眠るにはコツがいるんだよ、そう
 一人で眠るの、大変でしょう?


   86:寝台列車に揺られて

 規則的に発車や停車を繰り返すプラットホーム。合成音声は淡々と列車の到着と出発を告げる。手荷物ひとつの身軽な格好でギルフォードは列車を待っていた。皇女の騎士であるギルフォードを呼びつけることができるものなど数人しかいない。シュナイゼルはそのうちの一人であり、ギルフォードを夜伽に呼びつけることに罪悪感など微塵も感じていない。皇族らしい気品と品のある横柄さで何くれとなくギルフォードを呼びつけては抱いた。皇位継承権と性別がものをいう血統政治の世界では、ギルフォードが忠誠を誓ったコーネリアも歯が立たないらしく仕方ないと言いたげな顔でギルフォードに告げた。
「兄上のところへ行って欲しい。目的は本人が直接言うと言ってきかないから判らないが」
男勝りに戦場を駆ける彼女は女性らしさと同時に男性らしさも持ち合わせた気性だ。それゆえに言葉遣いも時折男のそれになる。けれどそんな差異など気にさせないだけの美しさが彼女にはあった。
「…判りました」
シュナイゼルの目的が何なのか察することのできないギルフォードではなかった。コーネリアにしても同じだろう。だが彼女はギルフォードを送り出すのだ。権力的に上位にいる兄君の命に従って。数日の猶予を得て踵を返すギルフォードにコーネリアが気がかりそうに声をかけた。
「道中は気をつけろよ。あの人は…敏い人だから、すぐに気づく」
「…承知しました」
紫苑の唇が気がかりそうにギルフォードを気遣っていた。豊かな髪を揺らして彼女はギルフォードを魅了する。
「特別休暇もすぐに取れるよう手配しておく。くれぐれも、無理や無茶は…するなよ」
「はい」
ギルフォードはそれに微笑で応えて部屋を出た。
 それから手荷物をまとめてここに立っている。目的の列車が来るまでに何本かの列車が発着を繰り返した。そのたびに巻き起こる風圧がギルフォードの長い黒髪を揺らした。頬を殴るように通り過ぎていく風圧。眼鏡がカタカタ揺れて同時に視界も揺れた。軽く指先で押さえて人々の流れを見るともなく見る。規則的なそこには暗黙の了解が存在し、自然なものとなって人々の流れはうねった。時折、人込みからはじき出された人が柱の前へ所在無げにたたずむ。人々の流れは無機物のようでいてひどく有機的だ。所在無げにたたずむ人が一人減り、二人減りしていく。流れにはじかれた時と同じように自然に流れへ還っていく。夜半ともなれば帰宅を急ぐ人々がほとんどだ。ギルフォードはそんな中で逆行するように列車の到着を待っていた。日に数本しかないそれは稀有で大抵の人々はやり過ごす。
 足元へ置いていた荷物を持ち上げる。時計を見ればすぐに到着の時刻だ。轟音とともにホームへ滑り込む列車。計算されたように減速したそれはギルフォードの真正面に扉を合わせて止まった。開く扉の中へギルフォードは吸い込まれていく。列をなしていた人々が自由席を獲得するべく迅速に流れていた。ギルフォードが乗るのはコンパートメントだ。人ゴミや騒音とは縁遠いそこ。荷物を置いて座席へ腰を落ち着けてしまえばすることもない。取り出した薄い冊子を広げてみるものの、これからの目的を思えば読書に集中などできるわけもなかった。
 自分などより数段格上の、しかも男に抱かれに行くのだ。そしてそれを受け入れている自分自身がいることも落ち着きをなくさせた。初めこそ断固拒否していたもののなだめられすかされ、最後には脅されて性交渉をもった。そしてそれは尾を引いている。結果として、事あるごとにシュナイゼルはギルフォードを呼びつける有様だ。それも平然と呼びつけるのだから理由を問われた時の対応に苦慮するギルフォードの様子など知らぬげだ。シュナイゼルの美貌も威光も男の性交渉相手が一人や二人いるというだけではスキャンダルにすらならない。困るのはいつもギルフォードの方だ。色仕掛けの出世だと陰口をたたかれるのなど日常茶飯事だし、面と向かって叱責されたことすらある。貴殿と違って色を使う技術がないもので、とほざいた輩にギルフォードは一発見舞った。後になって一方的に暴力をふるわれたと騒ぐのを抑える方が大変だった。だがギルフォードだってそれぐらいで揺らぐ出自ではない。
 窓硝子はきれいに磨かれていて怜悧な容貌のギルフォードを鏡のように映し出した。鋭角的なフレームの眼鏡と一つに結った黒髪。薄氷色をしている瞳は窓硝子の煌めきに消されて仄白く輝いていた。夜半という時間帯の所為か窓の外に変化を見るのは難しい。墨を流したような闇と瞬く星星のような建物の明かり。不規則なそれはちかちかと瞬いた。
「まったく、こんなののどこが」
