さぁ手を叩いて
私を呼んで
54:鬼さんこちら
ルルーシュは苛立たしげに小石を蹴った。街灯の届く範囲外に飛び出したそれは見る間に闇に融けていく。大方の仕事が終わった夜半だ。連絡のつかない理由が思い当たらない。さては眠ったかと思うがすぐさまそれを打ち消した。変なところだけ大人な彼が宵の口に眠るわけもない。ルルーシュは夜空を見上げた。街頭に負けて星星の瞬きは数えるほどだ。幼い頃に過ごしたような田舎にでも行かないと満天の星空というわけにはいかないだろう。
街灯に寄りかかるとルルーシュは忙しげに携帯を操作した。同じ少女から異なる能力を得た者として彼を知った。制約の多いルルーシュと違い野放図なまでに契約のない彼の能力は、一定範囲内にいる人間の思考が聞こえてくるというものだ。一見便利なようでいて不自由なそれをマオはヴァイオレットのゴーグルと大きなヘッドフォンでなんとかかんとかやっている。
メールも電話も返事がない。ここまで来ると意図的に無視されているとしか思えない。ルルーシュは苛立たしさをぶつけるように街灯を蹴りつけた。その瞬間に人影がビクッと跳ねた。ルルーシュの大きな瞳はそれを見逃さずすかさず誰何した。
「マオか!」
途端に引っ込むそれに確信を得てルルーシュは駆け出した。コンパスの違いこそあるもののルルーシュだって人並みの運動能力くらい持ち合わせている。それでも切れてくる息に幼馴染のスザクほどの体力があればと少し悔やんだ。ルルーシュは足を止めた。
駆け去っていく人影の方向と性格を考慮してルルーシュは息を整えた。追いかけっこも鬼ごっこも体力ではなく知力で切り抜けてきた。性格と彼の体力、持ち合わせているだけの知識を総動員してルルーシュは仮説を立てる。人ごみが嫌いな彼だ、夜半とはいえ大通りには行かないだろう。そして彼の有するギアスの能力の有効範囲を確かめる。先日小競り合いがあった際にその情報は得ている。今は彼のほうから離れて行っているので範囲内には入っていないだろう。それでもギアスの能力を考慮してすぐに戻ってくるだろう。思考と作戦は手早く。ルルーシュはそっと歩を進めた。
切れてくる息と息苦しさにマオは足を止めた。はぁはぁと肩が上下するほど上がった息を静めようとしながら後ろを振り返る。ルルーシュはもう追ってきていないだろう。それでもルルーシュの立てる作戦や知識、知略のすごさは身をもって知っている。走って逃げたくらいで逃れられるとは思えないが念には念を入れたほうがいい。マオはこっそりと回り道をしながら元の位置へ戻った。街灯に照らさせる範囲内に人影はない。流れ込んでくる思考にも彼のものはない。マオはこそこそと物陰から顔を覗かせた。
「ル、ルル?」
小声で誰何しても返事もない。
「ルル? い、いないの?」
なぁんだと気が抜けてマオは無遠慮に前へ進んだ。街灯の元にぽつんと残った携帯がある。ちかちかと点滅するライトが着信を伝えている。折りたたみ式のそれを開くと新着メールがある。あて先も発信元もこの携帯だ。自分の携帯から自分の携帯に発信したらしい。マオは興味深げにそのメールを開いた。ゴーグルを跳ね上げる。ギアスの紋様の揺らめく紅い瞳が驚きに見開かれていく。
『後ろを見ろ、マオ』
マオが振り向こうとした瞬間、大きく思考が乱れた。
マオ!
大きな呼びかけにそれが強い思考であることが知れる。振り向く前に細い体躯がマオを拘束した。火照ったように熱い体は彼がマオより年下であることを現しているようだ。
「オレを避けるとはいい度胸だな、マオ?」
「ル、ルル? なんでッだってさっきいなかったじゃん! どうして?!」
「お前の能力の有効範囲外からダッシュしただけだ、馬鹿が」
言われて見ればルルーシュの細い肩が上下している。
「オレに体力を使わせた罪は重いぞ」
「だ、だって、ルルだって…」
マオの勢いがしおしおとなくなる。困ったように唇を尖らせてルルーシュを窺っている。
ルルーシュの指先がマオのかっちりと詰まった襟を緩める。素肌に指先が触れる段になってマオは慌てて指先を払い落とした。
「だって、ルルだって最近会ってくれなかったじゃん! だからたまにはボクの方から断ってやろうと思ったんだよぅ!」
ルル−シュは零れ落ちそうな目をますます大きくした。紫水晶のような瞳が驚いた後に楽しげに微笑んだ。
「そうか、なるほどな」
「なんだよ、悪い?!」
開き直ったようなマオはルルーシュの腕を振り解いて体を反転させた。深いスリットの裾がスカートのように翻る。青灰色の髪と紅い瞳がルルーシュを見た。白い肌が街灯に照らされて光を帯びる。
「悪いとはいってないだろう、人の話を聞かない奴だな」
「だってルル、笑った! 笑ったよ、今、絶対!」
子犬のようにキャンキャンと喚きながらマオの長い四肢がバタバタと動き回った。伸びやかなそれらをルルーシュはいとしむように眺めた。
「悪いとは言ってないが笑ってないとも言ってない」
「ずるい! それ、ずるいよ!」
ルルーシュはついには体を折って笑い出した。マオはますます紅い頬を紅くして怒った。ルルーシュは笑い涙を拭う。マオは怒ったようにルルーシュを睨んだ。その瞳が涙に潤んだ。
ルルーシュは体を伸ばしてキスをした。ルル−シュの方が悔しいことにマオより小さい。いつか追いついてやると心の隅で思いながらルルーシュは唇を離した。
「…ずるいよ、それ」
「何がずるいんだ」
ルルーシュは平気な顔をしてマオの紅い頬に指先を這わせた。火照ったそこは熱っぽい。ヒヤリと冷たい指先の感触にマオが身震いした。
「だって、ルル、キスした…!」
「キスくらいするさ、お前が好きなんだから」
マオはみるみる顔を紅くして唇を尖らせた。唇までもが火照ったように紅い。
「やっぱり、ずるい気がする…」
ルルーシュはそれ以上の言葉をふさぐために唇を重ねた。マオは静かに目蓋を閉じた。
《了》