甘さと苦さの同居するそれら
44:ホットミルクとブラックコーヒー
淹れたてのコーヒーをフーフーと吹いて冷ます。そっと口をつける。口の中にジワリと苦味が広がる。夜の満ちた食堂内に人影はない。アスランも眠れなくて起きだしたクチだ。軽食は作れないが飲物はサーバーが生きていれば飲める。コーヒーを淹れたばかりだ。夜半にコーヒーなど眠れなくなりそうだと思いながら舌先で舐めるように飲んだ。砂糖もミルクも切らしているのかしまってしまったのか見当たらなかった。
不意に覗いた人影にアスランが息を呑んだ。
「…なんだ、アスランか」
「ディアッカ」
コーディネイターには珍しい褐色の皮膚。少し下がった目尻と上を向いた口の端。アスランと同じコーディネイターである証拠のように通った鼻梁。人を窺う狡さを持ちながら悪くなりきれない微苦笑がその顔に浮かんでいた。くすんだ金髪と紫水晶の瞳。前髪をすべてあげて額を露にしている。秀でた額は彼の賢さをうかがわせた。対照的にアスランは日に焼けていない白い肌をしている。うなじを隠すほどに伸びた髪は美しい紺碧。瞳は鮮やかな碧色だ。聡明な眼差しが驚きの色に彩られている。
「明かりがついてたからみんないるのかと思った」
ディアッカが苦笑しながらコーヒーサーバーの方へ歩み寄る。カップをセットしてスイッチを入れる。こぽこぽと低音を響かせてコーヒーが注がれていく。辺りを探すようにしていたディアッカがため息をついて肩を落とした。
「なンだ、砂糖もミルクもないじゃない」
「切れているみたいなんだ…オレも見つけられなかった」
「夜中にブラック? なんだか眠れなくなりそうだな」
アスランは黙ってコーヒーをすすった。ディアッカもカップを持ってアスランのそばへ来る。
ディアッカの紫苑色の瞳がアスランを窺うように見た。
「邪魔だったァ?」
「う、ううん、別に」
アスランが慌ててぶるぶると頭を振った。飲み下したコーヒーは熱く喉を焼いた。
ひりひりする舌を突き出して唇を舐めるアスランの様子にディアッカが小さく笑った。嫌味のない笑いにアスランは目を奪われた。つりあがった口の端とキラと同じ色でありながら違った煌めきを見せる瞳。零れ落ちそうなそれのキラとは違いどこか引いた位置から覗く瞳だ。
「ディアッカこそ、なんで? 何かあった?」
不意にディアッカが泣きたいような苦しいような顔をした。コーヒーをすすってディアッカが哂う。それはどこか自嘲じみた笑いだった。
「まぁ、色々あったから、ね」
ディアッカはアスランより早くアークエンジェルの面々と会っている。捕虜として囚われたのが始まりだ。周りのディアッカに対する扱いや態度を見ていればそれなりに何かあったのだと推測できる。親しげでありながらどこか遠回しにディアッカを囲んでいる。
「まぁ、仕方ないって感じ? やること、やったンだし」
諦めにも似た微笑を浮かべながらディアッカが言った。眉の上、こめかみ辺りに小さな裂傷が見えた。ほとんど目立たないそれは狡猾に痕を残す。アスランが手招きするとディアッカは素直にアスランの元へ屈みこんだ。アスランの指先が裂傷に触れる。
「どうしたんだ、これ」
「あぁ、ちょっとね。不用意な発言の代償ってとこ」
ディアッカが苦笑した。皮膚の白くないディアッカは元々裂傷が目立たない方だ。それだけに埋没しながら息づいているようなそこに目が行った。
吐息が触れ合うほどに近づいた顔の距離にアスランはそのまま首を伸ばした。唇が触れ合う。互いの吐息が混ざり合ってあたりに融けた。ディアッカの紫水晶が間近に見えた。驚きに見開かれる目。睫毛までもがくすんだ金髪なのだと初めて知った。隙間から潜り込んだ舌がおずおずとディアッカの舌に絡んだ。ディアッカの目蓋が次第に落ちてきて、閉じた。従順にそれを享受するのはディアッカの日ごろの態度にも通じた。ディアッカはどちらかというと受け身な方だ。イザークと連れ立っている印象が強い。しかも主導権はイザークが有している。
そっと唇が離れた。互いの舌先を透明な糸がつないだ。
「もう痛くないのか」
「まぁね。よく考えれば仕方ないってカンジの傷だし」
「ディアッカらしいね」
「それ、ほめてるつもり?」
二人が同時に噴き出した。時間を考慮して二人してひそやかな笑いになる。もう夜も遅い。
アスランは席を立って厨房の方へ回った。小さな鍋を取り出し冷蔵庫を開ける。
「良いわけ? そんなことして」
「後で申請するよ」
消費期限を確かめ鍋に見つけた牛乳を注いだ。しばらく熱したものを用意したカップに注いでディアッカの方へ戻る。
「はい、正直なディアッカに」
カップから湯気が上っている。息で冷ますとちょうどいい具合になった。それを子供のようにディアッカが両手で持ってすする。
「眠れるようにね」
ディアッカが堪えきれないように笑い出した。飲みかけのカップを差し出す。
「だったらアスランこそ飲めば?」
カップを渡しながらディアッカが唇を重ねてきた。ミルクで温んだ唇は火照って濡れていた。潜り込んだ舌先からミルクの甘さを感じる。
「一緒に寝てくれないワケ?」
その言葉にアスランの頬がカァッと紅くなった。肌が白いだけにそれはすぐに知れる。ディアッカは堪えきれずに肩を揺らして笑った。
アスランの碧色の目がディアッカを睨む。吐息が触れ合うほどの近さにめまいがした。
「冗談だよ」
ディアッカはすばやく体をひるがえした。出入り口の辺りで一度だけ振り返る。その顔が穏やかに微笑していた。
「おやすみ、アスラン」
「ディアッカ…」
アスランの言葉を聞き流してディアッカが通路へ出た。その後姿を見送りながらアスランはそっとミルクに口をつけた。砂糖も入れてないのに妙に甘い、気がした。ブラックコーヒーを飲んでいただけにその甘さが際立った。
「…甘いな」
アスランの口元が自然と笑んだ。
《了》