君が? 私が?


   91:不愉快な訪問者

 室内の暗さと光る液晶画面に目をあげれば夜半だ。画面自体が発光するために時間の移り変わりに気づかなかったらしい。ギルフォードは席を立ってカーテンを閉めた。今日はこの執務室で夜を明かすことになりそうだった。厄介で手間や時間ばかりかかる事務仕事がたまっていた。カタカタとキィボードを操作しながら資料を読む。手を止めて部下が差し入れてくれた珈琲を口にしたり資料の束のページを繰る。部下たちは定刻通りに帰宅させた。自身の手間取りにつき合わせるほどギルフォードは厚かましくなかった。そんな几帳面ともいえる不器用な優しさに部下であるグラストンナイツは気付いていてギルフォードを慕ってくれた。部屋を明かりがパッとつく。カーテンこそ閉めたが部屋の明かりをつけ忘れていたらしい。発光する画面が不意に明るさを変えた。
 目をあげると私服で見目麗しい男が一人立っていた。一目見てその育ちの高貴さが知れる美しさだ。くすみのない綺麗な金髪は彼の耳やうなじを覆う程度に整えられている。秀でた額を隠す前髪がさらりと揺れた。勿忘草色の瞳はにっこりとギルフォードに微笑んだ。甘い菓子のようなそれに落ちない女はいないだろうがギルフォードはあいにくと男性だ。
「シュナイゼル、殿下」
驚いて名前を呼ぶのがやっとのギルフォードに微笑を浮かべてシュナイゼルは歩み寄ってきた。積み重なった冊子やプリントアウトの紙束を見て苦笑する。
「君は勤勉すぎるのが難点だね。たまには休まないと疲れてしまうだろう」
「…お気づかいありがたく。ですが、あの、何用でしょうか?」
シュナイゼルが着ているのは高価ではあるが私服である。公務ならもう少し威厳を保てるいつもの服装だろう。私服の趣味はわりとあっさりしていてこのまま一般人に紛れこむこともできそうだ。趣味も悪くない。無難に同系色でまとめ動きやすさを重視した造りだ。それでいてゆったりと体を包み、関節などの駆動部には余裕がある。
 「用がないときてはいけないかな? 今は時間外のはずだろう。この後の予定もない。私に付き合ってくれても罰は当たらないさ」
シュナイゼルは血統政治を行うブリタニア国皇帝の直系であり皇位継承権も上位にある。シュナイゼルの立場ならギルフォードの予定や勤務時間を知るなど片手間にできる。詳しい詮索も一切されない。シュナイゼルは技術畑のロイドという伯爵位をもつ博士と懇意にしているらしく時折彼を伴ってギルフォードの元を訪った。その際の目的は明らかでギルフォードにとっては歓迎し難い事態へと発展した。シュナイゼルはその立場から自由にならないものなどほとんどなく育ってきた。その所為か加減を知らず、交渉相手に選ばれてしまったギルフォードは時々ひどい目を見る。彼の訪れの目的は交渉に終始していて、歓談の場などにギルフォードが呼ばれることはめったにない。ギルフォードが仕え騎士を務めるコーネリア皇女に引き連れられて赴く程度だ。
 警戒心を抑えながらも油断しないギルフォードにシュナイゼルは嘆息した。ギルフォードにとって翌日に差し支えが生じるような出来事は出来るだけ避けたかった。だがシュナイゼルはどんな手を使っても自分の意志を押し通す。シュナイゼルは広めの執務室にあつられられた応接セットへ腰をおろした。
「殿下は要らないよ。名前を呼び捨ててくれ」
「無理をおっしゃらないでください」
シュナイゼルは皇族の中でも特別な地位にいる。そんな彼をへたに呼び捨てようものなら不敬罪に問われかねない。ましてギルフォードは上下関係に厳しい軍属のものだ。明らかに目上のシュナイゼルを呼び捨てるなどもっての外だった。
 「命令だと、言ったら?」
ギルフォードは渋い顔をしたままシュナイゼルの脇へ控えた。相手がシュナイゼルではギルフォードは立ち居振る舞いも複雑な対応をせざるを得ない。下手に座って歓談することもできないほどの立場の差が彼らにはある。
