誰にでもあって誰にもなくて
それは俺たちだけの
03:傷跡
魔物との戦闘中、ふとそれが宝石のように輝いた気がした。
頃合を見計らって、アルベルはクリフの元へ歩み寄る。アルベルのきつく縛り結われた髪が、二本の尻尾のように背中で跳ねる。珍しい来訪にクリフが一瞬目を瞬かせた。
「テメェのそれはなんだ?」
かしゃりと音を立てて鋭い爪を持つ義手が動く。その爪先がクリフの喉元を指した。
「あ? それ? …これか?」
ようやっと思い至ったクリフに苛立たしげな肯定が返る。
「なんでもねぇよ。クラウストロじゃ普通だぜ…あえて言うなら人種的特徴ってトコだろ」
「フン…」
さらりと言われてアルベルが言葉に詰まる。
猫のように気まぐれなアルベルが珍しく話しかけてきたことに興味を覚えて、クリフは悪戯っぽい笑みを浮かべながらアルベルの元へかがみ込んだ。
軽い考えのまま、クリフが伸ばした両手がそっと肩を掴む。
緊張したのか強張りと火照りがクリフの手に熱を逃がしていく。その反対側は酷く冷たくその二つ名を思い出させた。
らしくもなく、されるがままのアルベルを試すようにクリフが腕を引いて抱き寄せると唇を重ねた。ほわんとした唇をぺろりと舐めて離れる。
無反応に肩透かしを食らったクリフの体を、アルベルが思い切り壁に叩きつけた。
見下ろすアルベルの目がギラとしていてクリフは一瞬後悔した。
「じゃ、その傷はお前だけじゃねぇんだな」
呟く声は低く聞き取れずに、聞き返そうとしたクリフの唇をアルベルが奪う。
ズズと二人で地面へ座り込む。
「お前だけの傷じゃあねぇんだろ」
駄々をこねる子供のように繰り返すアルベルにクリフは苛立ちすら滲ませて頷いた。
「当たり前なんだよそれが。ミラージュやランカーにだってつい」
アルベルの体が傾いだ。キスするのかという懸念は外れたが、首筋に文字通り、噛み付かれた。白い皮膚の上を走る緑色に、アルベルはわざと犬歯を立てた。
「痛! 痛ェだろが!」
引き剥がそうとするクリフの手は意外に大きいとアルベルは歯を食い込ませながら初めて気づいたと自嘲した。
あれだけ目で追っていたのに
こんな阿呆はオレらしくない
「感じたのかよ」
「ただ単にイテェんだよ!離れろコラァ」
アルベルをようやく引き剥がしたクリフは首を撫でて傷を確かめる。
そのそばからアルベルが揶揄うように、首の三本線を義肢の鋭い爪先でなぞる。
「イテェって言ってんのが聞こえてねーのかお前は…」
ブツブツ愚痴をたれるクリフを無視してアルベルの目が決意を湛えてクリフの蒼い目を射抜く。その裡を感じながらおくびにもださずクリフは恨めしくアルベルを見返した。
白い肌にくっきりついた犬歯の後から血が滲んでいた。
「オレには、オレだけのもの、が」
泣き出しそうな声で呟かれた言葉に目だけを向ける。悲哀の代わりに自責がアルベルの綺麗な顔を歪ませていた。
「見せてみろよ、じゃあ」
冷たく突き放す言葉にアルベルの口元が微笑んだ。
金属音を何度もさせて外れた義肢。肱の辺りを中心に火傷が皮膚を侵し、その先に続くはずの腕も手首も手も指も、何もなかった。
指を刺す仕草で見せられた傷口は奇妙な凹凸と艶めいた肉色でしかなかった。
「これはオレだけの傷だ」
いいながら手際よく義肢を嵌めていく。
その様子から見てアルベルが片腕を失ったのは、きっともっとちっぽけな少年だった頃なのだろうとクリフは漠然と思った。
「この傷でクソ親父も死んだ」
アルベルの目が威嚇するようにクリフを見たが、クリフの方はたいした変化を来たしてはいなかった。批判も非難も同情も罵倒も。そこには何もなく。
「そりゃまた、すごいことだな」
「同情や憐憫はいらねぇんだよ阿呆」
アルベルの台詞にクリフの喉が猫のように音を立てて笑った。
「オレがお前に同情するかよ!」
腹を抱えて笑われると逆に怒りがわいてくる。
「貴様…」
銀に輝く義手と刀という名の片刃の獲物がクリフに狙いをつける。
「冗談だろ?! マジになるなって」
追われてクリフが逃げ込んだ木陰は少しひんやりして心地好かった。
アルベルの義肢が音をさせる。
「バレるぜ」
言葉を無視してアルベルの手が動く。人造物とは思えない細やかな動きに思わず感嘆した。
肌に直接触れる金属に身震いするとアルベルが笑ったような気がした。
衣擦れは時代の進歩でサラサラと髪や小川のように微かな音だった。
それでも触れ合う皮膚は熱く金属は冷たく横に向けた目に映ったのは萌える芝生。
くっくっとクリフの喉が笑いの音を立てる。
「テ、メェの方が、よっぽど猫みたいだぜ」
途切れる吐息にクリフは返事をせず、ただにんまりと微笑って見せた。
あのクソ親父はオレを守って死んだ
そうか
だから片腕ですんだってクソ虫どもが言いやがる
だろうな
オレはクソ親父を助けられなかった
だからオレはオレを許せねぇ
クリフが哀しいような顔で笑った。
そういう無力感に苛まれるのは、キツイよな
判ったように言いやがる
経験済みだからな
…………
戦争の犠牲はいつもガキだ
だからそういう、無力感は、なんとなく、判るぜ
起き上がったクリフが身支度を整えながら言った。
「お互いに傷でも舐めあうか?」
顔を上げたアルベルの目にクリフが映る。
「冗談じゃねェ」
「だと思ったぜ」
微笑むクリフと熱くて冷めたキスをした。
失った腕の傷口が疼くようなもどかしさが。
さらにもう一度、だけ
確かめるようにキスを
《了》