落としもの?
誰のもの?
85:不法投棄
ざぁざぁと雨が降っていた。傘をさして荷物が濡れないよう苦心しながら朝比奈は通路を歩いていた。実はこのところ藤堂が失踪しているのだ。彼にどんな考えがあったのか判らないが、自分はまたしても置いていかれたのかと朝比奈は肩を落とした。それから数日経つが、外へ出かける用事が発生するたびに朝比奈はそれを買ってでると用事のついでに行く先々を探索した。藤堂は控えめな性質だがあれで目を引くなりをしている。雰囲気に気性が表れているのだ。凛と鋭いそれは稀有で、見た者を魅了せずにはいられない。
「今日も、空振り」
朝比奈のこの探索は黙認されていた。同じ藤堂直属部隊の四聖剣の紅一点である千葉など露骨にその成果を問いただす。朝比奈はそのたびに無力感を味わいながら否と首を振るのだ。
社会において貧富の差は割とぱっきり分かれていて、とりあえず自分たちは明日の飯の心配をしなくて済むだけの地位にいることを自覚している。朝比奈や藤堂が属する黒の騎士団はどこから費用が出るのか、戦闘用のナイトメアフレームや数多い団員達の生活費などに困窮した素振りは見せなかった。統率者であるゼロが謎の人物なだけに金の出所も謎か、と朝比奈はうそぶいた。
荷物が崩れそうになって慌てて抱えなおそうとして雨をよける軒先を探した。そこで、それはいた。シャッターの降りた店先のしまい忘れた幌の軒先で雨をよけている。朝比奈は荷物を濡らさないように乾いた軒先へ置くとこっそりとなりのそれを窺った。藤堂に生き映しなのだ。凛とした雰囲気や他者を寄せ付けない強さや、そう言った諸々を自覚しているだろう仕草が。髪も同じ鳶色で額をあらわにしている。瞳の色も確認済みだ。藤堂と同じ灰蒼の瞳。日本人には稀有な劣性遺伝のその色合いを、誰あろう朝比奈が見間違うはずもなかった。ただ、藤堂と決定的に違うのはその背丈となりだ。剥きだしの膝小僧を抱えてしゃがんでいるが、脚の長さなどを目測する限り朝比奈の腰程度しか背丈はないだろう。藤堂は朝比奈より頭一つ分は背が高かった。何よりの相違は猫耳と尻尾だ。それの頭には大きな猫耳が鎮座しており、長い縞柄の尻尾は濡れた地面を撫でている。
「ねぇ、ぼく、誰か待ってんの?」
朝比奈は雨避けを共にする親しさでもって話しかけた。それはびっくりしたように朝比奈を見て目を瞬かせた。辺りを窺うレーダーのような耳を持ちながら朝比奈には無頓着だったらしい。困ったように拗ねたように唇を尖らせてうゥんと唸る。尻尾がパタパタ揺れた。
「まってるっていうか…ここにいろって、いわれた。お前はいちゃいけないんだっていわれて」
「いつから」
「二・三日前から…昼と夜を、それくらいくりかえし見た」
朝比奈の中にそれを拾って帰りたい衝動がむくむくとわいて出た。二・三日も放置しておくのだ、所有権放棄とみなされても仕方ない。何より藤堂によく似たこの子はきっとずっと言われた通り、ここで日を過ごすだろうことが予想できた。帰ってこない主を待つ仔犬のように。
「おにーさんちに来ない? ご飯おごったげるよ? ここよりはいいと思うな。一応屋根もあるし仲間もいる。君の面倒くらいオレが見てあげる。そのくらいにはね、えらいから」
「うそ。だってそれ、買い出しだろう。エラい奴って位が上がるほどに自分じゃ動かないんだ」
観察眼も藤堂さん並み、と朝比奈が笑った。けらけら笑う朝比奈にそれは小首を傾げた。
「これはさ、オレが自分で買ってでたの。探している人がいるからさぁ、そのついでってわけ。そう言えば、君、名前は?」
「とうどうきょうしろう」
朝比奈は仰天したが平静を装った。生き映しのそれに藤堂の隠し子でも見つけたかと思ったそれは藤堂の名を名乗った。まさか藤堂は自分の名前を子供にそのままつけるような真似はしないだろう。そもそも猫耳と尻尾など人外である。身内に時折そんな薬を開発しては遊ぶ女性がいるので朝比奈には免疫があるが、一般人にはないだろう。この子が放置されてきた理由もそのあたりに原因がありそうだ。
