とんでもない、伏兵
71:シーツの中の落とし穴
夜道の往路で目の前で揺れる人影に嫌な予感がした。黒く闇に融けていたのはマントで、見知った顔がこちらを向いた。その顔がにやりと笑んだ。濡れ羽色の黒髪と蒼と緑の混じりあった色の瞳。マントをかぶってしまえば腰の二刀も判らない細身であるくせに剣戟の技術は一級品だ。裏の事情にも通じている。生真面目なだけではない柔軟性を持ち、事態にも臨機応変に対応するだけの能力を備える人物だ。その手を借りたことも何度かある。
フランシスコはティボルトを無視してキュリオの家へ向かった。ティボルトは平気な顔をしてついてくる。能力に裏付けられただけの自信と傲慢さが憎らしい。クルンとフランシスコが振り向いた。長いクリーム色の髪がフワリとなびく。蘇芳色の瞳がティボルトを威嚇した。
「こっちにはキュリオの家くらいしかありませんよ」
「そう、そのキュリオに俺は用事があるんだよ」
人を食ったように繰り返す様子にフランシスコが歯噛みした。無視して歩を進めればティボルトはこれ幸いと平気な顔をして後についてくる。
ティボルトの助けを借りたことに異議はないが、まさかこんなかたちで深く絡んでくるとは思わなかった。焦りは禁物と決定打を出さずにほのめかすだけで暮らしてきたことに後悔が募る。フランシスコの思惑を知ってか知らずか、ティボルトは一気に結果を求めるようにキュリオに迫った。キュリオは頑固なくせに押しに弱いところがあるのだから始末に終えない。結果としてフランシスコは連日偵察も兼ねてキュリオの家を訪れることになっていた。
「用がないなら盛り場でも行ってきたらどうですか」
「言ったろう、キュリオに用事があるんだよ」
ティボルトは平素、相手のことを名前で呼ばない。その傲慢さでもってお前と呼ぶのが常だった。そんな差異にすらキュリオへの思いが読み取れてフランシスコはウンザリした。
現政権の転覆を狙う一味として隠遁生活を送るキュリオたちは入り組んだ場所に居を構えている。人の通りは多いがけして人が立ち止まったり見つめたりしない巧妙な位置にある。フランシスコはため息をついてキュリオの家の扉を叩いた。ティボルトがついてくることにはもう諦めた。キュリオから以前ティボルトが訪れたことがあると聞いていた所為もあるだろう。道程はもう覚えられているだろうし下手に裏道を見つけられるくらいなら自ら案内役を買ってでた方がマシというものだ。
「寝たか?」
ノックになんの応答もない。取っ手をひねれば扉は開いていた。そっと家の中を窺うが明かりもなければ怪しい気配もない。フランシスコはフッと手元の明かりを吹き消すと用心深く家の中へ入った。ティボルトがそれに続く。二人とも戦闘はそれなりにこなせる。怪しい何かがあればその場で叩きのめすつもりだ。そう広い家ではない。フランシスコが緊張を解くとティボルトはあっさりベッドに近づいた。
「寝てるぜ」
そちらへ行けば確かにキュリオが眠っていた。雨戸を閉め忘れたのか窓硝子越しに月明かりがさしている。鳶色の髪は黒色を吸って黒褐色に見える。眉の上から走る裂傷は片目をふさいでだ。少女を守ってついたこの傷に後悔はないと言っていた。同時に自分の未熟さでついたのだとあっさり言ってのけた。
ティボルトは体をかがめるとその頬へ唇を乗せた。
「この顔を泣かせるときがたまらないんだよな」
「帰ってください」
露骨なそれにフランシスコが噛み付いた。ティボルトはそれを気にするでもなく毛布の中へ手を滑らせた。キュリオの体がぴくんと震える。
「いい反応だ。しばらく我慢してたからな」
「帰れ」
フランシスコは堪忍袋の緒を気合でつないだ。
「私だって我慢してきたんですから。だいたいあなたはなんでそう味方なのかも判らないのにちょくちょくくるんですか?! それこそ女性にお相手願ったらどうですか」
ティボルトはフランシスコの言葉をフンと鼻で笑った。もとより傲慢なところが言葉尻や態度の端々で感じ取れるのだ。隠そうともしないそれにフランシスコの苛立ちが募る。