鏡映しになったガラスに指先を伸ばす。ひやりと冷たいそこは心地よく浸蝕していった。ギルフォードだって馬鹿ではないし、どちらかと言えば聡明な性質だと自負している。だからこそ数人とはいえ部下を持つことができたしコーネリアの騎士という地位にもつけたと思っている。そんな小賢しいだけの自分の何がシュナイゼルの琴線に触れたのか判らない。しょせんギルフォードの得た地位などシュナイゼルの皇帝への進言一つで吹き飛ぶものだ。
 さらに気を重くさせているのは所属も身分も違うロイドの存在だ。ロイドはシュナイゼルが呼びつけるギルフォードを自分も当然のようにして夜伽の相手として扱った。伯爵位を持ちながらナイトメアフレームの直属プロジェクトや任務を持つ彼の権限は意外なほど絶大だ。ギルフォードの愛機すらその権限の中にあると言っていいだろう。
「ロイド、伯爵」
思わず嘆息して硝子へこつんと額をつける。ひんやり冷たいそれは心地よい。二人の男に同時に体を求められながら応じている現状の柔軟さが信じ難かった。どちらかと言えば色事には疎い部類だったはずなのに。
 ごとんごとんと列車が揺れた。寝台にもなるそこへ体を横たえた。シュナイゼルはコーネリアが懸念したとおり気配や雰囲気に敏い人物だ。ギルフォードが抱擁でも交わそうものならそのしっぺ返しは必ず寝床の中で行われる。そういう性質の男だ。物腰も穏やかで人を拒否したりしない。それでいて目を逸らすことを許さないのだ。失態の代償は必ず寝床で行われ、そこには倫理観だとか常識だとか言ったものは何の意味ももたなかった。ロイドとシュナイゼルが競うようにギルフォードを抱いていることに気づけないほど馬鹿ではない。二人は共有しているかのようにギルフォードを扱いながら、その裏で競い合っていた。ロイドなどは露骨にどちらに抱かれる方が気持ちいいかなど訊いてくる。シュナイゼルは問いこそしないものの肯定を前提とした問いしか発しない。拒絶や否定は必要とされず、ただ従順に応える体だけがすべてだった。
 狭い寝台の中で膝を抱えて丸まる。胎児の姿勢なのだと訳知り顔に言ったロイドの表情を思い出してげんなりした。だからといって眠る姿勢などそう簡単に変えられるわけもない。結い紐を解いて眼鏡をはずす。サイドボードへそれらを乗せると部屋の明かりを消して眼を閉じた。その一瞬の刹那に個室へ侵入した者がいた。コンパートメントだし皇族名義で取っている部屋に近づく者などいないだろうと施錠を怠ったのが敗因だ。侵入してきた彼はにやあと笑うと部屋の明かりをつけた。白光に照らされる皮膚は青白いような色合いで血管が透けて見えそうだ。普段は中華服に似た白衣を身につけているのだが今はさすがに私服だ。くらんだ視界にギルフォードがひるんでいるすきに彼は寝台へ侵入してきた。
「なんで、あなたがここにいるんですか…?!」
「君の思考回路は読みやすいんだよ、すぐに判るさァ。それにしても皇族ってのはお出かけの多い一族だよねぇ、そう思わない? 皇族名義の車両がいくつあったと思う? そこから君がいそうなのをピックアップして賭けてみたんだけどさぁ」
そこでロイドはくふんと意味ありげに笑った。つり上がった口の端はそれが彼の常態であると知りながら何もかもを楽しんでいるかのように見せる。事実、ロイドはその人生を全身でもって楽しんでいると公言してはばからない。
「賭けは僕の勝ち! ビンゴォッて思ったもんね、君を見つけたときのあの喜び!」
大仰な身振りで話しながら天藍の瞳はギルフォードに据えられて動かない。ロイドを腕力で押しのけることは可能だがそれは事態の解決ではない。一般車両に紛れたところでロイドがその手を緩めるとも思えないうえに下手をすれば衆人環視の中で事に及びかねない。ロイドはそういう点で良識を疑わしく思わせる言動をこれまでしてきている。ここが寝台列車のコンパートメントであることにギルフォードはひそかに感謝した。
 しかも車掌の巡回は終わったばかりで外部からも助けは望めないし、たとえ叶ったところでギルフォードを襲うのは羞恥の嵐だろう。ロイドはまず間違いなく外部など気にせずことに及ぶ性質だ。
「何考えてるんですかァ? そんな余裕なら手加減しなくってもいいかな」
天藍が眼前に見えたと思った刹那に唇が重なっていた。吸いこまれそうな蒼はギルフォードの意識を侵食する。焦点を失ってぼやけた視界でロイドが笑んだのが気配で判る。眼鏡をかけようとする手をロイドが遮る。
「見えない方が感じてくれるでしょ。だからこのまま」
