あなたの声が、聞こえるのです


   78:ここに有り得ない声

 薄黒くぼんやりとしたそれは常に視界の隅にあった。物心ついた頃から見えるそれに違和感も不自然さも感じなかった。だから特にそれらについて口を出したことはなかった。手足や髪を意識しないのと同じだ。なくなれば気にもするのだろうが、それらは絶えず香椎の視界に映りこんでいた。ぼんやりしたそれは時に人の脚へからみ肩へ張り付く。重くないのだろうかと香椎は幼心に思ったものだ。人々はそれらを感じないかのように無視して香椎の目の前を通り過ぎて行った。それらのごうごうと排気管の音に似た咆哮は、時が経つにつれ明確な言葉となって聞こえてきた。剥きだしのそれらはひどく大きくて香椎を苛んだ。耳をふさぎたくなるようなそれは空気のごとく当たり前の顔をしてこだましていた。香椎の成長とともに咆哮は叫びとなった。
 時折耳をふさぐ仕草をする香椎をまわりは不思議がった。夜になるとひどくなるそれは狙いすましたかのように香椎を襲う。できることは何でも試した。問いかけ、祈り、願った。結果として功を奏したものは何一つなかった。どんなことも無駄なのだと諦めた頃、視界に映る薄黒い影や欲望が剥きだしの叫び声に慣れた。そして叫ばれる言葉の意味を知った。生死を分かつ境界線が、香椎の中で無意味になった。


