あなたのためなら惜しんだりしない下心


   53:ベッドメイキング

 そろそろ日が落ちる頃合だ。オラクルはパソコンから顔を上げると作業を途中で保存して電源を落とした。いそいそと片付けや用意をこなす。明るい茶色の短髪がさらりと揺れた。髪と同じ色の瞳がしきりに時計を見る。まだ間があると判っていながらも食事や細々した用事を片付ける。オラクル自身はわりと時間の融通の利く職種だ。従兄弟のオラトリオと組んで仕事をしている。
 外が帰宅してきた人々の騒がしさと夕飯時の慌しさとで混在する。渋るパルスを説得して説得して説得してようやく今日にこぎつけた。相棒であるオラトリオのすぐ下の弟のパルスは大学生でオラクルと付き合いだしてしばらく経つ。生真面目な部分のあるパルスは思ったより融通の利かない面もある。ベッドをパタパタと直しながらオラクルはくすりと笑った。
 オラクルの方が一方的に押している面がある所為か時折不安になる。パルスの顔を思い浮かべるたびに笑みがこぼれる。オラトリオを含めた他の姉弟は皆紫水晶のような瞳なのにパルスだけが紅い瞳だ。
 準備万端整えたところで呼び鈴が鳴った。蹴立てるように椅子から立ち上がると玄関へ向かう。扉を開くと照れくさそうに鞄を抱えたパルスが立っていた。
「来てくれてありがとう。ゆっくりしていってね」
「あ、あぁ…」
パルスがちろりとオラクルを見上げる。オラクルはパルスから見ても見上げるような長身だがその言動や態度からは威圧感は微塵も感じられない。顔のパーツはオラトリオと似ているのだがまとう雰囲気が違う所為かその類似点は意外と気づかれていない。
 パルスが手を洗って食卓に着く。オラクルはニコニコと笑顔で給仕をする。さりげなく手を差し伸べてやったり皿を避けてやったりと甲斐甲斐しい。パルスも食事の仕方が綺麗だ。オラクルも作法はきちんとしつけられている。
「美味い」
「本当? よかった、頑張って作った甲斐があったよ」
パルスのさりげない一言にもオラクルはパァッと破顔した。心底から嬉しそうなそれにパルスの方が頬を染めた。オラクルがきょとんとして顔を背けたパルスを窺う。
 「やっぱり美味しくなかったかい? 普段食べるのは自分だけだから…味付けとかおかしかったかな? 濃い? 薄い?」
「だ、大丈夫だ、美味い」
パルスの紅い頬に指先を滑らせる。パルスはその長い黒髪とあいまって肌が驚くほど白く見える。そこに紅玉のような紅い瞳が煌めきよく映えた。パルスの紅い瞳がオラクルを映し出す。白兎のようなそれにオラクルは優しく微笑んだ。
「…大丈夫だ、美味いから」
「よかった」
自分の料理に戻るオラクルにパルスの肩から力が抜ける。二人は談笑しながらそれぞれの料理を片付け、食後のコーヒーに口をつけた。
 「オラトリオとは相変わらずなんだ?」
「…まぁ、な」
パルスはオラトリオを苦手としている面がある。原因は訊いたことがないから判らないが、どうも幼い頃に喧嘩を挑んでは負かされるという苦い経験の所為であるらしい。オラトリオは時折それをネタにパルスをからかっている。
 パルスがそっと席を立つ。オラクルの方へ歩み寄り体を傾けた。
「パル」
オラクルの言葉がそこで途切れた。触れ合う唇の奥へ言葉の続きが飲み込まれていく。オラクルの茶褐色の瞳が驚きに見開かれていく。パルスの紅い唇が離れる。そのまま離れていこうとする腕を思わず取った。
「パルス」
まじまじと見つめるオラクルの視線にパルスはフイと顔を背けた。目元がうっすら紅い。瞳の紅さとは違うそれは桜色だ。白い肌には紅を注したように目立つ。
 オラクルが平素にはない力強さでパルスの腕を引いた。パルスの体を抱き寄せて腰を抱くと唇を重ねた。ついさっきまで飲物を口にしていた唇は湿ってしっとりと肌に馴染む。
「お、オラクル」
唇から頬へ、頬から首筋へと滑り降りていく唇の感触にパルスが焦ったような声を立てた。オラクルの大きな瞳がパルスを見た。明るい茶色の瞳は瞳孔までもがはっきり見える。
 「嫌かい」
パルスがぐぅと黙った。パルスだって生娘ではあるまいし二人が付き合った結果がどこへ行き着くかくらいは知っている。だが知っているのと体験するのとでは天地の差だ。ためらいだって生じてくる。それは知っているからこそ余計に増す面もあるくらいだ。パルスの目が困ったように進行方向にある寝室へ向けられた。扉が開かれていて整えられたベッドが見える。オラクルへ視線を戻せば縋るような、子犬のように熱心な瞳がぶつかった。額にぽつんとついたそれは神々しさの証のようでもある。事実オラクルにはそんな浮世離れしたような雰囲気がある。
 オラクルの手がそっとパルスの髪を梳いた。長い黒髪がサラサラと滑った。パルスを抱きしめながらオラクルは髪に頬を寄せる。ふわんと香る石鹸の香りに笑みがこぼれた。
「嫌ならしないよ」
きっとパルスがオラクルを睨み上げたと思った瞬間、唇が重なっていた。オラクルが目を見張れば首や耳まで真っ赤になったパルスが顔を背けていた。
「…べ、別に嫌じゃない」
パルスの言葉にオラクルは花が綻ぶように微笑んだ。
「ありがとう」
パルスが返事をするか田舎の刹那にオラクルがパルスを抱え上げた。膝裏から両手で抱えるそれはいわゆる『お姫様抱っこ』という奴なのだと気付いてパルスが泡を食った。
 「お、下ろせ! オラクルッ」
「ベッドに下ろすよ」
スプリングのよく効いたベッドがパルスの重みに軋む。長い黒髪は艶やかで流水のようになめらかに滑った。明かりの点いていない場所で見るパルスの瞳は蠱惑的で禁忌を犯すような昂揚感を煽る。パルスも白い肌だがオラクルだって透き通るような白さだ。全体的に色素の薄い彼の皮膚は薄皮一枚なのかとも思わせる。薄い皮膚の裏に躍動する流動的な熱があるのだと窺い知れる。
 オラクルがベッドに乗っかりパルスの上に圧し掛かってくる。それでもその瞳は遠慮がちに煌めいた。
「ねぇ、本当にいいのかい? 嫌なら、本当に」
「ベッドまで整えておいて何を言う。それに言ったはずだッ、嫌ではない!」
パルスの強情な言葉にオラクルはクスクスと笑った。
「なんだ、ばれちゃった」
「扉が開け放しだったぞ」
「でもそれで決心してくれたんなら感謝しなくちゃね」
オラクルの柔らかな唇がふわんとおりてパルスの唇と重なった。パルスの紅い瞳が間近に見える。宝石のような煌めきを宿す瞳がわずかに潤んでいる。オラクルはそっと目蓋を閉じて口付けを終えるとパルスの服の留め具へ手を伸ばした。


《了》

こういうのってどうなんだろう…(不安) 
誤字脱字がありそうで怖いよー                    10/28/2007UP

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