『知らない』でいるのはひどく

 つらい


   10:知らない

 ひたひたと足裏へ張り付く感触に不意に気づいた。
汗でもかいているのかと足裏を拭っても濡れていない、そのくせ足音はひたりひたりと消えるような音を立てる。
 それを振り払うようにわざと足を上げ足音を立てる。
目的の部屋の中で気づいた気配があって安堵する。
その足音のまま駆けて部屋まで行くとそっと障子を開いた。
「こんにちは、辰之助サン」
 ひょこりと現れた女顔に辰之助が顔の筋肉を緩める。
「沖田さん」
それを見てから沖田もまたにっこりと微笑んだ。
「お邪魔しても、いいですか?」
「あ、はい」
座卓に開かれた冊子に目をやって訊くと、辰之助の手がそれを閉じて脇へ避けた。
 気づかれない程度に間を空けて座卓のそばへ腰を下ろす。
「やっぱり辰之助さんはイイですね」
「…は?」
訳が判らないと目を瞬く辰之助の様子に沖田はさらに笑みを深めた。
 「だって、近藤さんは忙しいし土方さんはすぐ怒鳴るし山崎さんは仕事行っちゃうし。鉄クンも悪くはないんですけど、こうやってお話しすることはないですし…」
指折り数えあげる沖田の様子に辰之助は呆けたまま生返事をする。
「だから、辰之助サンのことは大好きですよ」
そういうと照れたように頭を掻いて、やはり「どうも…」と生返事をする。
 「そういえば、鉄クン、最近忙しそうですよね〜」
ふざけたふうに言うと辰之助の顔が変わる。
「そうですね…いろいろ、構ってもらえているようで…何かしでかしてなきゃ、いいんですけどね」
当たり障りのない返事に笑う顔。でもドコか寂しいような諦めのような。
「辰之助さん」
ズイと近づく分だけあとずさる。
それを追わず、穏やかに笑いながら沖田の唇がゆっくりと言葉を紡いだ。

「寂しいですか?」

それでも間の空くことはなく辰之助はすらりと答えた。

「今まで二人でしたから多少は」

だからなんでもない
慣れます
そう言いたげに笑う辰之助に沖田はそっと体を引いた。
 「そうですか? すごいですね」
「そうでも、ないと思いますけど…」
「いいえ、すごいです」
ふむっと鼻息荒く頷いた沖田の目がちろりと辰之助を見上げた。
「私は寂しかったですから」

誰かから離れるというのは
自分から離れるというのは
そうしなければならないというのは

 「辰之助さん」
座卓を回り込むように伸ばした手が、辰之助の体を横へ引き倒す。
驚きながら見上げた視界には座卓へ身を乗り出した沖田が見えた。
「あ、あの」
白く細い手が座卓を乱暴に脇へ押しやる。
襟から覗く肌が妙に白くて目を奪われるうちに視界が黒く染まった。
それが沖田の黒髪だと数瞬後に気づく。
 「沖田さん?」
流れ込んでいた日の光がもう見えない。入れ替わりに沖田の白く細い体が視界を埋める。
女のように白い、けれど骨ばった竹刀ダコの名残すら判る手がそっと下りてくる。
薄影にまぎれる沖田の目が濡れているような気がした。
 喉に当てられた手が、手の平全体で緩やかに触れる。うなじへ回り髪の生え際と産毛をもてあそんだかと思うと喉仏に触れている。
鎖骨へ伸びた手が襟の合わせ目へ入り込もうとしてはビクリと震えて返っていく。
「沖田、さん?」
大声を上げることもできずにただ名前を呼ぶ。目的の判らない行為に身を任せる。
 這い回る手を捕まえると、その手首はやはり細かった。
「あの、何を…」
「辰之助さん」
不意の真剣な声に思わず手を止める。その隙に振りほどかれて、反射的に沖田の肩口を鷲掴んだ。
 肩へ寄ったしわも掴む手も気にせず沖田の手がそっと辰之助の唇に触れる。
指先がふくらみをなぞり何度も往復する。
顎へ触れると上を向かせる。
驚く間に沖田の顔が近づいた。

唇は重ならなかった。

のろのろと離れる沖田が俯いたまま辰之助を助け起こす。
「沖田さん?」
事の成り行きに驚くだけだった辰之助がようやく自ら体を動かした。
覗き込もうとする動きに沖田の顔がぴょこんと前を向いた。
 「びっくりしました?」
その言葉を咀嚼するかのように目を瞬いていた辰之助がふぅっと大きく息を吐いた。
脱力したのか、肩が大きく落ちる。
「…からかわないでください」
「えへへ、ごめんなさい」
子供のような笑顔で言うと身軽に立ち上がる。
「怒らないでくださいね? からかったわけじゃないんですよ〜」
それでも疑い深げに見上げてくる辰之助に腕が動きそうになる。
抱きしめたいと動く腕をわざと大きく振って部屋を出る。出入り口でひょこりと顔を覗かせて言った。
 「大好きなのはホントなんですから。それじゃ失礼しますね」
にこりと笑って顔を引っ込める、その視界の端に顔を真っ赤にした辰之助を捕らえつつ早足で部屋から離れた。
 ペタペタと足音が耳につく。
「あぁ、もう…」
震える手が触れ合えなかった唇をなぞる。
掴まれた手首に触れるだけで体に震えが走る気がした。

「…なんでだろ」
何も知らなければきっと
もう少し 強く 正直に 大胆に

あなたに触れられた 何の罪悪感もなく

離れていくのが寂しくないと寂しげに笑う
違うと知っていても 判っていても

あなにすがりたくなる


私がいなくなるまで一緒にいてくれませんか?

 長い黒髪が風になぶられる。
上を向くと言えなかった言葉がほどけていった。


《了》

大まかなネタは早くから出来てたのに全然でした…(汗) 02/23/2004 UP

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