就寝のために緩めていた襟をロイドはさらに肌蹴させた。あらわになる鎖骨の間へ舌先を滑らせてぐぅっと押してくる。その閉塞感は幼いころ大きな飴玉を誤って飲み込んでしまった時のそれに似ているとふと思った。いつか融けると思いながら消えない甘い異物感。けれどそれも一瞬でロイドの舌先はどんどん下へと降りていく。
 「や、め…ッ!」
懸命に引きはがすとロイドは不満げな子供のように唇を尖らせた。部屋の明かりに反射するような仄白い皮膚の中で唇だけが澄んで紅い。シュナイゼルと血縁関係はないのにそんなところやその性質はよく似ている。シュナイゼルもギルフォードの拒絶に子供のように不服げだった。
「どうしてですかぁ? 殿下には抱かれるんでしょう? だったら僕だって変わりないでしょうに」
そこでロイドは意味ありげにくふんと笑んだ。とっておきを出すかのように微笑する。つり上がった口の端はギルフォードを嘲弄した。
「それとも、本当に色仕掛けでのし上がってきたんですかァ?」
瞬間、ギルフォードの腕がしなってロイドの頬に平手打ちを炸裂させた。拳ではなく平手に切り替えたのはロイドの華奢な体躯を思ってのことだ。白い皮膚がそこだけ別物のように紅く腫れていく。ロイドは一瞬、何が起こったか判らないような顔をして打たれた頬を撫で、切れた唇の血液を見ていた。紅く澄んだ唇はその紅さを増して本当に血流がその皮膚一枚の裏側に流れているかのようだ。
 「やるなぁ」
呟かれた言葉を認識する前にギルフォードは頬を打たれた。拳ではなく平手だったのは単に仕返しだからだろう。ぱぁんっと軽快な音が響いた。突然のそれに対応しきれなかったギルフォードは口の中を切って鉄の味を舌先に感じた。震える指先が頬に触れる。熱を持ったそこは時間が経つほどに腫れを増していく。
「仕返しですよ、し・か・え・し。僕はね、やられたまま黙っているような性質じゃないんですよぅ」
ここに至ってギルフォードは事態の深刻さに気付いた。こんな顔で赴けばシュナイゼルがどうかしたかいと問うのは必定で、ロイドとの邂逅を話さないわけにはいかなくなる。その罰はいつだって寝床の中で倫理観など微塵もなく行われるのだ。
 「やめて、くださ――」
震えるギルフォードの声にロイドは愛しげにキスをしながら笑った。
「殿下が怖いんですか、大丈夫ですよぅ、僕も一緒に行きますからねぇ」
ベルトのバックルが外れる金属音が妙に耳に響いた。ロイドはその舌先を下腹部にまで滑らせている。泡を食うギルフォードを嘲笑うかのように、愉しむかのようにロイドは微笑していた。穏やかそうに見えるフレームの眼鏡の奥で天藍が油断なくギルフォードを窺っている。
「いっしょ?」
子供のように問い返すギルフォードにロイドは微笑んだ。その笑みはどこかシュナイゼルの包容力のあるそれに似ていた。すべてを曖昧に包み隠してしまうようなそれ。
「僕、殿下とご一緒する予定なんですよね。そこに君が呼ばれた。意味は判りますよねぇ?」
 ギルフォードの思考が一瞬にして凍りついた。ロイドの言葉が殷々とこだます。シュナイゼルを悪趣味だと思ったことはないがいい趣味だと思ったこともない。それがまさかこんな形で実現するとは予想だにしていなかった。
「ふたり、で…? 私は――」
ロイドはふふんと笑んだ。その唇が妙に紅い。ぶたれた頬は赤から紫へと変色していた。元の皮膚が白いだけにその変化は著しい。
「だ・か・ら、皇女がおっしゃったでしょう? 特別休暇を認めるって。無理するなとか、言われませんでしたかぁ?」
ギルフォードの薄氷色の瞳がみるみる見開かれていく。驚愕に言葉も出ないギルフォードを嘲笑うかのようにロイドは舌を這わせた。濡れた指先や舌先が下腹部へ滑り込む。
「みーんな、ご存じなんですよぅ、知らないと思ってるのは、君だけかもぉ? うふ、それもいいかもねぇ」

あぁ、だから寝台列車で眠るにはコツがいるって
気をつけろって――何に気をつけろって?

ロイドと唇が重なった。ちゅ、と濡れた音をさせて触れ合ったそこから体温が融けだしていくのをギルフォードは感じていた。ただ信じられるのは自身の感覚だけなのだと身にしみた。ギルフォードは四肢から力を抜いてされるままになった。ロイドは鼻白んだようだったがすぐに舌を這わせた。濡れた舌先が下腹部の下へと降りていく。ギルフォードに出来るのはその体躯を震わせることだけだった。こんな体をシュナイゼルは喜んで抱くのかと思えば、ため息が漏れた。


《了》

最初は殴りあう予定じゃなった(真実)
どんどん話が私の知らない方向へ展開していった…(字書き失格)
後はもう誤字脱字さえなければ…(いつもチェックしてるのになんであるの)           06/16/2008UP

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