 「――…ゆ、め」
目の前の視界は夜闇の黒さに塗りつぶされている。上段のベッドにいる九世の穏やかな寝息が聞こえた。気づけば息が上がっている。上下する胸を夜気が冷やし、布団を剥いでいたことを知る。布団をかぶって眠りなおそうと体を起こす。手足が異常に重かった。のろのろとした動きで布団をかぶったものの眠気は一向に訪れない。かいた汗が皮膚を湿らせて気持が悪い。敷布や布団が肌にはりつき同化するような錯覚さえ起こす。
 強引に目蓋を閉じても訪れる闇に馴染めず何度も寝がえりをうつ。嘆息すると布団からはい出し、喫煙用具をもって部屋を出た。夜の廊下は静かだ。普段は騒がしい生徒たちも今は眠りについているのだろう、ささやきひとつ聞こえない。生徒達が寝泊まりする建物と庭とをつなぐたたきへ腰を降ろして煙草を咥えた。手慣れた仕草でライターを使い火を点ける。紅いそれを見ながら香椎は夜空を見上げた。煩わしいような霊がこの島にいないわけではないが気に障るほど多いわけでもない。許容範囲内だと香椎はけりをつけていた。
「なにしてる?」
突然かけられた声に肩が跳ね上がった。振り向けばラングレイが懐中電灯を手に香椎を見ていた。労働時間外なのかいつもの白衣ではなく軽装な私服だ。耳朶のピアスがきらりと瞬く。色を抜いて金髪にしている香椎のそれとは違い、ラングレイの金髪は地毛だ。くすみもない。青い瞳は夜の暗さと混じって藍色をしている。
 「…み、見回りっすか」
「まぁな。で? おまえは何をしてるんだ」
懐中電灯を一瞬向けたラングレイの眉根が寄る。ラングレイはためらいなく香椎の隣へ腰をおろした。
「先生?」
「顔が青い。それで煙草とくれば眠れないってところだろう。嫌な夢でも見たか」
香椎は黙って煙草を吸った。ラングレイも香椎の言葉を急かしたりしない。沈黙は帳のように降りて二人を包み込んだ。懐中電灯が無為に地面を照らしている。普段人気のある場所ほど、人のいるいないの落差が激しい。喧噪の名残は寂寥感を呼び起こす。
 香椎の目はまっすぐ前を見ていた。ありふれた薄茶の瞳だ。軽薄な格好をしているが見た目ほど馬鹿ではないことをラングレイは知っている。事前に目を通すように言われた書類の特記事項には霊感が強いと書いてあった。ラングレイの香椎に対する認識などその程度だ。教官であることを利用すれば香椎のデータはもっと知れるだろう。だがラングレイはそれをしなかった。フェアプレイ精神と言えば聞こえはいいが、ただ臆しているだけなのだと思っている。香椎が時折倦んだ眼をするのを知っている。その理由を知るのを躊躇しているのだとラングレイは気付いていた。
 「ラングレイ先生」
香椎の唇が開いた。ラングレイは黙って続きを待つ。その間の沈黙を吐き出すように香椎は言葉を紡いだ。
「幽霊って、信じます?」
「ユウレイ? …あぁ、ゴーストか?」
「えぇ、まぁ」
明確な定義はこの場に必要なかった。香椎の言わんとしていることが重要なのだ。日本語のニュアンスは英語よりずっと複雑だ。英語を基本的言語として暮らしてきたラングレイは時折その差異を感じ取れずにしくじることがある。慎重に考え込むラングレイの様子に香椎はかすかに笑った。
 「さぁな、いるかもな」
ラングレイの言葉に香椎は肩を震わせて笑った。煙草の灰がはらはら落ちる。
「ロマンチストな軍人っすね」
「”元”だと言っただろう。そういうおまえはどう思ってる」
虚空に視線を向けた隙をついてラングレイが香椎の指先から煙草をかっさらった。躊躇せずそれを吸う。香椎はそれを横目に言い切った。
「いますよ」
ラングレイの青い瞳がすがめられる。妙に真面目な顔をした香椎の、追い詰められたようなそれから目が離せなかった。香椎は当然のように口を開いた。
「声が、するんすよ。幽霊じゃなかったら、あいつらの声はなんなんすか。俺が今まで聞いていたのは、なんだってことになるじゃないすか」
 泣き出しそうな声色にラングレイは体を位置をずらして香椎と向き合った。孝一朗のようにあらわではないだけに発露は顕著だった。ラングレイは微笑すると香椎の頭をぐりぐり撫でた。
「な?! なにするんすかッ」
明らかな子供扱いに非難の声を上げればラングレイはにやにや笑う。香椎は拗ねたようにそっぽを向いた。ラングレイがその唇へ煙草を戻す。
「俺はロマンチストらしいからな。ガキ扱いされたくなきゃ言葉に気をつけろよ」
 ラングレイは立ち上がると懐中電灯を拾う。明かりは丸く建物の壁や廊下を照らした。
「いいか、基準は自分で決めろ。他人の真似はな、いつか壊れる」
香椎は呆然とラングレイを見つめた。青色と茶褐色の視線が交錯する。ラングレイは香椎の言外の問いを読み取った上で応えた。
 不意にラングレイが煙草を奪い、懐中電灯の電源を切った。突然の闇に心構えのない香椎が驚く隙にふわりと唇が重なった。触れてくる唇の感触に香椎は酔った。唇がかすかに動く。最後に名残を惜しむかのようにぺろりと舐めてラングレイが離れていった。
「言いたいことは判ったな?」
 返事をしようと開いた隙間へ吸いさしの煙草を突っ込まれる。思わず噎せる香椎にラングレイはにやりと笑んだ。香椎は苛立ち紛れに煙草をもみ消すと携帯灰皿をポケットへ押し込んだ。
「聞こえない声が聞こえるってもの、捨てたもんじゃないだろ」
ラングレイは再度、香椎の頬へキスをするとこらえきれずに笑った。
「…もう寝ます!」
赤らんだ頬を隠すように香椎は足早に部屋へ戻った。その背中をラングレイが危惧するような顔で見送る。
 強すぎる霊感と感受性。なにがあったかは今の香椎を見ていれば想像がつく。倦んだような目や、億劫がる態度。強すぎる能力を秘め、それ故に苦しみを味わっている。抜き打ちテストの結果を見てもそれは明白だった。強すぎる力は両刃の剣だ。それは時に持ち主を窮地に追いやり、殺す。
「…俺も、甘くなったか」
香椎を留意すべき存在として報告する理由をこじつけている。微苦笑を浮かべてラングレイは扉を閉めた。


《了》

なんというぐだぐだっぷり(自己嫌悪)
他ジャンルに浮気してる所為だろうなぁ…
誤字脱字チェックしたら驚くほどあってちょっと人としてどうかと思った     05/09/2008UP

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル