紛れ込んでしまった異邦人


   68:舞踏会の異邦人

 きらびやかな音楽と着飾った大人たちが目の前を行き来した。女の細い首で装飾品を揺らすチョーカーや長いドレスの裾を引きずる衣擦れの音。コツコツ響く靴音や談笑する声はざわざわと耳鳴りのように響いた。広間のいたるところで大人同士が密やかに会話を交わし、笑いあっては群れをなし、散り散りになっていく。話の内容などあってないようなものだ。どこの家の娘が片付いたとか子息は出来がいいだとか悪いだとか、キュリオからしてみれば愚にもつかない話題ばかりだ。それだったらお堅い家庭教師の話を聞いていたほうがまだマシだ。大人の気まぐれで呼ばれたことが端々から窺えた。
 キュリオはため息をついて持っていたコップを傾けた。流れ込んでくる飲物は甘さが口に残った。大人たちの集まる場である舞踏会に子供用にしつらえられたものなどないに等しい。軽食はいいとして飲物も侍女が慌ててそろえたものだ。着慣れない高価な服装に肩がこるような思いをしながらキュリオはテーブルに近づいて軽食を取り分けた。コップをおいて軽食に箸をつける。
 夜半まで起きていることが許された嬉しさも最初の頃だけだ。これなら部屋で眠った方がマシかもしれないと思い始めていた。キュリオを連れ出した両親もこの広間のどこかで世間話に花を咲かせているのだろう。大きな窓に嵌められた透明な硝子はよく磨かれていて夜空を綺麗に映し出した。
 給仕をする女性が瓶をあけるとフワリといい香りがした。そっと大人の影に紛れて近づく。空いたグラスに次々と中身が注がれていく。飴色のそれはわずかに発泡しているのか泡がぷくぷくと浮かんでは消えた。人の波が切れて女性が瓶に栓をしたところで彼女もその場を離れた。キュリオはそっと近づくと自分のコップになみなみとそれを注いだ。少し鼻につんと来るそれが未知のものへの興味に変わった。軽食を綺麗に平らげてから当然のような顔をしてコップを持って人の輪から離れた。
 壁に背を預けてコップを傾ける。舌にぴりりと来る刺激の後に飲み込みにくいような喉を焼く感触があったが構わず飲み込んだ。唇を舐めて二度三度と嚥下するうちに刺激や飲み込みにくさは消えた。ただ胃の腑に何かがずしりときたような違和感が残った。頭の芯がぼうっとする。そばにあった椅子に腰を下ろす。サイドテーブルに中身の残ったコップを置いた。体が沈み込んでもう四肢を動かすのも億劫になる。背もたれへ背を預けるとすぐに意識がとろんとしてきた。大人たちの会話も笑い声も空々しく、ワンワンと響いた。楽隊の演奏が心地好い。このまま眠ってしまおうかとした刹那に、見慣れたクリーム色が飛び込んできた。
 キュリオと同じように高価な余所行きの衣服を着て手持ち無沙汰にふらふらしている。蘇芳色の大きな瞳がまるで紅玉のように目を惹いた。うなじを隠す程度に伸びた髪がさらりとなびいて彼がキュリオに気付いた。
「キュリオ!」
椅子に沈み込んだキュリオをフランシスコが不思議そうに見た。
「気分でも悪いの」
「…悪いって言うか」
 とろとろとした眼差しに気付いたフランシスコが横に置かれたコップに気付いた。一口、口に含んで目を白黒させている。けほけほと咳き込みながらフランシスコが呆れたように肩を落とした。
「お酒だよこれ。判ってて飲んだの、キュリオ」
「…こんなに強いとは思ってなかった」
 ため息を吐いたフランシスコがキュリオの腕を引いた。キュリオは気怠そうにそれに従う。手足がだるく、重かった。フランシスコは常にない強引さでキュリオの腕を引いた。広間のざわめきが消えてとろけた眼差しで辺りを窺えば庭に出ていた。アイリスの香りと仄白く浮かび上がった花弁が目蓋に灼きついた。キラキラときらめくのは噴水だ。フランシスコはハンカチを浸す。固く絞ったそれがひたりとキュリオの頬に触れた。びくんと仰け反りそうになるのをフランシスコが引き止める。
 「だめだよほら、酔いを醒まして」
冷たいハンカチが気持ちよかった。しばらくされるままになっているうちに意識がハッキリしてくる。耳の底で響くように鳴っていた耳鳴りのような音も楽隊のさざめきなのだと知れた。閉じていた目蓋を開けば、フランシスコも楽隊の音に耳を澄ませていた。白い指先がキュリオの頬で留まっている。
「演奏が聞こえるね」
「あぁ」
 演奏に耳を澄ましたキュリオの視界に仄白いような色が満ちた。唇に触れてくるのは淡く色づいた唇。ふわんと柔らかなそれはほんのりぬるんでいた。火照ったようなそれは触れるだけですぐに離れていく。キュリオは目蓋を閉じてフランシスコのされるままになった。フランシスコの熱がゆっくりと離れていった。満ち足りたようなそれの余韻にキュリオは喉を震わせた。
 フランシスコがキュリオの手を取った。
「ねぇ、踊ろうか。相手してくれるよね?」
目蓋を開けば白い頬を薔薇色に染めたフランシスコが精一杯笑っていた。
「いいぜ」
キュリオがにやりと笑うとフランシスコも悪戯っ子のような笑みを浮かべた。キュリオはフランシスコに誘われるままに立ち上がった。二人ともそれなりの家柄の子息だ。必要最低限の踊りくらいは知っている。
 二人の足がゆったりと優雅にステップを踏む。音楽にあわせて軽やかに動く手脚は二人の服装がよく映えた。上着の裾がひるがえり靴音が夜空に響いた。音楽が途切れた刹那にキュリオはフランシスコを引き寄せて唇を重ねた。そのまま二人で芝生の上へ倒れこむ。こらえきれずに笑いだすキュリオに目を瞬いていたフランシスコも笑い出した。キュリオの上に倒れこんだフランシスコの髪がサラサラ揺れた。細いそれを梳いてやりながらキュリオは喉を震わせて笑った。キュリオの髪は少し固く鳶色をしている。瞳は芥子色だ。フランシスコとは対照的に地味な色合いでその形が構成されている。
 「キュリオ」
フランシスコがねだるように紅い唇で触れてくる。
「好きだよ」
「俺だって好きだ」
顔を見合わせてからクックッと二人して笑った。服が乱れるのも構わず互いの体をくすぐりあって二人はケラケラと笑い声を上げた。


《了》

最初ッからこのお題は絶対フラキュリでやろうと意気込んでたんですが子供時代になっちゃいました。
子供のときって大人達のお呼ばれ暇だったよね! という実体験のみこもってます。         12/21/2007

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