「従います。お望みであらせられるならば」
「いい返事だな。では呼んでもらうとしようか。名前を呼び捨てろ」
「イエス。…シュナイゼル」
ギルフォードは恐る恐るシュナイゼルを呼び捨てた。シュナイゼルにとっても新鮮なのかくすくすと楽しげに笑っている。鷹揚に手を差し伸べて机を示すとソファへ背を預ける。
「仕事に戻って構わない。君が終わるまで待っていよう」
「ですが、殿下」
「シュナイゼル、だ。呼び捨てる命はまだ続いているよ」
「…シュナイゼル。いつ終わるか判りませんのでお引き取り願います。急用であれば承りますがそうでなければ、明朝改めて」
「聞こえなかったかな。私は待つと言っただろう。もう一度問うたら罰を与えるよ」
シュナイゼルは物腰や仕草や話し方は穏やかだが、その実意外に我が強い面がある。自分の意見は当然のように押し通すし、そのための障害を払いのける手間も惜しまない。ギルフォードは諦めて仕事へ戻った。シュナイゼルがこうと決めたら梃子でも動かないのは承知の上だ。
 しばらくギルフォードがペンを走らせたりキィを打ったりするかすかな音が部屋に満ちた。シュナイゼルに難題でも吹っかけられるかと身構えていたのも空振りに終わりそうだ。ギルフォードは安堵しながら最後のスパートをかけた。資料に目も通したし必要な記入や署名もした。通信のやり取りも終えてギルフォードはコンピュータの電源を切り机の周りを片づけ始める。書類は保存と廃棄に選別し、分野ごとに束にして積んでいく。冊子や帳面も元の位置へおさまり、ペンがペン立ての中でカランと鳴った。その時、机の上にさした影にギルフォードが気付いた。シュナイゼルは机に手をついてギルフォードの方へ体を乗り出している。
 「…シュナイ、ゼル?」
「いい子だ。よく覚えていたね。ご褒美でもあげようか」
シュナイゼルの手がよしよしとギルフォードの頭を撫でた。ギルフォードは黒褐色の長髪で肩甲骨あたりまで伸ばした髪をうなじの部分で一つに結っている。それを優美に解くと艶やかな髪がさらりと広がる。結うくらいなら切れよ、とはギルフォードの同僚の揶揄の種だ。その髪を撫で口元へ引き寄せキスをする。
「いい香りがするね…どんなシャンプーを使っているんだい。手入れも欠かしていないね」
「…姫様への侮辱へつながるわけにはまいりませんので」
ギルフォードが仕えるのは第二皇女であるコーネリアだ。彼女の警護も兼ねて公の場へ行くことも少なくない。その際付き従う者が貧相であっては主が恥をかく。ギルフォードは当然のように言うが、シュナイゼルはギルフォードのそんな気遣いをする性質が愛しかった。
 ギルフォードもシュナイゼルに負けず劣らずの官能的な白皙の美貌だ。もっとも、ギルフォード自身はそれを自覚しておらずシュナイゼルが払った虫のなんと多かったことか、とはロイドのみが知るところである。シュナイゼルはいつものようにその頬を撫でようと手を動かす。その指先が書類の束に触れた瞬間、摩擦は刃へと変化した。
「――ッ」
ピリッと走る痛みに指先を見れば、紅くなった箇所が開いて血がにじんでいる。紙で負った切り傷は意外と深く侮れない。痛みがあとからじわじわと押し寄せてくるし出血も長い。ギルフォードはその原因が自身が積み上げた書類の束であることに動揺した。
 「だ、大丈夫ですか?!」
シュナイゼルは普段なら白い手袋をはめているのでそう言った些事を忘れがちだ。そのため時折思いもかけない怪我を負う。シュナイゼルはくすりと苦笑した。こんなことは慣れているが動揺しているギルフォードが愛らしい。
「舐めてくれないかな? 切り傷は舐めれば治るというし」
戯れるように笑ってシュナイゼルがいう。ギルフォードは真面目な顔で考え込んでいたがおもむろに頷いた。
「はい、判りました」
「? 判った、って」
