手に入れる、そのために
77:照らされる身体
それなりの地位を手に入れたスザクはそれなりの部屋をあてがわれた。家具や装飾品は高価そうなものばかりだが、安っぽい冷たさはなく肌に馴染む。過剰な接触をしてくるジノを淡々とあしらうとスザクは椅子へ体を沈めた。滑らかに滑る生地と柔らかく適度に抵抗のあるクッション。カーテンが開いたままの窓へ目を向ければ、家々の明かりは夜空の星星のように散っていた。それでいて夜空の星星より強く輝いている。
「…先生」
ルルーシュを捕らえた時、混乱をきたした戦場で奇跡の藤堂と謳われた武将が捕らえられたのを聞いた。
藤堂は一度ブリタニアに鹵獲された身だ。その藤堂を黒の騎士団が奪還した。スザクはその時、図らずも藤堂と戦場で対面した。操縦席の防護壁を開き姿を見せた藤堂は微笑しながら言ったのだ。
「この場で私を処刑するか」
スザクに下された命は藤堂の処刑だった。藤堂は確固たる信念を持って戦っていた。スザクはそれを羨望と憧れでもって見つめた。力なき信念も、信念なき力もスザクの求めるものではない。かなえたい思いがあった。そのためには力が必要だった。だからスザクは今の道を選び取ったことを後悔はしない。
「せん、せい」
スザクはそっと窓へ頬を寄せた。夜気に冷えた硝子は心地よく皮膚の中へ浸透していく。硝子に映った自身の顔はひどく無機的だ。この手で捕らえた親友は苦笑しながら言ったものだ。笑い、泣き、感情の起伏が激しいんだな、と。車椅子の妹とともに、彼は嬉しそうに笑っていたのに。スザクは窓から離れるとベッドへ体を投げ出した。
目を閉じると思いだす。赤褐色の癖っ毛が白いシーツの上で跳ねる。大きな碧色の瞳は虚空を見た。
所用があってスザクは稽古を早めに切り上げさせてもらった。その割に用事はテンポ良く進んで稽古が終るだろう頃合いのときにはすでに帰路についていた。急ぎ足のスザクは目の前に現れた人影に顔をほころばせた。スザクの師でもある藤堂が道着のままで歩いていた。厳しく自身を律する藤堂がそんな恰好でいることは珍しかったが、その目的地がスザクの家であることは珍しくなかった。スザクの父が藤堂を横柄に呼びつけるのを何度も目にしている。スザクは目を瞬かせて辺りを窺った。藤堂と常に行動を共にする朝比奈がいない。藤堂ともっと親しくなりたいスザクにとって朝比奈は障害でしかなかった。それが不在となれば、機会を逃す手はない。駆け出しかけたスザクの足が、不意に止まった。
足を止めた藤堂が空を見上げていた。皓々と射す月光が道着の白さを際立たせる。鳶色の髪と鋭利な刃物のような灰蒼の瞳。横顔はよくできた彫刻のようだ。女性的な弱さは欠片もなく獣のようだ。気高く美しく、それ故に孤独な獣。その口元が、歪んだ。
「せ…ん、せい」
それは子供が泣く直前に見せるような、人が怒る直前に見せるような、それらとは一線を画した顔だった。藤堂がそれを必死に押し殺しているのが判った。袖から伸びる引き締まった手首の先にある大きな手が、拳を握りかすかに震えている。藤堂は何かを振り切るように二三度頭を振って歩きだした。
スザクは後をつけた。藤堂は諫めることはあっても厭うことなどしない人なのだと思っていた。子供の他愛ない話にも微笑で付き合い、悩みにも親身になってくれた。それでいて権力者の子息に媚びるようなことはしない。スザクの中で藤堂は、燦然と煌めいていた。どんな輝石よりも尊く、美しいと思った。スザクの中で藤堂は至上の人だった。スザクは父親より藤堂が好きだった。藤堂はスザクを守ってくれた。だからスザクも藤堂を守るのだと呼吸するように自然に思っていた。
藤堂は屋敷の裏手からゲンブの部屋へ行った。磨かれた廊下を歩き部屋へ行く。角を曲がる際に見えた横顔に先ほどのような歪みはなく、ただ無表情に。ゲンブの横柄な言葉に藤堂は一礼して部屋へ吸い込まれていった。スザクはそこで藤堂が父親に呼びつけられる理由を知った。
「先生…藤堂、先生」
見上げた天井に藤堂の残像が映る。凛としたその様は美しく、それに匹敵する美をスザクは知らない。
「…藤堂」
一語一語を噛みしめるように呟く。伸ばした腕、求めるように開いた指先が虚空をつかむ。指の間からはらはらと何かがこぼれ落ちていく気がした。
藤堂は抱かれていた。清冽な道着は淫らに剥がされ皮膚もあらわに藤堂は抱かれていた。
「鏡志朗、さん」
裏切られたとは、思わなかった。その刹那にスザクの内部で発生したのは嫉妬だった。藤堂を抱く父が心底憎く、羨ましかった。
「あ、は…はは…」
空疎な笑い声がわきあがる。もしあの時、藤堂が自分の尾行に気づいてくれたなら。藤堂が自分を諫めてくれたなら。もし、藤堂と――出会えてなかった、ら。
「鏡志朗さん…」
もしあの時に処刑していたら。そうしたらきっとあなたの最期は俺で染まっていたのだろうか?
「あぁ」
手に入らないなら壊してみせる。誰かのものに、他の誰かのものになるくらいならいっそ壊す。
「…薄い、闇だな」
窓硝子越しの夜は作り物じみて見えた。
「今度こそ…今度こそ、逃がしはしない、先生」
スザクの碧色の深淵が暗く揺らいだ。藤堂たちはテロリストとして公開処刑されると聞いた。そこに現れるだろうゼロを捕らえようと人々は必死だ。
「ゼロ」
自身の手を見つめた。友を売るのかと叫ぶ彼にスザクは頷いた。躊躇も罪悪感もなかった。ナイトメアと称される機体で幾人も屠ってきた。この手はもう綺麗になどなれない。
「ゼロ、お前を赦しは――しない」
希望を消し、愛を殺し、歪んだ慕情まで奪っていった男。ゼロはスザクの護りたかったものをすべて奪っていった。それらは平和であったりユフィであったり藤堂であったりした。
「鏡志朗」
囁く名前は甘く心地よく。黒々とした何かは幼いスザクの中で芽生え、ゼロという素因を得て発芽した。爆発的な成長を止めるすべは誰ももたない。スザクはその流れに身を投じた。
スザクはそっと目蓋を閉じた。映るのは藤堂の裸身。引き締まった筋肉と細い腰。長い脚は淫らに絡み仰け反る喉は噛みつきたくなるほど官能的だ。
「きょうしろう、さん…」
月光に照らされた体躯は綺麗だった。喘ぐあなたは美しかった。欲望を網羅するような存在のあなたが、欲しかった。好きだとか愛しているだとか、そういった言葉では表せないこの感情は。
「あなた、は」
俺の全てでした――救いでした。
スザクは目蓋を閉じると眠りの闇に体を投じた。窓の外で煌めく星星の瞬きがひどく疎ましかった。
《了》