続きがあるって思って、いいの
73:萎む花を嘆く
どの国に行っても街は似たような顔を見せる。夜になればもう一つの顔を見せて子供や世間知らずは弾かれる。暗闇から伸びる手はカモをてぐすね引いて待ち、容赦はしない。諍いは昼間以上に殴り合いに発展しやすく、発生もしやすい。そんな人ごみの中をひょいひょいとファイは渡り歩いた。正規品ではない品が並ぶ店先を冷やかし物売りを上手くかわす。
その後を黒鋼が仏頂面でついていく。この国では言葉が通じるらしく衣服の調達や宿の取り決めも順調にいった。時間帯が遅くなっていることを理由に年少の二人は宿へ置いてきた。二人は仲がいいので二人きりにしてもなんら問題はない。通訳も荷物持ちも果たすモコナを連れて行ったらというのをやんわり断ってファイは黒鋼をつれて外出した。
「あー、ねェ黒たん、みてみてー。こんな遅くにも食事所やってるんだねェ」
ファイの指差す先には店先に並んだ椅子やテーブルを明かりが照らしていた。街の治安は良いらしく、諍いの元になりそうな輩もいない。酒瓶の標識があるところを見ると酒も出すらしい。不意に近づいたファイが黒鋼にしなだれかかる。
「黒ぴー、お酒飲みたーいよーう」
「変な喋り方をするんじゃねェ」
引っ付くファイをべりっと黒鋼は無情に引き剥がす。ファイの白い指先が名残惜しげに宙を彷徨う。その白さは店先の明かりを吸って仄白く輝いているようだった。
ふざけた物言いや動作はファイの常として黒鋼は捉えている。だからファイが突然道端にかがみこんだときもまた始まったかと嘆息した。淡い金髪や白い肌は人工的な店先の明かりを反射するように輝きや艶を増している。壊れ物のような気さえ起こさせるそれらは意外な強さで黒鋼を拘束する。ファイの腕が黒鋼の服の裾を引っ張った。
促がされるままに膝を折れば、花が咲いていた。花壇や植え込みのように手入れがされているわけでもない。どこからか紛れた種が芽吹いたものだろう。それだけにどこにでもあるような、ありふれた花だ。花弁の色だとか茎だとか葉だとか、特異なところは何もない。花の方もそれを知っているかのように主張せずか弱いほどに謙虚だ。黒鋼はファイの顔を見た。ファイは熱心に花を見つめている。蒼白いような白い肌を人工的な明かりが照らす。青い瞳は冴え冴えとしている。
黒鋼の片眉がピクリと上がる。黙り込んだ状態のファイは、口が軽いときより厄介であることを知っている。水面のように蒼い瞳は妙に冷たく冷静だ。桜色をした唇が無機的に言葉を紡いだ。
「どうして花って散るんだろう、萎むんだろう」
黒鋼はバリバリと頭を掻くとめんどくさそうに答えた。男二人で道端に屈んでいれば悪目立ちもする。一刻も早くこの状況から抜け出したかった。
「実とか種がなるからじゃねェのか」
周りを一睨みしてからファイへ視線を戻した黒鋼にファイはへらりと笑った。
「でもさ、花が萎むのって怖くない? なんだか刻々と終わりに近づいているみたいで…オレはちょっと、怖くなるときがあるよ」
へらへら笑うファイの顔に理由のない苛立ちを感じる。空疎なそれは見せかけだけのような気がした。薄皮一枚剥げばどうなっているのだろう。
黒鋼の指がそっと伸ばされる。ファイは微笑して目を閉じる。その白い頬を黒鋼は思い切りつねった。
「ひたひひたいー!」
ファイがその細長い手脚をばたつかせた。放してやると恨めしげに黒鋼を睨みながら紅くなった頬をさすっている。その目が潤んでいる。濡れた蒼い瞳は水面だなと黒鋼はふと思った。ゆらゆらと明かりを乱反射して煌めく。
「黒ぷーひどいよッ! 撫でてくれるかと思ったのにー! つめたーいひどーい」
「うるせぇ」
指先が触れた刹那にその全てが陶器のように砕け散るような危うさを感じた。柔軟に手脚をばたつかせるファイからはそれが嘘のようだ。取り返しがつかないような脆さは消えていた。黒鋼は無為な懸念に不機嫌になった。何よりこういう腹を探るような芸当は得意ではない。ぶつかり合って砕け散った方がどれだけ話が早いか知れない。
きゃんきゃんと喚くファイの胸倉を掴むと噛み付くようにキスをした。ファイの瞳が驚きに見開かれていく。黒鋼の紅い瞳は蠱惑的だ。短く切られた黒髪は夜闇に融けた。手を伸ばして強く抱きしめる。ファイはさらに深くキスをした。黒鋼は一転して逃れようと体を反らす。そこへ覆いかぶさるように体を伸ばして唇を奪う。
「…ッは」
黒鋼の手がファイを引き剥がした。いつの間にか二人して冷たい地面の上に座り込むはめになっている。ファイは残念そうに唇を尖らせた。
「もっとキスしてー」
「うるせぇッ」
夜の街は同性同士の抱擁やキス程度なら見逃す寛容さだ。ありがたくもないその懐の広さに舌打ちしながら黒鋼は立ち上がった。その足元へファイが縋りつく。
「花のことを嘆く前にその後のことでも考えろ」
黒鋼がファイを振り払う。
「終わりなんてねェ、駄目なことなんてねぇんだよ!」
ファイは甲高く笑った。溢れそうになる涙を堪えて上を向けば凛々しく立ち上がった黒鋼が見える。強い黒髪と紅い瞳。凛とした刃のような雰囲気と大きな体躯。体術や剣術を得意とするその身体はしなやかに躍動する。
「黒様かっこいい」
涙に濡れた目でファイは笑った。目元が涙を堪えて紅い。
「そうだね…ありがとう、黒様」
黒鋼の腕がファイを立たせると踵を返す。
「え、え、黒ぷー?」
黒鋼はそのままぐいぐいとファイを引っ張って行く。日に焼けた黒鋼の皮膚は夜闇の中では少しくすんで見える。紅い瞳だけが星のように瞬いていた。
「飲むんだろ! 酒!」
「飲んでもいいの」
「眠ったら置いて帰る」
「ひどいー! つれて帰ってよ!」
冗談じみた大袈裟な動作で嘆くファイの様子に黒鋼が笑った。その笑顔にファイは見惚れた。ひどく稀有な気がするそれは泣き笑いのようだと思った。
ファイは体を精一杯伸ばして黒鋼に抱きついた。服の隙間へ手を滑り込ませて胸に当てれば拍動がする。その鼓動に泣きたくなる。
「でも黒様は優しいもんねー信じてるから」
「勝手に言ってろ」
そういう黒鋼の頬がほんのり紅いことに気を良くしたファイは抱きしめる腕に力を込めた。その眦から雫が一筋流れ落ちる。温いそれは肌に融けた。
「大好きだよ、黒様」
あぁなんて
なんて優しい
あなた
《了》