「じゃあ藤堂さんって呼ぶね。藤堂さん、うちにおいでよ。二日も三日も待たす奴なんて見限っちゃいなよ、オレんとこにおいでよ」
朝比奈は論理的に話を進めた。知能は正常らしく、朝比奈の話も理解するし時折難しい言い回しや比喩を使う。ついにはうんと言わせて朝比奈は荷物と一緒に猫藤堂を連れて帰った。
「ただいまー、あ、これ物資です。よろしく」
一般団員に荷物を押し付けて身軽になると朝比奈は少年を抱いて食堂へ駆けこんだ。
「千葉さん、千葉さん、見て見てー!」
「なんだ、あさひ」
そこで千葉の言葉が途切れた。ぽかんとして朝比奈と抱きあげられている少年を見ている。周りの団員達も同様にあっけにとられている。猫藤堂はあわあわともがいて朝比奈の腕から逃れると、朝比奈の後ろへ回り込んで身を隠した。警戒心剥きだしで団員達を見ている。尻尾と耳がぴくぴくと周りを窺っている。
「と、藤堂…中佐?」
あまりの出来事に千葉は思わず藤堂が将軍職に就く前の階級で呼んだ。藤堂が黒の騎士団において将軍という地位を得るまでは中佐と呼んでいたし、その期間も長かったため仕方がないと言えば仕方がない。
「可愛くない? この子見つけて拾ってきちゃった」
「みんなー食事の用意ができ…」
厨房から現れたカレンがお玉を片手に固まった。
「え、そ、その子なに? 藤堂、さん? …か、隠し子ってやつ?」
動揺のあまりとんでもない内容を口走っている。千葉が慌てて訂正した。
「紅月! 滅多なことを言うなッだいたい、隠し子に猫耳や尻尾なんて、どんな女と契ればいいと」
「二人とも、この子の名前なんだと思う?」
続きを待つように黙りこんだ二人を見てから朝比奈が猫藤堂を前に押し出した。困ったように尻尾がくるんと巻く。
「わ、わたしは、とうどうきょうしろうだ…」
「ねー、この子も藤堂さん! かーわいいなー! オレのベッドで寝ようね」
朝比奈は猫藤堂を抱きしめてあまつさえ頬ずりした。困ったような表情や押し返そうとして果たせない仕草など、藤堂そのものだ。
ぴくぴくっと猫耳が震えて食堂の入口を睨むように見る。つられてそちらを見れば扇とディートハルトが顔を覗かせたところだった。
「はぁッ?」
「な、そ、その子は?」
扇は目を剥いて驚くしディートハルトも動揺を隠せない。朝比奈はふふんと優位に立つ者の笑みでディートハルトを見下した。元より庶民的である扇は眼中にない。
「あげないよ、オレの子だから。名前さぁ、とうどうきょうしろうって言うんだってさ」
「と、藤堂?」
「あらァ、もう帰ってきちゃったのォ?」
驚いて入口を塞いでいた二人の男を押しのけて顔を出したのはインド美人のラクシャータだ。彼女自身優秀な技術者であるのだが時折厄介事を引き起こすような薬を作っては藤堂に飲ませて騒動を起こしている。
「帰ってきちゃった?」
「わたしにあそこにいろと言ったのは、彼女だ」
猫藤堂は平然と言った。
「藤堂将軍にさぁ、一服盛ったの。動物化と幼児化が同時に起こり得るか、試してみたくってねェ。誰が最初に見つけてくるかと思ったけど、ふゥん、朝比奈ねェ」
「て、事は、この子、藤堂さん?」
カレンがポカーンと朝比奈の腰程度にまで縮んだ猫藤堂を見つめる。扇に至っては言葉もない。
「ちょっと待ってくれ、藤堂将軍がこんなことになってるなんてブリタニアに知れたら大変なことに…! ゼロには?!」
「言ってないわよ。だいたい、最近暇なんだもの。退屈って嫌いなのよねぇあたし」
さらに何か言いつのろうとする扇をぐぅうぅという可愛らしい腹の音が遮った。図らずも注目の的となった猫藤堂が恥ずかしそうにうつむいた。厨房からは食事のいい匂いがしているし、最近何も口にしていなかったのだろう、子供の体は時に口より雄弁だ。
「まずは食事だな」
しれっと言ったのはC.C.だ。派手な黄緑色の長髪をなびかせてC.C.は猫藤堂を抱き上げて食堂の椅子へと落ちつけた。その目の前へカレンが食事を用意した。千葉も近くへ席を移す。猫藤堂は困ったように彼女らを見てから静かに箸をつけた。ところが咥えたスプーンごと口から慌てて出す。行儀が悪いと感じているらしい動作に彼女らも咎め立てしない。
