる。
「辰伶」
「…離せ」
拒絶の言葉を吐きながらも腕を振り払わない人の良さに感嘆した。
「キス、したい」
「何故そんなにしたがる」
辰伶の言葉に螢惑がきょとんとした。
「貴様は何故そんなに…」
もう一度繰り返す辰伶の言葉が途中で途切れた。
ふわりと。
重なる唇と途切れた言葉。
触れるだけの幼いキスに、それでも驚いた辰伶の目が見開かれる。
呆然としている辰伶の唇を味わってそっと離れていく螢惑は当然のように言った。
「理由なんてないけど」
瞬間、つりあがった辰伶の眉に気付いた螢惑は辰伶の拳をガードした。
バチッと肉のぶつかり合う音が辺りに響く。
「怒った?」
殴られかけても表情一つ変えない螢惑を、辰伶はきつく睨んだ。
「理由がないだと…だったら何故貴様は」
形の良い辰伶の眉がキリキリとつり上がる。振り下ろされた手がわなわなと震えるのを螢惑の目がチラリと眺めて辰伶を見つめる。
「理由なんてないよ。本当にしたいだけだし」
そう言ったそばからチュッと音を立ててキスをした。
しなる腕を螢惑が身軽に避けて後退る。その拍子に自由になった辰伶が踵を返した。
「だったらもういいだろう」
「むー…」
今度こそ捕まらずにその場を去る辰伶の背中に不満げに呟いても返事はない。
肩を怒らせて歩く様子に螢惑は辰伶を引き止めずに見送った。
「まぁ、いいか…」
――安心する
螢惑がポツリと呟く。触れ合った唇にはまだ体温が残っているような気がして、なんだかくすぐったいような気がした。
《了》