形式を踏まえて?
92:手紙を書く
藤堂がゆったりした部屋着に着替えて就寝しようと明かりを落とすと来訪を告げる電子音が鳴った。今は夜半と言っても真夜中に近い。藤堂は細々とした些事にとらわれて就寝時刻を大幅に遅らせた。朝比奈や千葉が付き合うというのを固辞して一人で作業していた。おおかた朝比奈が藤堂がちゃんと寝床へ入っているか確かめにでも来たのだろうと思いモニタで人物を確認せず施錠を解いた。そのまま人影には見向きもしない。朝比奈には勝手知ったる部屋だ、わざわざの案内など不要のはずだった。ところが人物は扉こそ閉めたが躊躇しているかのように動かない。怪訝に思った藤堂が明かりをつけて初めて正体が知れた。
「ディートハルト?」
くすんだ金髪を伸ばして一つに結っている。報道関係という肩書きの通り彼は機材や通信やそれらの機器に詳しく、黒の騎士団の広報を担っていた。ゼロが行う演説の中継や通信への侵入の仕方など真っ当ではない部分にも精通する男だ。だが役職上、藤堂との付き合いは他者のそれと相違ないはずだ。特に避けているわけでもないし深くかかわっているわけでもない。藤堂は前線へ飛び出す戦闘要員であり、ディートハルトはあくまで裏方の非戦闘要員だ。
「何か、用か?」
ディートハルトの指先は自動施錠を手動でも施錠した。念入りに準備を怠らないそれは、裏方の彼らしい動作だった。だが藤堂にとって退路を断つ位置にディートハルトに立たれたのは不覚だった。ディートハルトは朝比奈やゼロと違い、背丈は藤堂と同じ程度にある。報道というものは意外に力仕事らしく彼の拘束力には侮れないものがある。
「もうお休みになられたかと思っていたのですが」
「今、休もうとしていたところだが」
言外に出て行けと牽制するのをディートハルトは気付かないふりを通す。クックッと喉を震わせて笑うと大仰な身振りで滔々と語った。
「絶対者に爪を立てる小さき獣はこれほどまでに気高く! 身なりも悪くない、あなたの存在をもっと知らしめればブリタニアへの牽制にもなるかもしれませんね、そして純粋な美しさとして数字も期待できる」
「数字?」
「視聴率、でしたっけね。人々がゼロを信じるのは彼の秘匿主義だ、その仮面の奥にはどんな美しさが眠っているのかと期待する」
藤堂はフンとそっぽを向いた。藤堂自身は目立つのは苦手で『奇跡の藤堂』などと広告塔に使われるのも不満だった。戦闘結果に対する評価でありむしろ不足だと朝比奈などはうそぶくが、藤堂にとっては不要でしかない。
「悪いが、休みたい。世間話なら後日」
背を向けて寝台の方へ行く藤堂をディートハルトが突き飛ばすようにして押し倒した。うつ伏せた上へディートハルトは巧妙に乗っかってくる。拘束の要所を心得た動きで、藤堂の反抗など易々と封じられる。
「私もあなたへ思いを寄せているのですがね。そんな輩と、深夜に自室で二人きり。日本語で据え膳とでも言いましたっけね」
ディートハルトの目的は明らかだ。藤堂は抵抗を試みるが力押しのそれらはことごとく流される。
「報道機材というのは重量がありましてね。扱うのに結構力がいるのですよ。それでいて扱いは慎重でないとならない…精密機器ですからね。軽く落としただけで不具合を起こす」
ディートハルトはうまくツボをついて藤堂の逃げ道を着々と潰していった。藤堂は追い詰められた獲物の心境を味わう羽目になった。戦闘において追い詰める側でばかりあった所為か免疫がなく、藤堂は非常事態に狼狽した。それでいて体は素直にディートハルトの動きを受け入れる。
「さぁ、ショータイムですよ。せいぜい美しいストリップを」
「――…くそ…」
珍しい藤堂の悪態にディートハルトは愉しそうに笑った。
昼食も済んで各々が散っていく食堂で藤堂はディートハルトを呼びとめた。朝比奈がギロッとディートハルトを睨むが藤堂は気付いていない。藤堂が持っていた封筒をディートハルトに差し出した。
「おや、なんでしょう。恋文でもいただけるので?」
くすり、と藤堂が艶っぽく笑んだ。その蠱惑的なそれにディートハルトの反応が遅れた。
「体の関係を持ちたいなら手続きを踏め。ブリタニアのやり方が如何だかは知らないが少なくとも日本では通信のやり取りを経て体へつながるものだ。私はある程度の付き合いや気心の知れたもの以外に体を赦す気はない」
「藤堂さんッ! むしろ気心知らせないでください、こんな奴に!」
朝比奈が悲鳴のように叫んだが藤堂は平然とディートハルトを見ていた。
「どうせならと思って婀娜っぽい手紙にした」
平然と言ってのけるが内容は明らかに真っ当ではない。ディートハルトは藤堂は酒に酔ってでもいるのかと思ったがむしろ彼からは清浄な香りしかしない。後ろで朝比奈が真っ青になっている。藤堂と朝比奈の関係は勘がいいものなら気づく。その朝比奈が青くなっているとすれば彼もまたこのような手続きを踏んで今の関係に至っているということなのだろうか。
「なるほど、それはそれは。昨晩はご無礼を。改めて返事を書きますよ」