「どうかしたか?」
「あ、ひょっとして、熱かった? 猫舌なんじゃないの、藤堂さん」
エプロン姿のカレンがポンと手を打つと猫藤堂がこくんと頷いた。
「ますます猫じみている…可愛いじゃないか」
「やだーホント可愛い…」
「中佐…」
女性という者は往々にして適応能力が高い。理性に行動の重きを置く男性と違って彼女らは感情や感性で動く。女性の感性は好みと合致すればどんな破天荒なものも受け入れられる。あっという間に女性陣に囲まれ、なにくれとなく世話を焼かれる猫藤堂を横目に朝比奈も自分の取り分を引き寄せて食事の席に着いた。
「オレが拾ってきたのにー」
「…幹部が猫化したうえに幼児化なんて…気絶したいよ、俺は」
「食事の後にはカメラを用意しましょう。ビデオでもいい。どちらにしろこの可愛らしさは記録するに値しますよ」
朝比奈は拗ねているが扇は頭を抱えて箸も進まない。ディートハルトはうっとりと女性陣に囲まれている猫藤堂を見ていた。
「なぁなんで藤堂さん路上に放り出したんだよ。ここで薬試したかっただけじゃないの」
「ちょっとルートを計算してねェ。誰が拾ってくるか見ものだと思っただけよォ。あのルートは必ず数日以内に団員の誰かが通るルートだし。明日はディートハルトが通るはずだったのよ。だから安心できる不法投棄」
「日本語間違ってるよ。本当に不法投棄だよ、あれじゃあ。藤堂さん、かわいそうに…」
朝比奈が嘆いたその時に、猫藤堂が朝比奈のもとへ半泣きで駆け寄ってきた。
「なになに? どしたの、藤堂さん」
「わ、わたしにかまうな…!」
「なんだ、ちょっとあーんしてやっただけだろう、恥ずかしがるな」
「ねぇねぇ、もっと耳と尻尾触らせてー」
「中佐、そいつは危険です!」
女性陣も好き勝手に言い放題である。
「藤堂さん、オレを選んでくれるんだ…! すっげー嬉しい! 大好きです、愛してますッ」
「に、にゃッ?!」
朝比奈は食事を放り出して猫藤堂を押し倒し、すかさず千葉が朝比奈を足蹴にした。
「さかるな!」
その刹那、ずずぅんと重い地響きのような轟音が響いた。
「なんだ?」
C.C.は平然と猫藤堂の食べ残しに箸をつける。カレンと扇ははっとして冷静さを取り戻す。
「まさか、敵襲?」
「それぞれ持ち場へ戻れ! 敵襲の可能性がある!」
飛び出していく扇とカレンを追って千葉と朝比奈も飛び出す。朝比奈はちゃっかり猫藤堂を抱えて駆け出していた。千葉が一瞬ぎょっとしたがすぐに鋭く叫ぶ。
「置いてこい! 危険だろうが!」
「あのブリタニア人がいるとこに置いてくる時点で十分危険だよ! それだったらオレが藤堂さん抱いて出撃する!」
「あほかぁ!」
猫藤堂はすでにあきらめたのか抵抗もしない。腹が減ったのか朝比奈の口元をザラリとした舌でぺろりと舐めた。
「藤堂さん…」
ぽわんと頬を染めて浮かれる朝比奈に千葉は走りながら器用に蹴りを見舞った。
「萌えてる場合か!」
破壊された現場には量産型でない機体が着地していた。白い死神の異名を取るその機体の搭乗者は一人しかいない。
「藤堂さん!」
「枢木スザク?!」
操縦席から軽やかに降り立ち爽やかに笑うのは少年とも青年とも言えない成長の過渡期にある彼だった。藤堂とも朝比奈とも顔なじみであるが問題は、彼が属するのは黒の騎士団の敵であるブリタニア国だということだ。名誉ブリタニア人の爵位を取り、名をはせ戦績も上げている彼がいきなり現れた。
「猫化と同時に子供化したって聞いて、あなたを引き取りに来ました! 俺が何不自由なく育てます!」
「きらきらした目でほざくなお前! だいたい藤堂さんは渡さない!」
朝比奈が猫のように威嚇したが当の猫藤堂はぽかんと事態の成り行きに追い付けないでいる。スザクは不満げに鼻を鳴らしてから朝比奈の腕から猫藤堂を奪おうとする動きを見せた。
「なんで俺じゃだめなんだよ。資金面でも生活面でも保証されてる。テロリストなんかとは財布の中身が違うんだよ、何不自由なく暮らせる。ご飯だっておなかいっぱいです、藤堂さん!」
瞬間、ぴくぴくっと震えた猫藤堂の耳に朝比奈が慌てた。
