求めあうようなそれ
48:逢瀬
戸締りをして外へ出る。夜に染まった空気は黒く沈み家々のもれ出る明かりを鮮烈に輝かせた。上着をはおりフードをかぶる。首の辺りを調節して緩めるとすぐ一枚布になるタイプのマントだ。くすんだチャコールグレイの布は夜闇に紛れた。狭い通りを何本も横断して橋を渡る。運河は闇を吸って墨のように黒く煌めいていた。石造りの家からもれる明かりは不意に目を射抜く。硬質な石畳は足音を響かせる。不意に響く音は出所も知れない。
フランシスコから聞き出した盛り場へ足を運ぶ。目的の人物がいるはずのそこは裏道を何本も入り組んだ界隈にあった。すれ違う人々は互いに無関心で何があっても手も出さない。それでいて暗がりには何物ともつかないものが蠢いていた。浮き上がったように伸びる白い腕やスカートをたくし上げられてあらわになる白い脚。目を背ければ何を臆すると笑い声が聞こえてきそうだった。
盛り場は通路だというにテーブルや椅子を広げてそれぞれがてんでに軽食を摂ったり酒を飲んだりしている。明かりのついた屋内へ足を踏み入れる。フードを取って店内を見渡すが目的の人物はいなかった。それでも諦めきれずに手近な男の肩を叩いた。
「ティボルトを知らないか」
男は面倒くさそうに首を振るだけだ。周りの連中の方が熱心にキュリオの様子を窺っている。
「何の用だよ」
裏通りの盛り場にたむろす男達はキュリオの隻眼を見てもひるまない。それどころか好奇の視線を向けてくるほどだ。
「話がしたい」
「何の話だ?」
響いた朗朗とした声にキュリオが振り向く。出入り口にもたれて足を組むティボルトがそこにいた。濃紺のマントから伸びる腕が女のように白い。腰の二刀の柄が見える。細い腰が半分ほど橙に照らし出されていた。鮮烈な明かりは明確な影を作る。
ティボルトは歩み寄るとキュリオの下顎を捕らえた。突然のことに対処できなかったキュリオはされるままだ。唇が重なる。途端に口笛を誰かが吹いた。
「オレのオンナだ。手を出すなよ」
たむろしていた男たちが途端に下卑た目でキュリオを舐めるように見る。
「ずいぶんでけぇな」
「だから泣かせ甲斐があるんだよ」
「お、お前…!」
抗議しようとしたキュリオの口にティボルトが無造作に指を突っ込んだ。突っ込まれた指先が舌をつまみ頬裏を撫でていく。
「ン…っふ、ぅう…」
舌を散々もてあそんでからティボルトは指を引き抜いた。
「色っぽいだろう」
キュリオの顔に朱が上る。濡れたティボルトの手を叩き落として胸倉を掴む。
「何をする…ッ」
「話があるんだろう、こっちへ来い」
ティボルトは何でもないふうにキュリオの手を引いて店を出た。
手を引かれるままに入り組んだ路地を抜け人気のない場所へ行き着く。ティボルトが振り返るとマントが風をはらんではためいた。ティボルトは噛みつくように唇を重ねる。がちりと歯のぶつかる衝撃に怯むうちに潜り込んだ舌が暴挙を働く。
「…ッや、やめ」
「ヤラせろよ。そのために来たんだろう」
キュリオの手がしなりティボルトの頬に平手を炸裂させた。ティボルトのターコイズの瞳が煌めいてキュリオを睨む。白い頬がみるみる腫れていく。睨み返したキュリオの視界に振り上げられたティボルトの手が見えた。直後に頬を襲う衝撃。殴った手ごたえにティボルトは満足げに笑った。
ティボルトは遠慮なくキュリオの襟を緩めていく。キュリオはそれを振り払う。まとっていた布を解いて地面へ落とす。浮かび上がった鎖骨にティボルトの指先が這った。
「話があると言っていたな」
問いかけるそれを無視してキュリオはティボルトの手を払い落とした。
「もういい。帰る」
「怒ったのか?」
「別に」
キュリオは布を拾うと乱された襟もそのままに布をマントのようにまとった。
ティボルトの足が体を反転させようとしたキュリオの足を払った。関節と重心を狙う狡猾なそれにキュリオの体から力が抜ける。冷たい石畳の上に押し倒される。
「やめろ」
「悪かったな…だから帰るな」
ティボルトの弱気な発言にキュリオは目を瞬きながら微笑した。濡れ羽色の髪が月明かりを反射して艶を放っている。ティボルトの指先がキュリオの鳶色の髪をやさしく梳いた。
笑いを堪えながら肩を震わせる様子にティボルトが不満げな顔をした。
「何がおかしい」
「素直だと思ってな」
ティボルトがムッとしたのが気配で判った。
指先がキュリオの片目をふさいだ傷に触れる。指先が淫靡に光を帯びる。ティボルトの皮膚は月光で仄白く輝いてすらいるようだった。それでもティボルトは傷の由来を問うたりせずに指先を離した。皮膚の剥きだしになった傷の部分は神経が過敏になっている。キュリオが興奮したりすると鮮やかな桜色や肉色になって存在を主張する。ティボルトの顔が微笑したような気がした。
「気持ち悪いな」
ティボルトが口元をゆがめてにやりと笑った。覗く舌先は灼きつく紅さだ。唇までもが熟れたように紅い。肌が白いティボルトはそれが顕著だ。
「そんな口利けないようにしてやるぜ」
ティボルトが挑むように笑いキュリオのマントを剥いだ。一枚の布に変わるそれを無視して襟を揺るめベルトを外していく。冷たいティボルトの手が衣服の奥に滑り込んでキュリオは身震いした。それをティボルトが猫のように喉を鳴らして笑う。
「おとなしくしてれば優しくしてやる」
重なる唇の交わす激しさにキュリオは四肢の力を抜いた。
《了》