トーヤの胸に刻まれたそれが何かを、俺は知らない
情事の際に嫌でも目に付くその刺青のようなもの。
熱で火照った体を撫で上げ、それに触れるとトーヤは泣き笑いのような表情を薄く浮かべる。
その訳もその刺青がなんなのかも、俺は訊かなかった。
06:冷たい鎖
「たーだいまーっていうか暇そうだな、ドクター」
「ジョートショップへは行かないのか」
いささか乱暴に扉を開けたリウアルにトーヤは平然と話しかける。
彼が突然、この街へ現れたようにぷっつりと街を出て一年余り経った。
あの事件の記憶も薄れ、今でもリウアルのことを気に留めているものも限られてきた。
「玄関で掃除しながらすっ転んでた器用な眼鏡の娘、誰? ドクターの知り合いか?」
「…そう、見えるのか」
げんなりして振り返るトーヤにリウアルはにやりと笑って見せた。
「血縁者じゃねぇよなぁ。だったら眼鏡も白衣もお揃いなんてことドクターが許すわけねぇし…弟子でも取ったのかよ?」
弟子という言葉に眉根がキュッと寄るのをみて、リウアルの笑みが深まる。
「押しかけ弟子か? うーわードクターも老けたな…」
「なんでそうなる」
脈絡ない揶揄にトーヤが真面目な反応を示す。
そのことにすら懐かしさを感じてリウアルはふぅと微笑んだ。
「なぁ」
「今度はなんだ」
嫌そうに、それでも反応はするトーヤにリウアルは表情を変えずに言った。
「アレフにあってきたぜ」
その一言で空気がピリッとはじけた。突然のシンとした静けさが皮膚をチリチリとなぶる。
外から押しかけ弟子が派手に何かをやらかす物音が聞こえてきた。
「魔法治療師とモメたんだって?」
リウアルの言葉にトーヤは一言も言葉を返さない。
「なぁトーヤ」
微妙な言葉の変化にトーヤの肩がピクリと揺れた。
「一年前に俺が聞いておいたほうが、良かったか?」
――ミーシャ
リウアルの言葉に奥底から名前がふわんと浮き上がってくる。
顔も髪も目も、何一つ忘れた事のない妹。それはそう、その最期すらも。
キィと音がしてトーヤの座っていた椅子が回転した。
白衣と黒い襟ぐり。
覗く鎖骨は骨ばっているが、白衣の中身はそう華奢ではないことを知っている。
丸い眼鏡の奥の目が焔のようなルビーに輝く。
「なぜ、そう思うんだ」
試すような輝き。あァそうだ、これに惚れたんだ。
「なんで、ってそりゃ」
「コイビトの自負ってヤツ以外にないでショ」
言い終わるか否かのうちに、どちらからともなく笑いがほとばしり出た。
椅子に座っているトーヤに上から覆いかぶさる。
「話せって言ってる訳じゃねーんだよ? その辺は本人次第だしな」
首に腕を回して抱きしめる。久しぶりの感触と厚みに頬擦りした。
「俺には、話せるような過去もねぇし」
俯く動きを肌で察知したトーヤは目だけを一瞬向けると、すぐ何事もなかったかのように手元の書類へ目線を落とす。
「ということは判らないんだな、まだ…」
リウアルという名すら持たずに。
街で行き倒れて、アリサさんに拾われてドクターに治療を受けて。
住家も何も、記憶すら持っていなかった。何故此処にいる何故行き倒れた何故何故何故。
劉児という名前と疑問だけがリウアルの経歴になった。
「別に、そんなたいそうな何かとは、思えねぇけどな…」
フッと笑う吐息がトーヤの首筋をくすぐる。
「…ッ、ミーシャのことなら話しても」
「今はいい」
震える体を抱きしめて唇を重ねる。こめかみから耳へ、耳から首筋へと指先を滑らせるともどかしいような震えが返ってきて、リウアルの唇が弓なりに反った。
「俺の記憶と交換で教えてよ」
黒い結び目を解く。けれどそれ以上は許されず指先は鎖骨とその窪みをなぞった。
「…冷たい、奴だ」
ゾクリとする低音にリウアルの笑みは深まる。
「ヌルいより冷たいほうが、イイだろ?」
喉仏をなぞってたどり着いた下顎を上向かせる。
優しく、冷たい唇が重なった。
《了》