「藤堂さん、なびかないで! あいつの親切は下心満載です!」
「おまえだってそうだろ!」
スザクがすかさず突っ込んだ。
「見つけたのはオレだもんね! 言っとくけど渡す気はないからな!」
朝比奈はスザクから猫藤堂を遠ざけた。
「所有権なら法廷で戦ってもいい。だいたい、黒の騎士団の一人が藤堂さんを猫化及び子供化させて放置したんだろ! 不法投棄で訴えたっていいぞ!」
「変なところだけ頭回るなこのチビ! だいたいオレは了承してないもんね、藤堂さんを投棄するなんて!」
二人が音がしそうなほどぎりぎりとにらみ合う。猫藤堂は朝比奈の腕から逃げ出した。その体がドンと細いものにぶつかる。
「ふにゃッ」
「…ね、こ? 藤堂か?」
てらてらとした丸い仮面とヴォイスチェンジャーを通した機械音声に猫藤堂は目をパチクリさせた。C.C.が後ろから言い添える。
「ラクシャータの戯れさ。猫化と幼児化を同時にできるか試したそうだ」
「それが何故、枢木スザクの出現に…」
朝比奈がはっとする。ラクシャータは何も隠し立てしていない。彼女は確かに言っていたのだ、退屈が嫌いだと。
「ちくったなぁ!」
「善意の報告だ!」
「都合よくとらえるなこのチビ! だいたい、お前に関係ないだろ!」
「藤堂さんとの関係経由だ! 藤堂さんは俺の師でもあるんだぞ! お前こそ所有権もないのに」
喧喧囂囂始める二人をよそに猫藤堂は膝を抱えてしゃがみこんでしまった。雉虎柄の尻尾がふりふり揺れる。ゼロがよしよしと猫藤堂の頭を撫でれば猫のように頬をこすりつけてくる。喉がごろごろと鳴って上機嫌だ。
「か、かわいいな…」
「ほしくなったか、坊や」
ギクッと固まるゼロをよそにC.C.は余裕だ。
「ラクシャータ、この効果はいつまで続くんだ? それとも何か特別に解毒剤みたいなものが要るのか?」
カメラを回して食いつくディートハルトを抑えながら極めて常識的に扇が問うた。
「あぁ、いらないいらない。すぐ治るわよォ。二・三日放置されてたしその間も効果は続いてるから期限は迫ってるはず。それに」
ラクシャータは無造作に声を張り上げた。
「記憶とかの関連はすべて消えてるから。今のこのネコちゃんは藤堂将軍の過去も持ってないし、元に戻った藤堂将軍も今のことは覚えてないわよォ。まっさら。好きに仕込んだら」
火に油を注ぐ発言に扇が卒倒しかけた。朝比奈とスザクはますます所有権を争いだした。
「藤堂将軍、こちらを向いて。あぁいいですね、可愛らしい」
ディートハルトの持つカメラが珍しいのか、猫藤堂が興味を示す。きらきら反射するレンズに指先を伸ばす。灰蒼の目がぱちぱちと瞬いた。ゼロが二人を止めようと一歩踏み出す。気づいたC.C.が言葉を発する前にそれは起きてしまった。
ぎゅむッと音をさせてゼロが猫藤堂の尻尾を踏んだ。
「に゛ぁあああああッ!」
布を引き裂くような悲鳴を上げて猫藤堂が逃げ出した。朝比奈とスザクも争うことを忘れてぽかんとするし、張本人であるゼロ自身が一番唖然としていた。
猫藤堂は以後、どんな人間も受け付けず抱き上げれば容赦なく爪を立てた。しまいには空き部屋へ立て籠ってしまう始末だ。
「トラウマだな、トラウマ。心的外傷。よほど痛かったと見える」
クックッとC.C.が笑ったが、ゼロは罪悪感に肩を落とした。
「な、なぜだ…結果的には隔離出来て成功なはずなのにこんなに胸が痛むのは何故だ…」
「ほぅ、魔王にも人の心が残っているな」
「魔女がそれを言うか」
「私はあの猫に嫌われてなどいなかったぞ? お前が踏んだんじゃないか、あいつの尻尾を」
ゼロは深いため息をついて、非難囂々の朝比奈をやり過ごした。
元に戻った藤堂がなぜかゼロを避ける事態にゼロはますます肩を落とし、藤堂自身は感じたこともない奥底からわき上がる恐怖感と痛みに頭を悩ませた。そして藤堂の預かり知らぬところでディートハルトがカメラに収めた動画をめぐって朝比奈やスザクがこっそりと対立していた。さらに余波として藤堂は食後、一人で部屋にこもることが増えた。ラクシャータが一人、退屈そうに煙管をふかした。
《了》