重ねてみている
61:シルエット
砂を踏む音が響く。じゃりじゃりとした砂が固い地面の上辺を滑る。手元の明かりが体の動きにあわせてゆらゆらと揺れる。無地の着物が明かりに照らされ焔色を帯びる。長身でいながら威圧感がないのは細い体躯の所為だろう。短い髪は彼の弟と同じ赤茶色の髪で、うなじの辺りから伸びた長い髪は闇色をしている。夜闇すら吸い込んだそれが尻尾のように背中で揺れる。
駕籠を降りると一定の距離を保って後をつける。二つ分の足音が街路に響くが目の前の彼は振り向きもしない。明かりで映る影がゆらゆらと揺らめく。その様は陽炎でも見ているかのようだ。軽やかな音が少年の履物からする。それでも目の前の彼は振り向かない。それは愚鈍なように見えて実はこちらを窺っているのかと勘繰るには十分だった。
――似てる
紅い唇が弓なりに反って笑みをかたちどった。何の考えもなく足を運んでいるのかと思いきや、彼の寝泊りしているだろう屯所から離れていることに気付いた。
――似てるなぁ
それでも彼はまるでこちらを試しているかのように頑なに振り向かない。鈴はその腹積もりも含めて彼を観察した。そろばんが得意なのだと彼の弟である鉄之助から聞いた気がした。馬鹿ではない。
目のまで不意に彼の足が止まった。つられるようにして鈴も足を止める。ゆっくりと振り向いた顔は微笑を浮かべていた。
「こんばんは」
「辰之助サン」
艶然と微笑する様は彼が色恋に疎いなどとはとても思えなかった。まるで何もかもを知って倦んだような感覚すらそこにあった。
「鈴、くんだったかな」
「覚えていてくれたンですね。嬉しいです」
鈴は明かりを放り出すと辰之助の方へゆっくりと歩み寄った。銀髪が月明かりを浴びて金属のように輝いた。それは刀の刃にも似た。褐色の皮膚は闇に融け、触れてくる熱は不意に正体をあらわにする。辰之助は薄く笑うと明かりを吹き消した。途端におりる闇の帳は深く二人の境界を曖昧にする。触れてくる指先に前触れはなく触れてくる熱は異物でありながら肌に馴染んで同化する。
鈴の指先が辰之助の結い紐を解いた。闇色の黒髪が鈴の指に絡む。長い黒髪は思い出すものがある。懐かしいような痛いような灼けるようなそれは鮮烈に鈴の体内に宿った。手元に抱えていた頭蓋骨がヒヤリと冷たい。
「辰之助サン、いつから気付いてたンですか」
「いつからだろうね。ぶらぶらしていただけだから判らないな。それに俺は剣士じゃないから気配とかだって敏くはないしね。だから、判らないよ」
辰之助はただ無為に言葉を紡ぐ。鈴はそれに鼓膜を震わせながら笑んだ。先生はもうちょっと大胆だったかもしれない。それでも奥底に流れるその感触は妙に似ていると思った。
鈴の視線が落ちて抱えられた頭蓋骨を見る。最高の技術と漆で仕上げた。ぽっかり空いた眼窩の奥には闇が満ちている。鈴を魅了してやまない闇を目の前のこの男からも感じた。尊敬して愛し崇拝した先生のように洗練されてはいないものの剥き出しのそれはそれだけに猛々しい。雄の匂いなど微塵も感じさせないくせに無造作なほどのそれはそこにある。
鈴はそっとその痩せた胸に頬を寄せた。静かなほどに感じられない鼓動。鈴はこんなにも身を焦がしているのに目の前の彼は恐ろしいほど平静だ。それをひどくかき乱してみたいとすら思う。泣かせて縋らせたらどんなにか気分がいいだろう。
「辰之助サンて、結構怖いんだよなァ」
「俺はただそろばんが得意なだけの人間だよ」
「それが怖いよ」
なんでもない人間は恐ろしい。守るものを持たない者や弱味を持たない者が恐ろしいのだといつか先生が言っていた。
頭蓋骨をいとしむようにそっと置く。辰之助はそれを目線だけで追った。月明かりが辺りを照らす。鈴は振り向く勢いのまま辰之助に抱きついた。ドンとぶつかって辰之助の体が傾ぐ。長い脚がバランスを保とうとして一歩二歩とたたらを踏む。痩身は鈴が腕を回してしまえるほどだ。不ぞろいについた筋肉は彼の生活が楽ではなかったことを示している。
「驚かないんですね」
「慣れてるからね」
鈴はプゥと頬を膨らませるとはじけたように笑い出した。
「ねぇもう、続きは判りますよねぇ?」
回された手が帯に伸びて辰之助がフワリと笑んだ。
「判るよ」
辰之助が探すように辺りに目をやる。鈴は笑んでその背を抱いた。
「誰も見ないよ…辰之助サン」
辰之助は一瞬、逡巡したがすぐに追随するように笑った。その四肢から力が抜ける。夜闇の満ちた路地裏に勝手知ったる庭のように入りこんでいた。辰之助の細い腕が回され骨ばった手が鈴の背を撫でた。
鈴は痛むような顔をして笑んだ後に辰之助の胸へ唇を寄せた。帯の解ける衣擦れの音に辰之助は艶然と笑っていた。
大好きなあの人の
影をあなたに見てしまう
《了》