ディートハルトはそれを恭しく受け取ると席を立った。禁欲的な藤堂の婀娜っぽい文というのも興味をそそる。藤堂の立ち居振る舞いは洗練されていて古来からの日本式がいかに美しいかをブリタニア人であるディートハルトに見せつけた。昨晩のような悪態も滅多に吐かず、むしろ希少価値さえ生じそうなほどだ。凛として他者を寄せ付けないのは藤堂の個性だろうが、連携するとなるとかゆい所に手が届くを実践してくれる性質だ。意識していない箇所まで気遣われ、丁重に扱われる。日本人というのは欲望だとかそう言ったものを剥きだしにしない。着物の脇から覗く袷や隠しなどの裏地に金子を使い、ちらりと見せるだけだ。それでいて自慢することもない。気づかれない、見えない場所にこそ手入れを欠かさないのが粋だ。自分の努力を殊更に吹聴したりする軽挙は野暮であり、藤堂は間違ってもそんな真似はしない。婀娜っぽい手紙と称したのはディートハルトの度肝を抜く悪戯心だろう。彼は時折そんなギャップを見せる。
「ふむ」
自室へ引っ込んだディートハルトはペーパーナイフで封を開けると便箋を取り出した。封筒と対になっているがけばけばしいような装飾もなくシャープな印象を与える。簡素こそが美。単純であるほどに粋か野暮かはよく判る。小物を選ぶ趣味は悪くない。しかも自筆だ。プリントアウトが入っているのだとばかり思っていたディートハルトをまずそれが驚かせた。毛筆のそれのように文字のとめやはらい、はねも欠かさない。日本語である漢字は見た目で慣れないものを魅了する。ディートハルトがブリタニア人であることを気遣ってか、ややこしい漢字は使われておらず、読む分に障害はなかった。
「しかし、日本語というものは…」
軽妙でありながらその言外に含まれる意味すら読み取らなくてはならない。気づかず下手を打てばそれまでと見限られる原因になりかねない。言葉遣いや文末など、些細な場所にこそ個人の特徴が出る。その丁寧さなどが付け焼き刃かどうかは見るものが見れば一目で判る。報道機関に身を置いていたころ、リポーターに渡す原稿で言い回しや文体に気を使ったのを思い出す。報道されるので失態は即刻周知の事実となる。苦情へつながる恐れもあった。
「…報道局にいたころを思い出しますね」
左遷されたくらいだから、末端の原稿などの雑務を押し付けられていたのもいい思い出だ。その荒修業に今は感謝すべきかとディートハルトは苦笑した。
「自筆とは。まったく、可愛らしい人だ…」
いまどき通信ツールでの愛の告白など当然である。ろくろく相手を見ずに好みだと即決して体の関係を持つ子供が増えているという。その時世において文を交わしてから体へつながろうとする古式ゆかしい藤堂が愛おしかった。
「焦らし焦らされ、というやつですかね…ふッ、御簾の奥には何がおわす事やら」
うそぶきながらディートハルトは念入りに手紙に目を通した。手抜かりなく事を進めることができれば目的である藤堂の体を堂々と手に入れることができるのだ。煩わしい朝比奈の抵抗を封じるのも可能だ。だが逆に失態を犯せば、藤堂は決して体を赦さないだろうし、断りの理由をも与えてしまう。こちらがやるか、あちらがやるか。
「まったく、駆け引きの好きな人種だ」
ディートハルトはこれ以上ないほど念入りに辞書まで引っ張り出して文面を練った。
「藤堂さん、婀娜っぽい手紙ってなんですかぁッ! つーかあんな奴は放っといてください!」
キャンキャンと仔犬のように喚きながら朝比奈は両手を振りまわした。
「いや、昨晩、あの男に迫られた。あの男は馬鹿ではないし」
「関係ないです。むしろ藤堂さんを襲った時点でぶち込んでやりたいです、オレは!」
「…それは少しひどいだろう」
藤堂の言うことは真っ当性を欠いているが天然なので本人はその不自然さに気づいていない。とりあえず相手を気遣っているという意識しかないのだ。男に迫られる不自然さやその結果までも暴露していることに気づいていない。朝比奈は歯噛みして地団太を踏んだ。
「あーもう! 昨晩はずっと一緒にいればよかったッ! なんで引き下がっちゃったんだ、オレの馬鹿ー!」
一人で百面相しては悶絶する朝比奈を藤堂はぼんやりと静観している。藤堂は周りが驚くほどに自分自身を評価していない。戦闘力の面ではなく人間的なそれの自己評価は驚くほど低い。ディートハルトにはうまくそこへ付け込まれた形になる。朝比奈は昨晩、どんなに厭われても一緒にいるべきだったと砂を噛んだ。
「藤堂さん、オレ、絶対、引き下がりませんから! あのブリタニア人から絶対、あなたを取り戻します!」
「…私はもうディートハルトのものなのか」
「…変な所に食いつきますよね、藤堂さんて。あんなにほわほわしてるのに」
「ほわほわ?」
おおよそ成人男性でしかも軍属のものを評するには不適切な擬音に藤堂が小首を傾げた。
「そういう、ほわほわというのは…私には当てはまらない気が」
「そうかもしれませんね。ぽわぽわとかほぇんって感じですもんね」
「いや、ますます度合いが…」
藤堂がいささか嫌な汗をかいて否定するが朝比奈は聞いちゃいない。一人で問いかけ回答し、自己完結である。
「あ、じゃ、じゃあオレも手紙の手続き踏んだら相手として見てくれます?!」
「構わんが」
「じゃあ、書きます! あいつより魅力的な手紙で藤堂さんの心を鷲掴んで見せます!」
ディートハルトと何をそんなに張り合うのかとうの藤堂は気付いていない。「そうか。じゃあ待っている」などど火に油を注ぐ始末だ。朝比奈は部屋へ駆けもどると抽斗を引っ掻きまわして便箋や封筒など手紙一式をそろえて机に向かった。藤堂がその背中を見て心底不思議そうに小首を傾げる。
朝比奈とディートハルトからの手紙に藤堂はいちいち返事をし、三人の文通はしばらく続いた。
《了》