「俺が誰を抱こうが関係ないだろう。お前こそ女が騒いでたぜ、そっちを何とかしてからにしたらいいだろう」
フランシスコの肌が怒りで紅く染まった。何か言い返そうとした瞬間にキュリオの呻く声が聞こえて二人ともが体を凍らせた。もぞもぞと寝返りを打っている。
「おい」
ティボルトの呼びかけにフランシスコも頷いた。毛布のふくらみがありえない大きさだ。体勢から推測するにそこに質量があるのはおかしい。二人ともが見落としただけで侵入者でもいたのかと緊張が走った。ティボルトの方が思い切りが良かった。腰の獲物へ手を伸ばしながら毛布を一気に剥いだ。
「あ、見つかった」
目を瞬かせてそう言ったのはアントニオだった。ぺろりと舌を出すと悪びれもせずその小さな体を起こした。キュリオの服の留め具は外されてその胸や腹がさらされている。ベルトまで外されているが、アントニオの手はまだそこまでいってはいなかったようで無事だ。
「子供はねんねの時間だ、帰れ」
フランシスコは怒りと安堵がないまぜになったような表情をしたが、ティボルトの方は完全に怒っている。顔立ちが整っているだけに迫力が違う。アントニオは子供らしい傍若無人さでそれを跳ね除けた。
「やだよ。僕、こっそり抜け出してきたんだ。今頃もう鍵だって閉まってる。キュリオのところへ泊めてもらうつもりだったんだから」
「街で一晩明かしてみろよ、いい勉強になるぜ」
「独り占めが駄目だって言うんならみんなでやればいいんじゃない」
「一度しか言わないぜ。さっさと帰って拳骨の一つでももらってベッドへいきな。俺はガキと夜のパートナーを共有する気はない」
アントニオはフンと挑戦的に笑った。
「いいの、そんなこと言って。キュリオがパートナーだって認めたなら引くけどそうじゃなったら僕だって名乗りをあげるよ。それにこんな時間に子供一人で帰れなんてよく言えるね。危ないじゃない」
「それだけしたたかなら大丈夫だろう」
フランシスコは言い争う二人に嘆息しながらキュリオの衣服を直してやろうと手をかけた。その刹那、キュリオがパチリと目を開けた。
「…キュ、キュリオ」
フランシスコの背中を嫌な汗が伝う。留め具の解かれた衣服に手をかけベッドに乗りかかっている。間が悪いったらない。さらにトドメとばかりにアントニオとティボルトの諍いが最高潮に達していた。
「大人の秘め事にガキが口を出すなよ。体ってのは案外正直なんだぜ、刺激にちゃんと応えるのも才能だ」
「じゃあキュリオが反応するならいいの? 試すくらいいいじゃないか」
キュリオのこめかみが引きつった。凛々しさを感じさせる眉が跳ねる。フランシスコの頭を色んな言い訳が飛び交った。間と状況とタイミングが悪すぎだ。もう何を言っても理解を得るのは難しいだろう。
「キュリオ、落ち着いてください。私は」
「出て行けッ!!」
キュリオの怒号が響くと同時に三人は部屋から蹴り出された。容赦ないそれはキュリオの体格だから可能だったのだろう。襟の開いた胸元に色香が漂っていると、蹴りを喰らった頭でフランシスコはぼんやり思った。はぁはぁと荒い呼吸にキュリオの肩が上下している。
「キュリオ、起きたの? ねぇ僕が相手でもいいでしょ?」
「冗談だろ、こんなガキ。お前の身体はそんなんでおさまりがつくのか?」
「二人とも! キュリオ、誤解ですって! 私はちが――」
平然と諍いを続ける二人の台詞にフランシスコは真っ青になりながら弁明を試みるがキュリオは怒り心頭にきていて聞く耳持たない。耳まで真っ赤になってキュリオは怒鳴りつけた。
「三人とも、二度とくるな!」
バァンと壊れそうな勢いで閉められた扉の前でフランシスコが途方にくれた。
キュリオの頑固さは幼い頃から知っている。これはもう当分は望むべくもない。絶望的だ。
「私だってキュリオとしたかったのに!」
やけくそになってフランシスコが叫んだ。たまった鬱憤を晴らすべく口を開きかけたその瞬間に、三人の上へ冷水が降り注いだ。濡れ鼠になって目線を向ける三人にキュリオは冷たく言い放った。
「帰れ」
桶まで投げそうなその威圧感に三人はスゴスゴと帰路についた。
《了》