そこでシュナイゼルは絶句した。ギルフォードがぱくんとシュナイゼルの指先を咥えている。熱く濡れた舌先がいたわるように傷口を舐める。歯を立てることもなく、ただ舐めているだけだがそれが妙に艶っぽい。ギルフォードは肌が白く唇の紅さが際立つ。そもそもギルフォードは慎重な性質で軽挙や暴挙に及ぶことなどほとんどなく、そつなくこなす。そんな彼の無遠慮ともいえるこの行動にシュナイゼルはしばし立ち尽くした。
 ギルフォードが不思議そうにシュナイゼルを上目使いに見た。鋭角的なフレームの眼鏡の所為で冷徹に見える美貌も台無しだ。庇護欲を起こす仔犬のようなその眼差しにシュナイゼルの欲望がうずく。シュナイゼルはその立場上、交渉相手に不自由したこともなく我慢も知らない。逆にギルフォードは本人がそういう性質なのか禁欲的で忠誠を誓ったコーネリアに純潔を捧げているような印象を与えた。ギルフォードの舌先が血を舐めとるように傷口を舐めてからちゅうっと軽く吸った。その様は明らかに艶事めいていてシュナイゼルを動揺させた。
「…これで、よろしいですか」
離れていく舌先の紅さは狐火のようにちろちろ燃えた。
「まったく、君は時に罪だな…」
シュナイゼルはゆっくりとギルフォードの方へ回るとその体を床の上へ押し倒した。ギルフォードの方はわけが判らず仰天している。
「な、何をなさるのですか?! まだ、後始末が」
「私の後始末をしてほしいんだけれどね。君につけられた火が燃えてきたよ」
ギルフォードが精一杯抵抗するが、相手にダメージを与えないよう細心の注意を払っている所為か効果も薄い。シュナイゼルに至ってはどう抵抗されようが動じないのだから余計に無意味だ。
 「あぁー!」
素っ頓狂な声に二人が目を向ければひょろりとした痩躯の男が床に転がる二人を指差していた。不機嫌そうに扉を閉めて歩み寄ってくる。
「ズルイですよぅ、殿下。僕だってそうしたいのにぃ」
「君の勘の良さと嗅覚は時に不快だね。邪魔が入らない時間帯を狙ったのに」
シュナイゼルはこともなげに言うが相手もものおじしない。
「ろ、ロイド伯爵?!」
「せぇーかーい! ねぇねぇ僕も入れてくださいよぅ」
「ダメです、そのような…ぁか…はッ」
ギルフォードの口が開いた隙をついてロイドは手加減なしに手を突っ込み指を立てた。床に口腔から縫いつけられたような形になってギルフォードには自由はなくなった。伯爵位をもつ者の手だ、噛みつくわけにもいかず吐き出すこともかなわず、ギルフォードは途方にくれた。
「うふふぅ、そんな口利いていいのかなぁ? 僕がどうするかは君次第ですよぅ」
ギルフォードの薄氷色の瞳がロイドの天藍を射抜く。静かだが怒りに燃えるそれは美しかった。
「やれやれだ。仕方ないね、君も入るかい」
「もちろんですよぅ」
「――は、ぁ…ッあが…!」
ギルフォードは必死に拒否の意を示すが元より二人とも他人の意見を聞き入れるような性質ではない。双方、恵まれた地位に生まれついたおかげで手加減を知らない。ましてついている役職も戦闘機の製造と皇位だ。手加減など覚える必要も機会もない。
 「抜け駆けの方が不快でしょ。あれ、不愉快でしたっけぇ?」
それはこちらの台詞だ、とギルフォードは心中で毒づきながら無法者二人を受け入れざるをえなかった。二人はギルフォードの予想通り手加減などという配慮もなくギルフォードを抱いた。ギルフォードは部屋の自動式施錠の解除キーを変更するかどうか真剣に検討した。


《了》

どうやって終わらせようとかギルってある意味でオバカよねとか萌えのつまった話になりました。
別名:私だけが楽しい話。
ダメだろそれは!(理性の叫び)
とりあえずもうギルの行方が判っただけで嬉しくってそのノリでお題を消化(待て)
誤字脱字…な、いといいな…! チェックはしてるのに!           09/23/2008UP

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